文/台湾の大法弟子
【明慧日本2021年12月28日】私が住んでいる地域の煉功場の隣には、高くて古い台湾マンゴーの木々が並んでいます。毎年5、6月になると、たわわに実ったマンゴーが相次いで落ちてきて、煉功をする時もマンゴーが地面に落ちる音がよく聞こえます。特に強い風や雨の後には、マンゴーが地面いっぱいに広がっています。私はこの煉功場で10年ぐらい煉功をしていましたが、それまでは特に気にすることはありませんでした。
翻然として目覚める
昨年、私は中国への救援電話チームに参加しました。2カ月経ったある日、煉功場で煉功を終え駐車場に向かって歩いていると、目の前に1つのだいだい色の熟したマンゴーが地面に落ちていました。しゃがんでよく見ると、地面に落ちたばかりのようで、いくつかの小さな裂け目があり、とてもきれいでした。私はそれを拾い持ち帰りました。
家に帰って食べると、とても甘くてジューシーで、市販のものとは違うほど美味しかったのです。
翌日、煉功場に着くと煉功の音楽はすでに流れ始めており、同修たちは静かに座禅をしていました。私は遅刻したので、急いで歩いていると、突然後ろからストンと音がして、振り返ると、丸くてやわらかそうなマンゴーが落ちていました。私は何も考えず、すぐにそれを拾い上げて車の上に置きました。「はやく拾わないと、誰かに持って行かれるかもしれない」と思いながら、急いで煉功の列に入りました。
3日目は少し早めに到着し、車から降りるとすぐに、マンゴーが落ちていないかと探しました。その時、目の前に1つのマンゴーが落ちてきて、とても新鮮で美味しそうでした。すると、それから次々と落ちてきたので、私は煉功をする暇もなく、喜んであちこちで拾い始め、両手いっぱいになりました。車に戻ってタオルを持ってくると、10個ぐらいのマンゴーを全部包んで取っておきました。
その後、毎日煉功場に到着すると、最初にマンゴーのことを注目するようになり、時には車につぶされないように、先に周りに落ちていたマンゴーを拾ってから駐車しました。
小学校の教師である私は、8時の授業がない時は、いつも煉功が終わった後、続けてその場で1時間ぐらい学法をします。眠くなると、マンゴーの木の下を歩きながら本を読み、集中して学法をすることが出来ました。しかし、だんだんと学法をする時、マンゴーが落ちる音に気を取られ、目も心もその音に引かれてしまいました。
ある日、私はマンゴーの木の下で『轉法輪法解』を読んでいました。師父は、「本当に修煉を決意した人にとっては、耐えることができ、さまざまな利益を前にして、執着心を放下することができ、それを見ても淡泊になれます」[1]、「功法を修煉すること自体はそれほど難しくなく、次元を向上させること自体には、それほど難しいところはありません。人間の心を捨てられないから、難しいと言うのです。なぜなら現実の利益の真っただ中で、心を捨てることは至難だからです。利益がすぐここにある時、心をどうして捨てられるでしょうか?」[1]と説かれました。
「そうだ! これはまさに私の今の状態ではないか? これは偶然ではない」と気づきました。ちょうどその時、1つの大きなマンゴーが落ちてきました。私は再びこの段落を読んで、「もう拾わない!」と自分に言い聞かせました。しかし、しばらく我慢していましたが、「これで最後にしよう!」と呟きながら、足は魔法にかけられたように歩いており、しゃがんで大事そうにマンゴーを拾い上げました。「山や海の珍味を欲しがっているわけでもないし、落ちてきた天の恵みだから、問題はないだろう…。拾わないともったいないではないか?」と自分を納得させました。ところが、その日に持ち帰ったマンゴーは、前と違ってまったく何の味もしなかったのです。それで初めて目が覚めました。
師父は、「時に、それが自分のものだと思い、他の人もあなたのものだと言ってくれても、実際はあなたのものではない場合があります。あなたは自分のものだと思い込むかも知れませんが、最後になるとあなたのものでなくなります。その点から、そのことに対してあなたが無頓着でいられるかどうかを見ますが、無頓着でいられなければそれは執着心なので、この方法を用いて利益にこだわる心を取り除かなければならないのです。そういうことです。常人はこの理が悟れないので、利益をめぐって争ったり、闘ったりするわけです」 [2]、「迷いの中、この世間の各種の利益に惑わされながらも、修煉者の基準に基づいて神の道を歩むことができれば、それこそ素晴らしいのです」[3]と説かれました。
私はこの説法を繰り返し暗唱しました。「明日、この誘惑を本当に断ち切ることはできるのか?」実は、私も分かりませんでした。今まで、自分が名利を求めて争うとか、利益の前で動揺することはないと思っていました。私にとって、子供のころのマンゴーを拾う喜び、そして、昔の素朴で純粋な社会風景に対する憧れが、心の奥にまだ潜んでいると気がつきました。
翌日煉功場に到着し、車から降りて歩いていると、地面にたくさんのマンゴーの実が落ちていました。私は心を動じることなく同修たちと座禅を始めました。最初、マンゴーの落下する音が聞こえていましたが、気を取られることはなく、最後には何もかも心に跡形もなく通り過ぎました。強く執着していたことから淡泊でいられるまで、驚き動転することはなく、目覚めただけです。私の執着心を根本から取り除いてくださり、師父、ありがとうございます!
早いもので、中国への救援電話チームに参加してから丸1年になりました。また初夏になり、今年のマンゴーの木は、特にたくさんの実をつけており、大きくて重い実がたびたび落ちてきます。駐車場の地面に落ちていたマンゴーを見たら、私は車につぶされないようにそれを拾って、人がよく見える場所に置いています。
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解 』「済南での説法 質疑応答」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の経文:『大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法』