伝統色の奥妙(二)
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文/Arnaud H.

 【明慧日本2021年11月30日】(前号より続く)中国では王朝によって崇拝する色が異なりますので、「赤は伝統的にめでたい」とは言えません。殷王朝がよい例で、人々は赤を血の色であり死亡の象徴としていました。当時の赤は、葬儀や葬礼に使われていたのです。

 古代人の結婚衣装も同様で、時代によって黒、白、暗色、薄色、青、赤など様々な色が現れました。しかし古代中国の新郎新婦について言えば、現在の新郎新婦が身につけるように赤い服を着ることはありませんでした。そして古代では、片方が赤い服を着れば、もう片方は別の色を着ました。男女の区別があり、古代人は、このことをとても重んじていました。

 「春聯」(しゅんれん:縁起の良い言葉を紙に書いて家の入り口に貼る)についても、その起源には様々な説があります。長い歴史を経て徐々に今日の形に発展してきました。そもそもの「春聯」は、赤い紙に書きません。中国の伝統文化の影響を受けたアジアの一部の国々では、新年や立春に、昔から「春聯」を貼る風習があり、今日まで続いています。例えば、韓国人も「春聯」を貼ります。しかし韓国の「春聯」は通常、白い紙に黒い文字です。

 中国人が「春聯」に赤い紙を用いるようになったのは、明朝からです。文人たちは、薄い赤の紙に春聯を書いて、壁とドアに貼りました。色彩学の観点からは、その色は装飾目的でしかありません。

 清の時代になると、皇宮の春聯は赤い紙を使わなくなりました。『清稗類鈔』(しんはいるいしょう)に「大内宫殿春联,例用白绢,由翰林谨书呈进」と書かれています。日本語に翻訳すると、「皇宮内の春聯は白絹を使って、翰林院(中国の宮廷学芸機関)で書いて呈上する」。今故宮で観光すると、白い春聯を見た多くの人々は不思議に思うでしょう。今では一般に、春聯に赤い紙が使われているからです。

 なお、中国伝統の宗教施設、例えば古代の庵、道観、お寺などの春聯には、通常薄い黄色の紙が使われています。

忌むべき色

 歴史的な記録によると、中国古代人は赤い色を尊崇することはありませんでした。特に現代の明るい赤は、古代の染色技術ではまったく見られませんでした。今現在の多くの人に吉祥と見なされる赤は、民間伝承で多くのダブーやこだわりがあるのです。

 例えば、財布を赤にしてはいけないという民間伝承もあります。赤の財布は散財することになると言われています。これには、いろいろな解釈があります。「赤色は火に属し、五行生剋によって火が金を剋すことから、赤い財布はお金を剋す」という言い方もあれば、「赤色は赤字を表し、収支が赤字になる」という言い方もあります。本当にそうなるかどうかは別として、人は理由もなく一つの色を忌むこともないでしょう。心理学の観点から見ると、人の潜在意識に赤への警戒があるのではないでしょうか。

 住宅について言えば、多くの風水師が、家にたくさんの赤い物や絵を取り入れることを嫌がります。風水師の視点では、赤が多ければ五行のバランスが崩れて風水を破壊し、住む人の運勢を損なうことになります。心理学者は、大量の赤が人をイライラさせると考えており、赤い物に接触しすぎないよう勧めています。医師も健康上の理由で、赤を部屋の主色とすることに反対しています。赤の環境で長時間過ごすと視覚疲労を引き起こし、様々な病気を引き起こしやすくなると考えられています。

 人は赤に対して、本能的に警戒し注意を払います。日常生活でもこれを利用しています。例えば、路上の標識での赤は、危険や禁止などを示しています。ある研究によると、これはおそらく人類が大自然の中で培った経験と関わりがあります。自然界の動物や植物、または昆虫などで色鮮やかな生物の多くには毒があります。人は鮮やかな赤の生物を見ると危険を感じ、この色に本能的な警戒心を抱きます。

 文化にも似たような状況が見受けられます。中国の民間伝承には「丹书不祥(赤い手紙は不吉である)」という言い方があります。つまり、赤で書いた手紙は不吉だということです。今でも手紙を赤で書かない人がいます。通常、文字を赤で書くのは絶交する手紙です。赤を避けるのは歴史的な背景もあり、古代では死刑囚の名前を記録するのに赤い文字が使われていました。また民間には、閻羅王が朱砂の筆を使って生死帳に書き入れるという伝承もあります。多くの人は赤で他人の名前を書くと、その人が死ぬようにと呪うことになると思っています。

 また、中国の民間伝承には、赤が鬼を招きやすいというのもあります。年配の人々の中には、夜になると家族に赤い服を着せないようにする人もいます。この話が本当なのかどうかは別として、ここには多くの人が知らない中国古代の文化と関わりがあり、昔の伝説によると、多くの鬼が赤であると記載されています。

 唐代の佛教典籍『法苑珠林』(ほうおんじゅりん)の巻六に、ある鬼について「肤体赤色,身甚長壮」(皮膚が赤色で、背が高くて壮健で)と記載されています。東晋時代の『靈鬼志』には、「人見鬼者,言其色赤」(鬼を見た人は、その鬼が赤だと言いました)と記載されています。

 そして多くの鬼は、赤い服を着ることが好きなようです。『太平広記』(たいへいこうき)の第319巻に、ある人が4〜5百鬼に取り囲まれ、その鬼がすべて赤い服を着ており、背丈が2丈(6メートル)とあります。その人は「北斗」を念じていて、それらの鬼はその人の心が正しく神が守っていると思ったので、その人から離れました。

 鬼の身体だけでなく、鬼の攻撃手段も赤なのです。『論衡』(ろんこう)の22巻の「訂鬼篇」に、「鬼や、鬼が出した毒は同じ色」とあります。つまり、鬼が出した毒も赤なのです。また「弓矢皆硃彤」とあり、弓矢などの武器も赤なのです。

 このように中国の伝統文化では、赤は現代人が思っているような吉ではないと分かります。もちろん色彩としての赤を差別するわけにはいきません。色には異なる次元の区別があり、次元によってその意義も異なります。ここで話しているのは単に民俗的な次元についてであり、より高い次元の赤とは全く別の話です。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/9/429236.html)
 
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