他人のために考えるのは なんと幸せなことだ
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年12月13日】2011年に家族の工場が移転し、義父は多額の立退料を得ました。義父は、夫の兄に合わせて200万元(3570万円)も渡しました。義兄の家の生活条件は元々よかったのに、こんなにも多く渡すのは、義父が義兄を贔屓にしているからです。

 夫はずっと苦労して、工場の経営に全てを賭けてきました。しかし義兄は工場を建てた時に、ただ8万元を投入しただけで、その後は一切手を出しませんでした。工場のために一滴の汗もかくことなく、何の努力もしなかったのに、多額のお金を得たのです。

 義父は抜け目のない人で、常人として、すごく狡い人ですが、義兄は更に狡い人です。

 私は怒りでいっぱいになり、不公平だと思い、彼らと話し合おうと思いましたが、話すことが下手で彼らの相手になりません。この数年来、工場のお金のことがずっと気になって、時々浮かんでくることがありました。かつて義母と義兄の妻が、私に恥をかかせた場面も頭に浮かびあがってきました。心が落ち着かず、不平に思ったり、自分が不器用に感じて苦しくなり、恨みを抱いていました。私は修煉者として、懸命に放下しつつありましたが、恨みの心が時々出てしまいます。長年にわたり、怒りや苦しみから抜け出せませんでした。

 先日、同修が書かれた「名利情に囚われた親族がとてもかわいそう」という交流文章を読んで、「自分の親族の人達も、喜んでいるように見えるが、実際には名利情、恨みの中に落ち、なかなか抜け出せないではないか」と突然目覚め、「彼らが可哀想ではないか、彼らこそ本当に苦の中にいるのではないか」と感じました。

 ある日、第二式功法の抱輪の時、「義兄には息子がいるから、息子によい生活を与えるにはたくさんのお金が必要だ。義父は年を取っているため、養老にはたくさんのお金が必要なのだから、お金を義兄に渡すのは、将来は義兄を頼りにしようと思っているためだ」と頭の中で考えました。

 このように考えた途端、自分は「速いスピードで空へ飛んでいくような爆竹」のように、急に体から飛び出したと感じました。長年にもわたって自分を困らせた問題からやっと抜け出しました。頭がすっきりとして、体も軽くなりました。

 さらに数日後、その日の煉功した光景を思い出しました。自分はただ他人の立場に立って他人のことを考えただけですが、自分は難から抜け出したのです。これこそ他人のことを考えているのだとやっと分かりました。

 自分は急に悟りを開いたかのように、ある理が分かりました。「修煉がよくできている同修は、家庭であろうと職場であろうと、何かをするとしても他人のことを優先し、常に自分自身を法で律している。大法に従って対処しているからこそ、周りの人は妨害しないだけでなく、大法弟子を手伝うことになる。修煉の中で、常人のように苦痛を感じるのではなく、逆に幸せを感じる」。私はただの一念だけで、「他人のために考えるのは、なんと幸せなことだ」と初めて感じていました。

 師父は「何かをする時にはいつも他人のことを考え」[1]と説かれました。私は学法していたものの、実践では法に従っていませんでした。今回はただ考えただけで、思想上で少し昇華しただけですが、「他人のことを考え、自我を放下した後の幸せ」を感じました。本当に素晴らしい体験でした。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/30/434174.html)
 
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