中国古典名作の序言、および結びから厳選した詩辞のご紹介
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文/智真

 【明慧日本2021年12月6日】文学の領域を仰ぎ見れば、名作は星の数ほどあると言える。古くから「文は道なり」と言われてきたように、すべての古典文学作品は「道」という言葉と切り離せない関係にあり、人生を理解する過程での徳への崇めと自己修養に対する悟りを具体的かつ繊細に表現したものが多く、中国伝統文化の天命観と道徳観に満ちていて、魂の向かうべき方向を示している。優れた文学作品は構成がしっかりしていて、魅力的な序言と余韻の残る結びをしていることが多い。文章の冒頭の詩は、テーマを明らかにし、叙述する事柄の意味合いをはっきり示すもので、人の心を震撼させる力があり、文章において非常に重要な位置を占める。締めくくりの詩は、人に、「文が終わっているのに、味わい尽くせない意味合いがまだ無限にある」という印象を与えるもので、作品全体に含みのある味わいを与え、文脈を越す文としての性格を持っている。以下において、いくつかの例を挙げてみよう。

 『三国演義』(『三国志』)の序言にあたる詩

 臨江仙

 滾滾長江東逝水 浪花淘盡英雄 是非成敗轉頭空 青山依舊在 幾度夕日紅

 白髪漁樵江渚上 慣看秋月春風 一壺濁酒喜相逢 古今多少事 都付笑談中

 (訳:たぎりながるる長江の東に下る水の上、うたかたに浮かびて消ゆる英雄のかず。世に栄えしも敗れしも頭をめぐらせば空しくなりぬ。青山は昔のままに、いくたびすぎし夕日の紅くれない。

 白髪のおきな江かわのなぎさに漁すなどりして、秋の月春の風も見すぐしなれつ。一壺ひととくりの濁れる酒に友を迎え、古今の故事ふるごとそもいかばかりみな笑談のたねとはなしぬ)

 締めくくりの詩には、「紛紛世事無窮尽 天数茫茫不可逃」がある。

 (訳:紛紛たる世事窮まり尽くること無く、天数茫茫逃がる可からず)

 「演義」という概念は古くからある。古代人は単に歴史物語を語るのではなく、その意義道理を残すために歴史を語り、正統な思想や正義を説くことを重視し、「演義」に重点を置いていた。その後、歴史を「演義」と呼ぶことが多くなった。『三国演義』は、歴史素材を小説に演義した芸術面での成功例である。全編に渡って「義」が語られ、忠、孝、節義、天命天理、治国平天下、さらには戦略と知恵が宣揚され、伝統文化の天命観が顕著に表現されている。この本では、「天の意志」が世間の出来事を主宰していると繰り返し語られ、「人事を尽くして天命を待つ」べしであり、吉凶の前兆、星や天象の変化などはすべて「天の意志」の現れであるとしている。また、「天の意志」は、人間が逆らってできるものではないため、それに従って行動するしかないとされている。

 『紅楼夢』の序はこうである。

 満紙荒唐言 一把辛酸涙! 都云作者痴、誰解其中味?

 (紙をうずめてでたらめばかり 辛いなみだもあるものを みんな作者を痴という ほんとの味も知らないくせに 

 訳:文章全体、荒唐無稽の言葉で満ちている。辛酸の涙が溢れる。皆が作者は気が狂っていると言うが、この文の真の意味を理解している者は誰もいない) 

 結びでは、「説到辛酸処 荒唐愈可悲 由来同一梦 休笑世人痴!」と云っている。

 (訳:悲しいところを言えば言うほど、人生がより荒唐無稽に思い、哀れさが増す。皆が夢のような非現実的な世間で暮らしており、愚かで道理の分からない他人を笑うな!)

 「夢」とは、非現実性を意味し、「紅楼夢」とは、浮世の夢を意味する。『紅楼夢』は、仙人によって人間界に持ち込まれた霊石が通霊宝玉として人間に生まれ落ち、後に天上界に帰って行く人生遍歴を語ったものである。本の中の詩詞「飛ぶ鳥それぞれに林に帰る(飛鳥各投林)」が人々に伝えているのは、世間の万事には原因があり、借金は返さなければならず、曲が終われば人は別れてしまう。また、本の中では、足が不自由な道士は『好了歌』を通じて、栄えれば取り入り衰えれば疎遠にする世の中での人情の移ろいやすさの現象をいくつか列挙した。甄士隠氏の解説はさらに進んでいて、すべての事物は瞬く間に消え去るものであると洞察し、世の人々の荒唐無稽なところは「栄華ある人間社会が真の故郷であると思っている」ところだとしている。佛家では、私たちの物質世界のすべてが幻想であり、非現実的であると考えている。世人は皆非凡なところ、遠古に天国世界からきているため、人間社会への執着を捨て、夢から覚め澄んだ心を取り戻し、返本帰真すべきだと諭している。

 『水滸伝』の序はこうである。

 試看書林隠処 幾多俊逸儒流 虚名薄利不関愁 裁冰及剪雪 談笑看呉鉤 七雄繞繞乱春秋 見成名無数 図形無数 更有那逃名無数 刹時新月下長川 江湖桑田変古路 讶求魚縁木 拟窮猿择木 恐傷 弓遠之曲木 不如且覆掌中杯 再聴取新声曲度

 結びは、「天罡尽已帰天界 地煞還應入地中 千古為神皆庙食 萬年青史播英雄」という詩で締めくくられている。

 『水滸伝』では、王朝が入れ替わる中での栄枯盛衰と変乱が描かれている。伏魔殿にあった石碑の下をほじくり返すことで、洪太尉は誤って妖魔を逃した。その下に封印されていた魔王たち、三十六の天罡星(てんこうせい)と七十二の地煞星(ちさつせい)の魂が一斉に解き放たれて人間として生まれ変わり、これが梁山泊の百八人の将軍の起源でもある。そこでの恩讐は個人の意志に拠らないもので、是非は誰に決められ、榮枯には根拠がないものだろうか? 『水滸伝』の盗賊たちも天道を認め、「義」という言葉を胸に行動しているが、人々の目には山賊になり果てたものとしか映っていない。人間社会において自分の行いが道徳規範に符合し、素晴らしいことを成し遂げた場合は英雄と呼ばれる。ここでは強盗にも道義があるという盗賊の文化が描かれている。つまり、人間はどこにいても人間としての道徳規範を守り、天に替わって道を行い、不義を罰して貪欲なものを粛清し、民のために尽くすべきであり、神々に助けられることになる。善悪には報いがあり、自業自得である。

 『西遊記』

 第一回の冒頭部はいきなり、下記の漢詩から始まっている。

 混沌未分天地乱 茫茫渺渺無人見 自従盤古破鴻蒙 開闢従茲清濁弁

 覆載群生仰至仁 発明万物皆成善 欲知造化会元功 須看西遊釈厄伝

 (訳:混沌は別れずして天地乱れ 茫茫渺渺(ぼうぼうびょうびょう)として人は見えず 盤古は自ずより鴻濛(こうもう)を破り 開闢(かいびゃく)して茲(ここ)より清濁を弁ず 群生を覆載して至仁(じじん)と仰ぎ 万物を発明して皆善と成す 造化会元を知らんと欲さば 須らく看るべし西遊釈厄伝)

 結びの詩はこうである。

 聖僧努力取経編 西宇周流十四年 苦歴程途遭患難 多経山水受迍邅

 功完八九還加九 行満三千及大千 大覚妙文回上国 至今東土永留傳

 さらに、このような詩もある。

 愿以此功德 庄厳佛浄土 上報四重恩 下済三途苦

 若有見聞者 悉発菩提心 同生極楽国 尽報此一身

 『西遊記』は、仏陀を拝み経典を手に入れて東洋に広めるために、天竺に赴いた玄奘三蔵一行4人の僧侶の物語を描いた悟りの書である。三蔵法師は慈悲深くて公明正大な僧侶であり、衆生のために仏陀を拝み真の経典を手に入れることを決意し、粘り強く努力している。孫悟空は師を忠実に守り、人々を悪から救うことに徹している。彼らの仏教への強い信仰心が後世の人々を鼓舞した。81の苦難に耐えながらも、彼らは最終的に真の経典を手に入れ、正果を得て成仏し、人々に人生の唯一の正しい道は善に向かうことだと悟らせた。『西遊記』は、四大名作の中で唯一ハッピーエンドで終わっているものであり、人生の超越の過程と目的地を示している。

 『封神演義』の最初の部分はこうである。

 混沌初分盤古先 太極両儀四象懸 子天丑地人寅出 避除獣患有巣賢

 ……

 結びの詩はこうである。

 蒙蒙香靄彩雲生 満道謳歌賀太平 北極祥光籠兌地 南來紫氣繞金城

 群仙此日皆証果 列聖明朝監返真 萬古嵩呼禋祀遠 從今讓国永澄清

  『封神演義』の主旨は光明と正義を賛美し、道徳倫理を提唱し、悪を非難して善を讃え、徳を積んだ者は天国に行く運命にあると信じている。本に出てくる高徳な人たちは皆、天に従って行動している。仙人世界の老子、元始、準提、接引などは皆、殷商に反抗して周朝を助け、天に替わって道を行っていた。周の文王と武王は仁政を実施した。呂尚が周武王を補佐して殷商の最後の紂王を滅ぼした。彼らは皆、天は世の全ての出来事や人間の運命を主宰しているだけでなく、善悪を区別し、人間を助けまたは罰を与えることもできると考えており、天人合一を強調し、正義が必ず勝つと信じている。また、この本では、道徳が古代社会の核心であり、人々の最高の追求が「道」への追求であったと語られている。表面上の理解では、「道徳」とは、天理に則って良い人として努め、徳を積み、善行を積み重ねることだが、深く追求していけば、道徳は思想境地の昇華とつながっており、人間は修煉によってより高い境地に達することができ、さらには悟りを開き仙人になることもできる。

 『東游記』の前置きはこうである。

 點絳唇

 流水行雲 氣清奇 将誰依附? 煙雲名聲 留与幽人付 犬吠天空 鶴唳乘風去 難憑據 八仙何処 演巻從頭顧

 結びはこうなっている。「泉瀑涓涓浄 山花靄靄飛 白雲回合処 應是至人棲」

 神々の世界は、憧憬される場所である。『東遊記』では、8人の仙人が修行によって得道した過程が描かれていて、世の中の激しい移り変わりを前にして、すべては過ぎ去る雲のようなものなので、人間の本質を考察し、生命と宇宙の神秘を探求し、神々の恒久の世界への憧れを抱き、名利を捨てて本性を取り戻し、元の場所に戻るべきだと、人々を啓発している。

 『説唐全伝』の前置きはこうである。

 繁華消歇似軽雲 不朽還須建大勛 壮略欲扶天日墜 雄心豈入弩駘群

 時危俊傑姑埋跡 運啓英雄早致君 怪是史書收不盡 故将彩筆譜奇文

 結びの詩はこうである。「天眷太宗登宝位 近臣傳詔賜皇封 唐家景運従玆盛 舜日堯天喜再逢」

 『説唐全傳』は、唐の第2代皇帝太宗(李世民)が中国を統一して貞観の治を切り開いた過程を記述したものである。李世民は18歳のとき、反逆者を討伐するために起兵した父・李淵と一緒に太原に赴いた。彼は厳正に軍を治め、どんな戦いでも常に先頭に立ち、その軍も常に無敵であった。戦時には、彼は天下最強の英雄・豪傑を自分の騎馬隊に集め、平穏時には全国各地のもっとも優秀な学者・賢者を府内に集めた。唐朝が建てられた後、彼は優れた人材を率いて美しい国土を興し、豊かな社会や素晴らしい文化を創立した。「貞観の治」は、中国史上最もまばゆく輝いた時代であり、後世の模範となっている。

 『説岳全伝』の前置きはこうである。

 西江月

 三百余年宋史 中間南北縱横 閑将二帝事評論 忠義堪悲堪敬

 忠義炎天霜露 姦邪鞦月癡蠅 忽榮忽辱総虚名 怎奈黄粱不醒!

 結びの詩はこうである。

 力図社稷逞豪雄 辛苦当年百戦中 日月同明惟赤胆 天人共鑑在清衷

 一門忠義名猶在 幾処烽煙事已空 姦佞立朝千古恨 元戎誰与立奇功!

 『説岳全伝』は、宋を守り金と戦って活躍した岳飛の物語を題材に、歴史を演義する色彩を加えた伝奇小説である。金の軍が中原に進軍したという歴史的背景のもと、岳飛をはじめとする愛国心あふれる将軍たちが失われた領土を取り戻すために戦う一方で、秦檜をはじめとする権力を笠に着る奸臣たちが国を売り渡し、忠臣に濡れ衣を着せて金との講和を進め和議を結ぼうとした。「身を国に捧げると決心した以上、やれないことはない」という岳飛の厳然とした正気と愛国精神は、世代から世代へと受け継がれてきたことにより、中華民族は繁栄しどんな嵐にも耐えてきた。千年近く、人々は岳飛をはじめとする忠臣良将たちを偲び、秦檜ら奸臣たちをひどく恨み、忌み嫌ってきた! 何が正義で何が邪悪なのか、そして英雄の本領とは何なのかを歴史と民衆ははっきりと知っている。

 古典的な名作は道徳、人文、未来に着眼し、道義を果たした生命こそがもっとも貴いものであり、返本帰真こそが人間として生きる真の意義であると考え、真理と光明を追求するよう人々を鼓舞している。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2010/6/30/226231.html)
 
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