文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年12月5日】これは小さなお話ですが、私は長い間その感動をずっと覚えているので、同修たちとそれを共有したいと思い書くことにしました。
ある日、大学のキャンパスでずらりと並んだ金属製のパネルを見つけました。注意深く見るとその中の一枚は、大法に対する誹謗中傷の言葉がたくさん書かれていました。
下校時間で人が行き来していました。パネルの内容はプラスチックのような良質な紙に印刷され、誰もが通る場所に置かれていました。
私の心は重くなりました。それを壊したり、持ち去ったりする勇気がなかったからです。学校には約3万人の生徒と先生がいます。あのパネルは、どれだけの人に悪影響を与えるのでしょうか。
ご飯粒や絵の具などを使ってパネルの内容を塗りつぶそうか悩みながら、意気消沈してその場を離れました。
夜、心が落ち着くようになったとき、突然師父の教え、「実はこのとき、大法弟子が神の事を行うのはどうしても必要なことであり、なぜならば、大法弟子の個人修煉は既に第一義の問題ではなく、法を正す中で衆生を救い済度し、大穹を新たに組み立てることこそが目的だからです」[1]を思い出しました。
私は座禅して「三日間で最も効果的に邪悪を震撼させる時間のうちに、このパネル展示板を企画・制作した人、展示する人に報いを受けさせると同時に、この苦痛は、彼らに大法を誹謗中傷するパネルを作ったせいだと認識させ、積極的にパネルを撤去するようにさせる」と正念を発しました。
当時、私の考えはとても純粋で、衆生はそれらに洗脳されないようにしたいと思っていただけでした。
3日目に学校に行くと、パネル展示板が全部なくなり、キャンパス中を歩き回ってみても見つけられませんでした。それ以来、二度と現れませんでした。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法七』「米国西部国際法会での説法」