文/海外の大法弟子
【明慧日本2021年11月19日】大法弟子として、毎朝最初にすることは煉功です。最近、明慧ネットでは、煉功に関するいくつかの記事が掲載されています。この機会に、私も煉功についての体験談を同修の皆さんと共有したいと思います。
数日前の朝、煉功している時に「もし、師父が実際に私の煉功を見ておられたら、私はどうするのだろう?」と、ふと思いました。それなら、私はきっと十二分に気合を入れて、師父の指示に厳格に従い、速すぎず遅すぎず、一つ一つの動作を丁寧に行い集中して、より厳粛で神聖な気持ちでおこなうに違いありません。
このように考えると、明らかにエネルギーが強くなりました。師父はこのように説かれています。「われわれの煉功場は他のいかなる功法の煉功場よりも素晴らしく、われわれの場は、そこへ行って煉功さえすれば、病気治療よりずっと効き目があります。わたしの法身がまわりを囲んで坐り、煉功場の上空には覆いがあり、その上に大きな法輪があって『大法身』が覆いの上から煉功場を見守っています。その場は、並大抵の場ではなく、普通の練功の場とは違い、修煉の場なのです。功能を持つ多くの人はみな、赤い光に包まれて、一面真っ赤になっている法輪大法のこの場を見たことがあります」 [1]
実際には、すべての同修が一人で煉功をしているときにも、師父が説かれたこのようなエネルギー場が現れますが、ただ範囲が違うだけです。しかも、師父の法身はいつも私たちのそばにおられ、私たちの一つ一つの念を見て下さっています。もちろん、天上の無数の神々も見ておられます。ならば、私たちは同様に、師父が私たちを直接見ておられるように、厳粛で神聖な気持ちで一つ一つの動作をできるだけ正確に行うべきです。普段この点に注意していれば、集団煉功を行う時、全体の効果はさらに良くなると思います。
同修と一緒に煉功している時、長年修煉している一部の年配同修の動作が正しくないことに気づきました。詳しく聞いてみると、他の同修が何度も訂正してあげましたが、相変わらず改善されていないことを知りました。これについて私は非常に理解できませんでした。実はこれは、表面的な動作が正しいかどうか、機制が壊れるかどうかという問題だけではなく、真剣に修煉していないこと、法に対して厳粛ではないこと、自分に責任を持っていないことが問題なのです。
また、朝の煉功状態がとても良いときには、学法の時に師父の広大な慈悲を感じることができ、涙が溢れます。同時に、師父は私にもっと多くの法理を見せて下さり、悟らせて下さいます。本当に非常に玄妙なのです。これは、私が普段感じられないことです。また、私が厳粛で純粋な心で学法することができれば、師父は私に知恵を与え、より高い次元の法理を現して下さることに気づきました。
私はこの記事を以て、同修の皆さんに注意喚起をし、そして自分自身にも警告したいと思います。師父はいつも私たちのそばにおられます。このことを常に自分に言い聞かせると、以前に行った良くなかったことを、まだ繰り返せますか? それを改めることができますか? 良くできたことをより良くすることができますか? もっと勇猛精進することができますか? そうすることができれば、私たちのプロジェクトはより良くなるはずで、もっと有効的に衆生を救うことができ、師父に安心して頂けると思います。
もちろん、常に「師父はいつも私たちのそばにおられます」という思いに頼って、自分を奮い立たせるわけにはいきません。大法弟子として師と法を敬う心で、厳粛で神聖な気持ちで煉功をし、行うべきことを行うべきです。
師と法を尊敬することを、毎日、朝の煉功から始めましょう。
不適切なところがあれば、同修の皆さんのご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』