大法が見せる奇跡、精進して師父の御恩に報う
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 文/中国四川省の若者弟子

 【明慧日本2022年3月11日】僕は2010年から大法を修煉し始め、当時はまだ子供でした。修煉する前はいたずらが好きで、学校では、クラスメイトたちや先生たちにあまり好かれていないので、良くトラブルを起こしたり、喧嘩したりしていました。しかし、修煉してから、僕は変わったのです。大法が僕を変えてくれました。

 母親が大法を修煉しているため、5歳の頃から、母と一緒に煉功し、小学校に上がってから『轉法輪』を勉強し始めました。しかし、当時はまだ子供でしたので、修煉のことや大法が素晴らしいことを少しは分かっているものの、やはり遊ぶことが好きなので、修煉の道を歩んでいませんでした。

 当時、修煉していなかったにもかかわらず、師父は僕のことをご加護してくださいました。ある日、家にある真相資料を折りたたんで赤い袋に入れ、首に吊り下げて、川に泳ぎに行きました。家に帰って着替えると、なんと胸に「真」「善」「忍」という3文字が赤く写っていたのです。このことは今でもはっきりと覚えています。思い出すたびに師父と大法への崇敬と修煉の決心が固くなっていきます。

 2010年、専門学校を卒業して、仕事を探すため、沿海都市に向かうことになりました。出発の前、母に「よくこの本を勉強し、心性を修めるのよ」と『轉法輪』を渡されました。その時から、僕は真に修煉の道を歩み始めたのです。

 迫害に遭う

 2011年、僕は沿海都市のある工場に勤務し、修煉においても怠りませんでした。どんなに忙しくても毎日必ず「三つのこと」を行い、心の中が大法と修煉のことでいっぱいになりました。

 ある日、工場の寮の近くで真相資料を配ろうとしたとき、管理人に通報されて、その後、警官に連行され、留置場に拘禁されました。当時の僕はまだ17歳でした。顔に唐辛子の水をぶっかけられたり、寝かせてもらえなかったり、まだ成人していない僕にとって、非常に恐ろしい経験でした。しかし、僕は始終師父を信じ、協力を拒み、署名や、共産党の歌を歌うなどを拒否しました。不当に裁判にかけられた時、裁判官に「罪を認めるか?」と聞かれ、僕は「認めない! ぼくは何の罪も犯していない!」と即答しました。その後、懲役10カ月の判決を言い渡されました。

 2012年、実家に帰った後も、現地の警察に迫害され続け、未だ続いています。掛け持ちしているいくつかのアルバイトも強制的にやめさせられ、デリバリーもできなくなりました。

 邪党体制の下での生活は非常に苦しいものでした。しかし、大法弟子には巧妙な按排があるのです。

 大法弟子は幸せ者

 2020年、同修の手助けの下、僕は再び沿海都市にやってきて、とある電機会社で販売の仕事をすることになりました。同年の7月、どういうわけか、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の人員が僕の勤務先を突き止め、僕を辞めさせるよう、会社の社長に圧力をかけました。圧力と恐怖に追われたまま僕は再び実家に戻り、安い給料のアルバイトで何とかその日をしのぐことができました。非常に苦しい毎日でしたが、それでも僕は時間のある限り法を勉強し、心性を高め、歩いている時でさえ法を暗唱していました。「修煉の中で歩き、歩く中で修煉する」これは僕が良く自分に言い聞かせている言葉です。なぜなら、僕のアルバイトの一つはデリバリーだからです。

 9月、奇跡的な転機が訪れました。当時、僕は貿易の仕事をしていて、かつて接待したベトナムの顧客が訪ねてきて、僕から大量の商品を仕入れ、わずか数カ月の間で、数十万元の純利益が入りました。その後、彼女も見つかり、今は僕の妻で、同じく大法弟子になりました。

 当時、社長に強制的に辞めさせられたとき、怨恨がなかったわけではありません。しかし、毎日の学法を通じて、怨恨心を取り除きました。確かに邪悪は大法弟子を迫害していますが、しかし、師父は僕たちに新たな道を按排してくださっています。都会から追い出されなければ、実家に戻って貿易の仕事をすることも、現在の妻に出会うこともありませんでした。師父は大法弟子に素晴らしい道を按排してくださるのです。

 同修である妻

 現在の妻に出会ったのも、不思議な按排です。2017年に妻と出会い、当時、妻は腎臓に関する病を患い、重症でした。病院では何の効果的な治療もできず、なす術がないとき、僕は妻に法輪功を紹介しました。煉功して1週間も経たないうち、妻の病が消えたのです。病院で精密検査をすると、全ての数値が正常に戻っていました。

 しかし、様々な原因により、妻とは一度別れました。そして、妻の病状も再び現れるようになりました。2020年9月、妻から再び連絡が来て、「たとえ病が治らなくても、師父がもう私の面倒を見て下さらなくても、私は最後まで修煉したい。少なくとも心性は向上できる。これこそ最も重要なことです」というので、僕と妻は再び一緒になりました。修煉を通じて、妻の向上は目に見えるほど大きなもので、身体も健康になりました。

 結語

 かつて何度も自分に「大法を修煉して、後悔したか?  迫害に遭い、まともな生活すら送れなくなって、後悔したか?」と問いかけました。しかし、答えはいつも「後悔していない!」です。たとえ今後どんな困難なことに遭っても、僕は決して修煉を諦めません! たとえまだ執着心が多く、良く修めていない部分があっても、僕は自分を厳しく律し、師父の真の弟子になるよう精進していきたいと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/24/430041.html)
 
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