大法弟子の善の力
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年3月3日】最近、とても印象的な出来事がありました。先日、ある同修が街で法輪功迫害の実態を伝えていたとき、私服警官と遭遇したそうです。同修はその人に法輪功の資料を渡したら、その人は立ち去り、しばらくして、別の私服警官を連れてきて、彼女の腕をつかみ、「法輪!」(中国では、警官や一部の人々は大法弟子を法輪と呼ぶ)と言ったのです。同修は冷静に「手を離しなさい、私は逃げないから」と言いました。私服警官は同修を連行しようとしていました。同修は「私もあなたと同じように家庭を持ち、子供や親戚もいて、家での生活を楽しむことができます。この寒い中、なぜ私は外にいるのでしょうか? 大きな災難がきたとき、命と安全を守れるようにと皆さんに伝えるためです」と言いました。

 すると、連れてこられた私服警官は彼女に立ち去るように言いました。同修はそのまま無事に家に帰りました。それを聞いて、私は同修の言葉に秘めた優しさに胸を打たれ、心が震えました。 この善意が、あの警官の心の中の邪念を溶かしたのです。

 帰宅して、先程のことを思い出しました。同修に派手な言葉はありませんが、心のこもった表現に、私は感銘をうけ、涙を流しました。同時に自分の欠点もわかり、善を修めることが必要だと感じました。師父は「わたしがいつも言っているように、ある人が他人のためだけを思って、しかも、自己の目的と認識を少しも抱かなければ、語る話は相手に涙を流させるのです。わたしは皆さんに大法を教えただけではなく、わたしの行ない方をも皆さんのために残していますが、仕事のときの口調、善の心、それに加えて、道理で人の心を変えることはできても、命令では永遠にできないのです!」[1]と説かれました。

 別の学法グループで、これについて交流したところ、同修たちは感動して涙を流しました。この記事を書きながら、私も涙ぐんでいます。2021年、中共によるいわゆるゼロ運動のとき、警官がある大法弟子の家をノックしたとき、同修の夫はドアを開けるのを拒否し、警官に怒鳴ったそうです。その時、ドアを激しくノックされた同修は夫を説得して止めさせ、「ちょっと待ってください」と言いながらドアを開け、警官に「最近、彼(夫のこと)に嫌なことがあったのです。どうか理解してください」と言いました。警官はすぐに緊張をほぐし、彼女にまだ修煉しているかどうかを尋ねました。同修は警官に「法輪大法は素晴らしいを覚えておいてください」と告げました。そして、警官は去って行きました。

 私は連行されて拘禁され、4年間も迫害を受けました。出所した後、会社に解雇されました。節約のため、冬は暖房をつけず、2年連続して冬に暖房のない家で三つのことをやりました。今年も同じように過ごしています。私は大法弟子ですから、この苦しみは何でもありません。しかし、修煉していない姉と家族は、暖房の効いた家に住んで寒い冬を過ごせたらと、よく話しています。先日、ある同修が、1人の高齢の同修が娘の家に行き、家を空けて誰も住んでいないのに、冬は凍結を恐れて、暖房費を払っており、どうせ空けているならそこに住んだらと勧めてくれました。私は、もしそうなら、家賃を支払うと言うと、高齢の同修は「お金をだすなら来ないで!」と言いました。

 姉と同修に説得され、部屋を片付けました。同修が見に来てくれて、姉はとても喜びました。同修は、ただ、私を助けようとしただけだと言い、その言葉に姉と2人で涙を流し、姉に大法弟子たちの優しさと大法の良さを見てもらいました。今の中国社会では、困っている人を無私の心で助けるのは大法弟子だけです。

 私はここで暮らすのに、手間のかかる料理をしない、炒め物をしない、家の中を油で汚さない、きれいに片付ける、人のために考える、などの厳しい条件を自分に課しました。朝3時からのグループ煉功に参加するときは、同修に迷惑をかけないよう、ヘッドホンを使って部屋に音が響かないようにする方法に変えました。人のためにという思いだけで、師父の声を聞いて、私はいつもより入静することができ、本当に感激しました。無私無我がこんなに良いとは思いませんでした。

 この世の寒暖、是非、人心を捨て、人を救うことだけを根本とすると自分を戒めました。同修は無私で私を助けてくれ、同修への恩返しは、精進するしかありません。ところが、わずか2日間しか住む事ができませんでした。高齢の同修の修煉しない娘さんが、異議を申し出たのです。私は直ちに、誠心誠意に謝り、「お騒がせしてすみません、すぐに帰ります」と言い、急いで荷物をまとめました。 彼女は、穏やかで誠実な私に、それ以上何も言いませんでした。

 私はすぐに、自分の心のどこがそうさせたのか、内に向けて探しました。利益心で、表面的には年配同修やその家族に感謝の気持ちを表すために、お金を渡したり、物を買ったりするのは、表面的にはいかにもよいことをしているように見えますが、しかし、隠された利己主義や利益心を排除する必要があるのではないでしょうか。お金を払わなくていい、ただで泊まれると聞けば、やはり心の中では喜んでおり、それは利益心ではないでしょうか? そして、隠された恐怖心や利己心もあり、ここに来たことは誰も知らない、静かに暮らせる、なんと良いことかと思ったのです。同修と交流後、自分の心中に隠れていた恐怖心、私心、顕示心などを、すぐに取り除きました。同修は無私無欲に与え、私も決して安逸を求めず、すべて師父の按排に従います。「私たちが行なっている全てのことは人を救うことです」[2]という師父の言葉を決して忘れません。

 同修と話した後、荷物を背負って家に向かい、バスを待っている間、年配同修の娘さんのことが頭をよぎりました。彼女は救われたのでしょうか?  彼女はどこまで法輪功への迫害の実態を理解しているのか。すぐに、彼女を救うことを考え、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい! ということを忘れないでください、大災難が来たとき、本当に救われます」と正念を発しました。その夜、私は彼女に手紙を書き、書いているときに涙が出てきました。これをすべて教えて下さったのは師父でした。ありがとうございます、師父!  法輪大法は素晴らしいです。

 物が乏しい刑務所で、大法弟子を迫害し、スーパーに買い出しに行くことも許されなかったことを思い浮かべました。大法を広めるために、唯一スーパーに行く機会を利用して、限られた食材を買い、食べずに貯めていました。元旦、春節、5月13日、中秋節などの祝日には、限られた条件の中で、できるだけ清潔な場所で師父を拝み、その後、みんなに配りました。みんな感心しており、自分は師父にとても忠実で、その力だけで、外に出てお金を稼げば金持ちになれると言われました。私は微笑みながら、「金持ちになるためではなく、すべての衆生を救うためにやっている」と思いました。他の人は、「ほらみて、自分の師父にどれほど良くしたか、私の弟子はあなたのようではない」と言い、とてもうらやましそうでした。

 2日間だけ暖房の効いた部屋にいて、また自分の暖房の効かない部屋に戻ると、時には指や手がすごく冷たくなることもありましたが、それでも煉功を続け、依然として三つのことを行いました。法輪を抱く動作でも全然寒くない時もあり、修煉しない姉は「大法を学んでここまで出来たね」と言います。刑務所から戻ったばかりのとき、姉は私が漬物を食べるのを見て、給料がないのに、旧正月の際に親戚のために新年の品物を買い、みんなに贈ったことに、姉はとても感動して、親戚たちに私がろくに食べていないのに、みんなにお正月の品物を贈ったと言いました。彼らが見たのは、大法弟子が困難な状況にもかかわらず、思いやりがあり、楽観的で明るいということです。姉は私の強さを見て、心から大法が良いと信じ、誠心誠意で「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と唱え、人々を救うために法輪功迫害の資料を配布することを助けてくれました。

  私は信仰を貫き、悪に屈しなかったために仕事をクビになり、何の手当ても受けられなくなっても不満も恨みもありません。節約のために暖房の配管を繋がなかったのですが、限られたお金をこれに使うのは忍びなく、少し寒くても耐えて生活できます。逆に、迫害を伝えるために資金を投入するお金を惜しまず、決して手を抜きませんでした。私も世の中のように、定年を迎えたら、4000~5000元の年金で人生を楽しむこともできるのです。大法から逸脱したことを言ったり書いたり、何かこねを利用するだけで、すぐに本来受けるべきこれらの待遇が受けられるのです。しかし、私は師父の弟子であり、師と大法に対する私の信念は岩のように堅固で、世俗的なものは私を動かすことはできませんでした。

 なぜ私たちは、困難な状況にもかかわらず、大法と師父への正しい信念に堅持し、永遠に師父についてゆき、師父の言葉を聴き、大法弟子がすべき三つのことを実行するのでしょうか。法を学んでいる間、私は、大法弟子が本当に師父と一緒に衆生を救っているのだと理解しました。私が師父への正しい信念を堅持するのは、法の中で私利私欲のためではなく、邪悪の迫害から迫害に反対し、人々を救うためでした。順境でも逆境でも大法の良さを実証しなければなりません。私たちは世を救う大法弟子なのです。大法弟子の忍耐力、責任を取る勇気、優しさと寛容な心を持ち、一方の世界を支えることを世に示すことが私の確固たる信念です。師父は私を目覚めさせて下さいました。私はもっと多くの人を目覚めさせ、苦境にある人々に救いの手を差し伸べていきたいです。

 本当に大法弟子は、大災難のとき衆生が救われること、縁がある人が師父に従い返本帰真し、師父と一緒に本当の家に帰ること以外、何も望んでいないのです。

 もちろん、師父が認められなかったこの大法弟子への迫害を、私も断固として否定します。師父の按排でなければ、絶対望みません。無条件で退職金を支給されること、安定した環境の中で人を救うことこそが私の望みです。

 師父は「あることについて皆さんは非常にはっきりと分かっています。つまり、この世界の歴史が今日まで続いたのは、大法弟子が衆生を救い済度するために残されたのです。この歴史は大法弟子を成就させ、皆さんの誓約を実現させるために存在しています。もちろん、これは皆さんの誓約と自分の約束を果たすということだけに関係しているのではなく、これは法を正すこと、宇宙の無量の衆生に関係しており、これほど大きなことなのです。皆さんが自ら行うべきことをしっかり行なったならば、三界内のすべてもしっかり行われたことになり、師父が法を正すときの妨害も少なくなります」[3]と説かれています。師父はこのように私を導いてくださいました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「はっきりと目覚めよ」
 [2] 李洪志師父の経文:『目覚めよ』
 [3] 李洪志師父の著作︰『各地での説法十』「さらなる精進を」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/2/16/438917.html)
 
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