文/陝西省の大法弟子
【明慧ネット2021年11月22日】私は30歳の頃から身体の具合がとても悪く、心臓病、リューマチ等多くの病気を患っていました。関節はすでに変形していて、一晩中眠ることができず、身体は日ごと辛くなり、ご飯の代わりのように毎日薬を煎じて飲んでいました。目を閉じると、人が空から落ちてくるような感覚があって、怖くて眠れませんでした。私は骨と皮ばかりに痩せこけてしまい、医者に診てもらいに行っても、脈を探すことさえ困難で、医者は私のことを、40歳まで生きられないだろうと言いました。
しかし、私は今年すでに71歳です。易者は、私が48歳になった時に幸運が訪れるだろう、と言いました。それは本当のことでした。その年になった時、私は万古に出会えない法輪大法を得る事ができ、師父が私を救ってくださったことで、私の新しい人生が始まったのです。
それは、1998年10月26日のことでした。私は夢を見ました、私は周囲に囲いのない建物の屋根の上に座っているようでした。そのため危なっかしくて動けませんでした。これは一体どうしたらいいの? 心の中で誰かが上って来て私を引っ張ってくれると良いのですが、そうすれば起き上がれるのに、と思いました。こんなことを考えていると、ある男性がやって来て私に尋ねました。「あなたはどうしてここに座っているのですか?」彼は私の手を引っ張って起こしてくれました。見上げると、彼はいなくなってしまいました。夢から覚めると気分がとても良くなっていました。私を救ってくれる、救いの神が現れたのです。
その日の午後3時か4時頃に、私が道を歩いていると、1人の男性に出逢いました。私に法輪功とはどんなものかを話してくれて、「煉功をやっている所があるから、どこにあるのか行って見ませんか、今すぐ行きましょう」と言ったので、私は、「わかりました」と言って、直接煉功点へ行きました。学習者は皆とても親切にしてくれ、私は深く感動して、その日の夜に彼らと一緒に煉功と学法をしました。次の日は広場で法を広める活動をするために彼らについて行きました。彼らがテープレコーダーを使って、大法の音楽の「普度」、「済度」をかけていました。私はそれを聴いて涙が止めどもなく流れ、他の人が、「どうしたの」と聞きましたが、私にもよくわからず、はっきり説明できませんでした。しかしその後わかりました。私は、大法を得ることができてとても嬉しかったのです。私は自分がどんなに幸運なのかが分かり、生命の深いところで感謝の念が生じたのです。
私が修煉に入る事ができたのは、実に不幸な境遇にいた中での幸せな出来事だったといえます。修煉を始めてから今に至るまで、心身の健康を取り戻し、もう薬を飲んでいません。私は小学校しか行っていませんが、大法の本を読むことができます。
しかし、私が修煉を始めてから1年も経たないうちに、邪悪な迫害が始まったのです。この様な素晴らしい功法にもかかわらず、政府はどうして、修煉をやめさせようとするのでしょうか? さらに私に対して大法の本を渡すように迫ります。当時私は、警察官に泣きついて、「私には収入を得られる仕事もないし、身体に病気があったら、治療に数千元もかかるのに、あなた達のだれが私のことを心配してくれるのですか? 私は、煉功して2カ月で身体の調子が良くなり、病気も無くなって身体が軽くなりました。そのようなことをわかっていますか? それなのに政府は煉功をやめさせて、人の思いなど聞き入れないのですね」と言いました。
このような迫害が、大法や師父に対しての固く信じる気持ちを揺るがせることはありませんでした。師父はずっと私を守ってくださり、私のこの20年間の修煉の中で多くの難と吉兆がありましたが、災いを転じて福に変えてくださいました。
2007年に起きたことを思い出します。私は駅で親友を見送っていました。彼らは汽車に乗る時、私のカバンの中に「九評共産党」などの真相資料を放り込みました。汽車の中を見ると、検査が厳しく、とても真相資料などを持ち込むことなどできません。親友は汽車に乗って帰って行きました。私が戻ろうとすると、入口で行く手を阻んでいる係員が、私に対して、「あなたのカバンの中には何が入っていますか?」と尋ねました。私は、「何もありませんが」と答えました。当時私は恐れる心がありませんでした。彼はまだ気になったのか、私のカバンから勝手に物を取り出そうとしました。彼は出てきたのがトイレットペーパーだとわかると、すぐに私を行かせました。その時、親戚は私のことをとても心配しましたが、私には慈悲なる師父が私を危険な状態から抜け出せるよう助けてくださったことが分かっていました。私自身でさえトイレットペーパーがいつ放り込まれたのか、また、それがバッグの中の一番上に入っているとは知る由もありませんでした。師父は常に弟子の面倒を見てくださいました。
2011年9月のある日の早朝、私はある同修と法輪功迫害の実態を伝える活動に出かけ、CDを配っていたのを通報されてしまいました。警官は私達を無理やり派出所へ連れて行き、警官は夜までずっと我が家を探していましたが、なかなか見つけられませんでした。最後にやっと私が借りていた家を見つけましたが、家の中には師父の法像があっただけでした。結局、警官は私を家に帰すしかありませんでした。当時、数人の同修は嫌がらせを受けていましたが、大法の本はすべて我が家に置いてありました。
2020年の中秋、私は同修と真相カレンダーを配っている時、不注意からその場で酷く転んでしまいました。私の膝はあまりの痛みで耐え切れませんでした。同修が私を引っ張って起こしてくれました。私はその間ずっと「法輪大法はすばらしい。真・善・忍は素晴らしい」と心の中で唱えました。しばらくすると良くなったような感じがしました。ところが身体に力が入らず、虚ろな目になりなりながら、頑張って歩き出したところで意識を失って倒れました。その後、息子がやって来て、私を病院へ連れて行ったので、私は入院しないと言いました。息子の嫁が、「入院したくないならしなくてもいいですが、レントゲンを撮ってみましょう」と言いました。しかし、その日病院は休暇で診療が休みだったため、息子は私を家に送っていくしかありませんでした。私は自分で4階まで上り、息子と嫁は用事があるので帰って行きました。私の膝は大きく腫れてきて、ベッドから下りられなくなりました。次の日、息子はまた私を病院に連れて行きました。レントゲンを撮った後、医者は私の膝は転び方が悪かったせいで、粉砕性骨折になっているので手術が必要だと言いました。しかし、私は動ずることなく、怖れもせず、私には師父がおられるので、絶対に入院しないと思いました。医者は、「膝は他の部位とは違います。こんなに酷くなっているので、これから歩くのに支障が出て来るでしょう」と言いましたが、それでも私は頑張って家に帰りました。
私は師と法を信じて毎日学法し、立ちあがって煉功し、トイレには杖を突いて行きました。10日後、息子は医者の指示に従って、再びレントゲンを撮るために私を病院へ連れて行きました。結果が出た後、医者は順調に回復しています、と言いました。(医者は私が入院していないことを知らない)これで息子も安心しました。80歳の同修である姉が私の世話をしてくれ、家にはさらに自分で身の回りのことができない夫がいますが、息子や嫁の仕事に差し障りはありません。姉が毎日私の通常の生活ができるように援助してくれる以外、私達は、学法、煉功、発正念、自分の一思一念を法の中で正します。特に修めなければならないのは、怨恨心や人に指摘されたくない心などで、さらに自分の度量を大きくしなければなりません。自分でできることはできるだけ姉には頼らずに自分でやります。40日間で、杖も要らなくなりました。2カ月後、私は自分の身の回りのことができるようになり、さらに夫の世話もできるようになったので、姉は自分の家へ帰って行きました。100日間経過した後、私は歩いて外出することができるようになり、同修と一緒に真相伝えや真相資料を配って、衆生を救っています。
膝蓋粉砕骨折をしたにもかかわらず、ボルトを使う手術や石膏での固定をしないばかりか、入院もせず、投薬や注射もしないで、このような奇跡的な回復をとげたのです 。息子の嫁の実家の人達も大法の超常さを目撃した証人となりました。階下に住む50歳の男性は、私と同じように膝蓋粉砕性骨折をしたためボルトを入れ、3カ月過ぎても腫れが引かないので、松葉杖を使って歩き、入院費用が3万元以上かかった上、医者は一年後になってやっとボルトを取り除きました。
師父は弟子の面倒を見てくださるだけでなく、家族の面倒まで見てくださいました。孫娘が2歳を過ぎたばかりの頃、孫娘は朝7時過ぎにベッドから起きると、夢を見たと言いました。私はこんなに小さな子がどうやって夢を見るのかしら? さらに夢って何なのか分かっているのかしら? でたらめかもしれない、と思っていました。孫娘は「おばあちゃん、本当に、私にも大法の師父がいたの! 昨日の夜、師父は私を自分の家に連れて帰ってくれて、私はパパとママに会ったの。パパは足が痛いんだって」と孫娘は話しながら、父親が足を引きずる様子を真似していました。私は心の中でちょっと驚きましたが、何日も経たないうちに息子から電話があり、仕事中に腰を怪我してしまったと言います。遠いところで仕事をしているため、息子は私が心配すると思って、当時すぐに私に伝えなかったのです。その後分かったことは、息子は井戸の中で検査をする仕事をしていた時、綱が切れて20メートル以上(6、7階位の高さ)下に落ちてしまったということです。落ちたばかりの時は、ただ腰が痛くて、気分が良くないだけだと思い、頑張って仕事を続けていたのですが、会社は彼を省城大病院へ検査に行かせ、レントゲンを撮って見ると、医者は脊椎粉砕性骨折だと言いました。治療のため入院し、約10時間かけて手術をしました。すべてが順調にいき、私がその事を知った時には息子はすでに退院していました。
2006年、息子は彼の父親を乗せて自転車で家を出ました。坂を下っている時、彼の父親は頭から落ちて倒れました。息子と嫁はとても驚きました。私は、「怖がらないで。私達には師父がいらっしゃるから」と言い、すぐに「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」を皆で念じて、しばらくしてから、夫を地面から起こしてあげて、一緒に念じました。道中何も起こりませんでした。家に戻るとすぐに夫に師父の説法の録音を聞かせ、夫はベッドで3、4日眠り続けましたが、異常な状態も現れませんでした。夫は現在85歳ですが、すべて順調です。これらすべては慈悲で偉大な師父が夫の命を救ってくださったのです。師父の壮大な御恩に感謝いたします。
さらに話しますと、私の娘は2011年健康診断で乳腺癌が見つかり、娘はただ泣くばかりで、私に話す勇気がありませんでした。娘の大学の同級生が娘の病気のことを私に教えてくれました。おそらく手術が必要なので、娘のところへ行ってみるようにと言ってくれました。次の日、私はすぐに電車の切符を買って、娘の家に行きました。彼女に「私は大法を学んでいます。師父は、一人が修煉すれば家族全員が恩恵を受ける、とおっしゃっておられるから恐れる事はありません。あなたが私の修煉を支持してくれているから、師父はあなたを放っておくはずはないでしょう。真心を込めて、『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』を念じてください。すべて順調にいくはずです」と言いました。娘はとても大法を信じていて、手術の前後ずっと心の中で「法輪大法はすばらしい」を念じていました。入院から退院までとても順調だったので、執刀医は娘に対してとても関心をもちました。その他の病人も娘が医者にどの位のお金を渡したのかと、彼女に対してすごく関心をもっていました。私達には、これは師父の慈悲なる洪恩であると分かっています。娘一家は現在国外にいて、心身共に健康で、時間があれば大法の本を読んでいます。
大法は超常で師父の慈悲です。大法弟子は修煉の中で心身ともに健康になります。真相を伝えることは、自分のもっとも親しい人へ最も貴重なものを伝えているのです。大法は人々に幸福と平安をもたらします。疫病の蔓延を目前にして、どうかみなさん大法についての資料を読んでみてください。そうすれば大法を理解できると思います。