文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年1月18日】数日前、明慧ネットに掲載された「中国に電話をかけている海外の修煉者への注意喚起」という記事を読んで、とても感動しました。自分に思いやりが欠けていることに気づかされました。記事の最初の部分を読んだとき、私はこう思いました。もし私が警官に電話を掛けているなら、あの台湾の修煉者が言ったことを私も言っただろう」と。しかし、作者は別の方法で改心を始めることを提案し、それは温かく、親切な響きをもっていました。それは、私に欠けている、優しい思いやりの心です。
作者は、警官に電話をするとき「XXさん、こんにちは! 私は海外の法輪功学習者です。このように話す機会をいただいて、とてもうれしいです。この電話を通じて、私たちが友達になり、お互いをもっと理解できるようになることを願っています。あなたのところで法輪大法の学習者が拘束されていると聞きました。これは私たち善良な人間がすべきことではありません! 他人を助けることは、自分自身を助けることです。法輪大法は、人々に真・善・忍を教える修煉法です。善良な人々を守るために、あなたは祝福されるでしょう......」と会話を始めることを提案しました。
上記の言葉で電話を始めれば、電話の向こうの警官は誰でも感心すると思います。どんな命にも佛性があります。私たちからの思いやりを感じたとき、その人の魂は目覚めるでしょう。その人は自分のしたことを後悔し、悪事をやめるかもしれないし、償うかもしれないのです。
人は過ちを悔い改め、正しさを選択させることが、救いを与えることだと私は理解しています。警官を敵視すると、警官との間に壁ができます。偉大な慈悲深い存在には、心に壁がないのです。
私たちの地域の古い修煉者のほとんどは、長年にわたって何らかの形で警官から迫害を受けてきました。地元の修煉者が連行、拘留されるたびに、その修煉者が警官に対して同情や憐憫の情を示したという話はほとんど聞いたことがないです。ほとんどの場合、修煉者は警察を恨み、口論していました。警官を敵として扱い、憤慨して話すので、より激しい迫害を受けることもしばしばだったのです。なぜでしょうか? それは、その修煉者が警官を圧倒しようとしたからです。その言葉には思いやりがありません。悪は悪を恐れないのです。私たちの考えが悪いほど、悪は喜んでいます。悪は優しさと思いやりを恐れています。私たちがより優しく、より思いやりを持てば持つほど、悪を消滅させることができます。
明慧ネットには、慈悲の効果を説明する記事がたくさんあります。例えば、ある修煉者が迫害を受けていたとき、彼女は慈悲の心で警官に接したそうです。彼女が話した言葉はとても感動的で、警官はすぐにこの修煉者に対する態度を改めたそうです。私たちの言動が大法の要求を満たしていれば、法は全ての作用を働くことができ万能なのです、宇宙の特性は警官の邪念と行動も含めてすべてを抑制することができるのです。
近年、私はこのような現象を観察しました。ある学習者が連行、拘留された後、家に帰ると、他の学習者がしばしば「警官の要求に屈したのですか?」と尋ねると「警官に法輪功迫害の真実を話しました。真・善・忍のどこが悪いのかと問い詰めたのです。私は彼らに、自分たちがしたことの報いを受けることになると言ったのです......」と。
ある人はこう話しました。「私は、警官の気持ちに配慮がなかったです。あなたがやさしく接すれば接するほど、彼らはひどい態度をとりました。私はいつも彼らに言っていました。大法弟子を迫害しておいて、どうして良い未来があるのですか?」
また「警官は旧勢力が人間界に現れた化身です」と言う人もいれば、「警官をあまり丁重に扱うと迫害に服従することになります」という人もいます。多くの修煉者は彼らに同調しますが、あなたは恐怖に執着していないです。これこそ正念です、と称賛しました。
私は、これは正念ではなく、言葉の戦いに過ぎないと思っています。議論に勝って安心することはあっても、それは思いやりでもなんでもないです。邪悪な共産党文化の表れです。私たちは警官を救うどころか、培った思いやりを見せることも、その背後にある悪を解消することもしなかったのです。
警官の背後にある悪の要因を解消しなければならないのですが、同時にその人に親切でなければなりません。思いやりの心だけが、彼らを目覚めさせることができるのです。警官の中には、修煉者に対してひどい態度をとる人がいます。それは、修煉者に思いやりがなかったり、不適切な言葉をかけたりしたからではないでしょうか。
人を救うのが難しいのは、大きな慈悲の心を育むのが難しいからでもあります。しかし、人を滅ぼすのは簡単です。憎しみをぶつけるための言葉が、その人のマイナス要素を刺激してしまうかもしれません。その結果、その人は壊れてしまうかもしれないのです。
師父はこう説かれました。
「法が天体を正すことはすでに終了し、現在法がこの世を正すことに移行しつつあります。大部分の大法弟子は師父とともに法がこの世を正すことを行います」[1]
大法の弟子たちは、私たちの大きな慈悲を培うことが急務だと思います。このことを見過ごしてはなりません。時間は人を待たないのです。
これは私の現在の理解です。適当でない所があれば、同修のご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『目覚めよ』
【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】