文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年3月25日】同修の蓮さんは60代ですが、軽やかなスタイルで、顔に赤みがさしており、笑顔も爽やかです。彼女は、まさに純粋な「蓮」のようです。非常に穏やかな表情で、今年の旧正月の元日の夜に起きた奇跡的な事を私に話してくれました。はらはらしながら聞いていた私は、深い感銘を受けました。蓮さんは、こう話してくれたのです。
『その夜、神韻を見た後、眠りがとても浅かったのですが、ソファーにもたれてしばらくすると眠りにつきました。朦朧としていると口の中に何かあると感じたので、歯に何か詰まっているのではないかと思いました。半分寝ぼけながら、歯のその部分を手で掴み、コーヒーテーブルの上に置きました。
しばらくして、また何かを感じました。再び手に取り、コーヒーテーブルの上に置きました。その時、何かネバネバとしたものを感じたので、それを確認しようと電気をつけました。電気をつけてみると、コーヒーテーブルの上に血の塊が二つあり、ソファーのクッションやカバー、掛けている布団と枕の両側も血まみれでした。
洗面所に行って鏡を見ると、口も顔も血だらけで、手も血まみれでした。その時、まだ口から血が流れており、出てきたのは血の塊ばかりでした。
その瞬間、「神とは何か、人心存する無し」[1]という師の法が頭をよぎりました。「これはいいことだ、師父が自分の身体を浄化して下さっているのだ」と思いました。
私は落ち着いて片付けを始めましたが、やはり血は止まることなく流れ続けていました。そこでティッシュペーパーを小さく丸めてその歯穴に詰めると、すぐに血が止まりました。
その後、シーツ、枕カバー、掛け布団を洗いました。その間、私は法を暗唱しながら、ずっと師父に感謝していました。歯の痛みもなくなり、身体にも違和感がなく不調はありません。心に心配は一切なく、体全体が軽やかで、リラックスして心地よいと感じていました。あんなに小さな歯の穴から、これだけの血の塊が排出されるのは、本当に不思議で奇跡的なことです。
朝、起きて煉功をし、発正念をしてから違和感なく食事を済ませ、真相を伝えるために出かけました』
蓮さんの話が終わると、私は「スリリングな体験でしたね! 怖くなかったのですか? 一人暮らしで、あんなに出血したのに」と聞きました。蓮さんは「その時、私の第一念は大法と師父のことであり、大法に同化したいと思いました。その後、『あなたはもうすぐ死ぬのだ、血が枯れるのだ、血のない人間はどうやって生きていけるのか』というネガティブな考えが頭に入りましたが、私は『私は普通の人ではありません。あなたが来たら、私はあなたを滅します。再び来れば、再び滅します』と強い正念を発しました。私の一つの考え一つの念はすべて正念に満たされ、マイナスな考えが湧いてくるのを少しも許しません。ひらすら『滅、滅』と考えていました。私は修煉者です。法を正す時期の大法弟子です。私が発信するのはすべてポジティブな考えです。すべて良いことで、師父が私の体をきれいに浄化して下さっているのです」と話してくれました。
そして蓮さんは「大丈夫だ、私は新しい宇宙の生命だ、私の思惟はすべてポジティブなもので、普通の常人の考えを変えないといけない、という一念を持ち続けました」と言いました。
淡々と話している蓮さんの体験を聞いていると、これができる大法弟子は皆しっかりした修煉の基礎があると思いました。蓮さんは1996年に法輪大法に入門して以来、毎日少なくとも三講を勉強しています。時には4、5時間坐禅して動かないまま学法するそうです。蓮さんが言うには、そのような学法の状態は、とても妙なる素晴らしい感覚だということです。彼女は1日に10回以上正念を発し、ほぼ毎日真相を伝えています。
ある日、私は蓮さんに、「三退(中共の党、団、隊から脱退すること)を始める年から、真相を伝え始めたのですか」と尋ねると、蓮さんは「私は法を得たその日から、真相を伝え始めたのです。最初は、大法の素晴らしさや不思議さ、超常さを伝え、人々に大法のことを紹介しました。その後、大法に対する迫害や、大法が慈悲に衆生を救い済度される真相を伝えるようにしました」と答えました。
私が「1日20人以上脱退させるとすれば、毎日出かけるわけですから、どれくらいの人を脱退させたことになるでしょうか」と聞くと、蓮さんは「数えたこともありません。毎日そんなに多くの人を脱退させたわけでもないですし、十数人の時もあります」と言いながら、ある人に声をかけました。
蓮さんはいつも笑顔で、淡々と話をするのです。そして「真相を伝えて、衆生を救うことができるとは、本当に幸せです! 街中を行き交う人々を見ていると、いつも時間が足りないと思い、その人を救えなかったら、本当に泣きたくなります」と言ったことがあります。
蓮さんの真相を説明する言葉は、とても素朴です。しかし彼女の口から話すと、本当に慈悲と善のエネルギーに溢れているように感じます。それは修煉者の慈悲、他人のため、無私の心であり、人々が無事に災難を逃れられるようにという真摯な呼びかけです。大法弟子が衆生のために法を学び、法に同化し、法の中で昇華した後の真の現れです。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「人と覚者の分別」