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落ちてきたマンゴーと、美しく咲くパープルフェニックス     ―利益の心を根っこから取り除く(二)

文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2022年1月13日】(前文に続く)

 私のクラスの教室の外の花畑に、パープルフェニックスという香りのよい香茶科の小さな紫色の花が咲いていました。普段は花に興味がない私ですが、この紫の花に強く惹かれました。授業が終わった後、花畑に行きじっと観賞しました。あまりにも綺麗で、私はつい窓際に座っている生徒に「花を採ってもいいかしら?」と聞くと、生徒は「分かりました」と言って、はさみを貸してくれました。

 家に帰った後、私は20年以上前に、姉が作ってくれた小さな花器を探して花を飾りました。「とても美しい!」と大いに感心しました。

 それから1週間後、別のクラスで授業する時、こちらの花畑にもパープルフェニックスが満開になっているのが見えました。授業が終了した後、私はまた花畑に花を見に行き、見れば見るほど好きになり、思わずクラスの班長にハサミを借りました。

 「先生は何をするつもりですか?」と班長は私に尋ねました。「この花はとても綺麗なので、少しだけもらいたいのです」と言い、「いいですか?」と続けて聞きました。教師の私に、「ノー」とは言えないという合理性を強調する狡さが、自分もよく分かっていました。

 「もちろんいいです!」と班長はすぐにハサミを貸してくれました。こちらの花のほうがもっと鮮やかで、もっと盛んに咲いていたので、前回よりも多く採りました。

 ハサミを返しに教室に入ると、「ああ、先生が花を盗んだ」と生徒の甲君が突然大声で叫びました。

 昼食の準備で騒がしい教室が突然静かになり、すべての生徒が私を見つめました。自分の顔が真っ赤になっていると知りながら、何もなかったふりをして「班長に聞くと、いいと言われましたよ」と言って納得させようとしました。

 「子供の頃に花を盗むと、大人になって男を盗むよ」と甲君は方言で叫び、「ぼくのおばあちゃんは、ぼくが子どものころからこれを教えてくれたよ!」と一言つけ加えました。

 「彼の話は間違っていない。自分はよくないことをしてしまった」と、私は恥ずかしくなりましたが、まったく怒りませんでした。幸い、生徒たちは食事に気を取られ、誰も私のことに注意しませんでした。

 「普段はしつけしにくい子に見えるが、心の中には良し悪し、善と悪の基準がちゃんと分かっている」と、私は甲君を見直し、「外見の行動は、内なる思考と完全に一致しないこともある」と改めて分かりました。

 そのまま花を駐車場に持って行くつもりでしたが、さっきのこともあって、花を隠そうと思い袋を探しました。その時、甲君は花を並べるように大きなフラワーポットを持ってきましたが、大きすぎると言うと、今度は1枚のビニール袋を探してくれました。

 甲君は多動がちで、普段の授業中にもあちこち歩き回ったり、お菓子を食べたり、スマートフォンをいじったりして落ち着きません。ある時は暑いと言って、教室の窓を外したこともありました。甲君はしばしば私に席に連れ戻されますが、今日の話はとても理にかなっていました。

 家に帰る途中、教師として、生徒たちの前で悪い手本を見せてしまい、「大法弟子」の称号にも恥をかかせたと思うと、不安でたまりませんでした。

 採ってきた花を捨てることもできず、私は丁寧に花瓶に飾りました。それから写真を撮って子供たちに写メールを送り、今日の事を正直に話そうと思いました。

 しばらくすると、子供たちから返信が来ました。「とても綺麗です! どこから持って来たの?」と息子に聞かれました。「教室の外にある花畑から採ったの」と言いました。

 すると、息子は「学校の花を家に持ち帰ってもいいの?」と、大きな感嘆符が付いた小熊のスタンプを送ってきました。

 私は「生徒に『花を盗んだ』と言われたの。本当に恥ずかしかったけど、その子の話は間違っていない。先生でも、花が綺麗だからと勝手に持ち帰ってはいけないのにね。来週、学校に行って生徒たちに過ちを認めます。二度とこのような事をしてはいけないから」と言いました。

 最後に娘から「怯える」、息子から「びっくりした!」という意味のスタンプが送られてきました。

 翌週、私はそのクラスの授業を終え、花の件について生徒たちに謝りました。結局、生徒たちは、その後、甲君もいっぱい採って家に持ち帰ったと言って、甲君を非難しました。私は甲君に「先生が採ったから、あなたもまねして採ったのね?」と聞くと、「そうです!」と認めました。私はとても驚きました。もしメンツのために私が非を認めなかったら、子どもたちに悪い手本となり、子どもたちを誤らせることになってしまいます。それなら、どれほどの業を作ってしまうのでしょうか?

 その時、班長は「先生は私に聞いてから採りました。それでもダメですか?」と聞きました。

 私は「あなたの私物ではないからです。もし、それがあなたの家の花畑なら、あなたの同意があれば採っても問題ありませんが、公共の財産なので、あなたにはそれを決めることができません」と説明しました。

 「でも、私たちは水やりをしました!」と言う生徒もいました。

 「それでもあなたたちのものではありません。例えば、この教室にある机や椅子など、あなたが使っていても、それはあなたの私物ではありません。あなたの服や、文房具などはあなたのものです」と言いました。

 さらに、「公園に行った時に美しい花を見て、それを摘んで家に持ち帰ってもいいのですか?」と聞きました。

 「いけません!」と生徒たちは一斉に答えました。

 「そうです! 公園には『花や木を折らないでください』と書かれた看板が立てられていますね。無視して花を摘むと、それは法を知りながらわざと法を犯す行為で、法律に違反することになります」と教えました。

 「私たちは国立学校であり、1本の草でも木でもすべて公のものです。校長先生でさえ支配する権利がなく、誰もが勝手に個人のものにしたり、持ち帰ったりすることはできません」と言いました。

 「これから、誰も花を採らないようにしましょう!」と言った時、子供たちの表情はとても真剣でした。

 「先生は甲君に感謝します。あなたの正直な言葉で、先生は過ちに気づき、二度としないようにします」と素直に認めました。

 穏やかな雰囲気の中で、教師の私と生徒たちは共にいい勉強になり、悪い事を良い事に転じることが出来ました。本当に生徒たちの寛容に感謝します。

 中国の公安・検察院・裁判所人員に対する理解と寛容

 師父は「一部の人はなんらかの個人の利益のために、本来自分に属さないものを、不正な手段を使って手に入れて、本人が得したと思い込んでいますが、実際のところ彼が手に入れた利益は徳でもって人と交換してきたものであり、ただ本人がそれを知らないだけです。煉功者なら功を減らされますが、煉功していない者なら寿命を減らされるか、他のものを減らされます。要するに、この債務は清算されなければなりません。これは天の理です」[4]と語られました。

 私は電話で、中国の公安・検察院・裁判所人員に法輪功迫害の実態を伝える時、いつも次のように話します。「法輪功への迫害は、中国で法律と憲法に違反するだけでなく、国際的な重罪でもあります。しかし、これより恐ろしいことは、古くから、佛法を迫害した人はみな天罰をうけ、子孫にまで及びます。天災や人災に遭った時、自分の命だけでなく、家族の安全も確保することはできません」

 大法の真相を伝える過程で、私はだんだんと人間性の本質に戻り、「善と悪は同時に存在している」ことをより認識しました。それによって、私は彼らの内なる本当の状態を理解するようになり、彼らは意図的か、または無意識か、積極的か、または受動的かの状態で迫害に関与していると感じました。実は、自由民主の社会で育った私と同じく、彼らも多かれ少なかれ、善と悪の間で葛藤しながら選択しているのです。

 違いは、彼らは、正しい考えに導かれていないのです。しかも、個人的な力が外部の脅迫に勝てない環境で、人々は順応性があるため、暴力に屈し、最後は暴力と目の前の利益を選択することもあります。誰もがその背後には多くの困難を背負っているのでしょう。

 師父は「人間はこのように世の中で生きていますが、なんと気の毒なことでしょう。しかし、人間はいわゆる現実の中でこれを見抜くことができず、見抜きたいとも思っていません」 [5]、「私たちは修煉者なので、善の一面だけを使い、悪の一面を用いてはいけません。常人は善と悪の両方を使っており、常人は道理も説けば、暴力も振るいます」 [6]と語られました。

 大法弟子は修煉による慈悲心をもって真相を伝え、中国の公安・検察院・裁判所人員の幾層の硬い殻を突き破り、彼らを目覚めさせ、善を選ぶようにさせることができます。彼らにとって、これこそ本当の利益であり、最大の保障です。各界の衆生を救うためには、彼らの立場に立って道理を述べ、真相を伝えることが大事だと思いました。

 電話で中国人に法輪功迫害の実態を伝える過程は、大法弟子にとっては修煉の過程であり、衆生にとっては救われる過程です。電話の一端は、常人を超え神の道を歩む修煉者を成就させることになり、もう一端は、長年の恐怖と私利私欲に縛られた衆生の心を解くことになります。人々が救われることを心から待ち望み、最後まで修煉を続けます。

 結びの言葉

 修煉の過程で、私が迷って過ちを犯す時、師父はいつもさまざまな形で、私を目覚めさせ、私が大法の中で自分自身を正すようにさせてくださいます。

 また、この過程で、私の修煉を助けてくれる人々に感謝します。

 同修の皆さんと交流し、自分の過ちを暴露すると同時に、自分自身に注意を喚起します。修煉には決して些細なことや偶然なことはなく、すべては私たちを向上させる機会になります。一念によって、厄介なことが煙のように消えることもあれば、すべてを台無しにしてしまうこともあります。重要なのは、執着に陥ったとき、内に向けて探し、そして「ストップ!」と大声で自分に言い聞かせることです。

 師父、ありがとうございます!

 同修の皆さん、ありがとうございます!

 以上は私の修煉体験です。間違ったところがあれば、ご指摘をお願い致します。

 (完)

 注:
 [4] 李洪志師父の著作:『法輪功』「第三章 心性を修煉する」
 [5] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」
 [6] 李洪志師父の著作:『スイス法会での説法』

(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/12/23/435041.html)
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