表面的な変化だけでは、より高い境地には到達できない
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2022年4月15日】最近の2年間、私はある問題にぶつかり、今までとは違って夫や娘たちとの関係がうまくいかないことに気づきました。 昔は家庭の雰囲気が温かく和やかで、夫は思いやりがあって、子どもたちは素直でいい子でした。私は家の大小の事柄をすべて担当し、夫と娘たちは無条件に協力してくれるし、一家の生活はとても豊かで、周りの友人や親戚はみんなうらやましがり、私も満足していました。

 法を正すために修煉してきた26年間、家族4人の同修は多くの洗礼、魔難と昇華を共に経験し、今日まで歩んできました。私たちは修煉の中で、全体を成し遂げて一緒に学法煉功発正念をし、お互いに協力して資料を印刷し、DVD、カレンダー、ステッカーを作り、面と向かって真相を伝えるなどのプロジェクトを行い、学法の中で自分に向けて探し、着実に自分を修め、今日まで順調に歩んできました。

 長年来、私は大法の修煉によって生まれ変わり、多くの執着心と後天的な観念を取り除いたと思い込み、特に最も取り除き難い性格の強み、独断、人に言われたくない執着心を見つけました。それらは利己的な考えから生じたもので、党文化の一種の現れでもあり、その中からまた高慢で、他人を見下し、 鉄が鋼にならないことを恨み、不平をこぼし、奪い合い、仇のように悪を憎み、物事に対して真面目に追究しすぎるなどの執着心を派生させたと悟りました。修煉はまるで玉ねぎのように一枚一枚と剥がれ、たくさんの汚れを洗い流し心を浄化して、かなりの収穫がありました。

 今日まで歩んできて、私たちは皆、各自の異なる境地に達しましたが、なぜか夫は態度をがらりと変えて、この事がうまくできていないとか、あの事についての考え方が間違っているとか、私のあらゆるところを気に入らなくなりました。しかも、感情が激しく意気盛んで、昔の優しさと謙虚さを失った様でした。夫の理不尽な姿を見て、私は内心で「人心が多すぎる、向上すべきだ」と思うようになり、とにかく彼が間違っていると思っていました。

 娘と交流したときも、悔しさに満ち溢れて、誰が正しくて誰が間違っているかの問題について追究していました。私は娘に「お母さんのせいだと思う? ずっと内に向けて探していたけれど、何も見つからなかった! もし知っているならば指摘して」と言いました。娘は笑いながら「誰か言う勇気があるの?」と言った時、私は唖然として一瞬固まり、最近ある同修に言われた「こんなに長年修煉しても、相変わらず強いですね」という言葉を思い出しました。ちょっときついことを言われましたが、その時はあまり考えず、笑って済ませました。心の中では「何年も数え切れないほど修煉してきたから、これらの物質はとっくに消えた」と思いました。

 このことを考えながら「本当にこれらの執着心をきれいに取り除いたのだろうか?」と自分に聞きました。

 師父は「ですから、皆さんは修煉によって、異なる境地の次元に到達し、自分自身の本性を再び現すだけでなく、同時に異なる時期、異なる次元における歴史の長い歳月の中で、異なる境地の中で汚染されたものを取り除かなければならず、全て取り除かなければなりません。私が皆さんに与えたいのは、皆さんを天地開闢以来最も純粋で清らかな境地に到達させることです」 [1]と説かれています。

 法を正す時期の大法弟子の次元が向上するにつれて、自分に対する法の要求も高くなることが分かりました。その境地の基準に達しないと、当然、トラブルや障害が現れるはずです。それは自身の執着、不足を気づかせてくれるものであり、現状に満足し、とどまって外ばかり見ているのではなく、自分の執着心と向き合い、修正すべきです。私は、自分の天性に戻り、最も純粋な状態に到達するには、あまりにもかけ離れていることが分かりました。

 内に向けて探してみると、長年修煉して取り除いたのは、表面上に現れている率直にものを言う癖、理を掴んで他人を許さないところ、褒める言葉が好き、他人を強制する、頑固で焦るなどの欠点の一部に過ぎないことがわかりました。今の空間場には謙虚さや善意が含まれ、ポジティブなエネルギーに満ちているとは言え、しっかりと包まれた私(し)の考えに触れると、バネのように跳ね返され、そのスピードは雷の時に耳を覆うひまもないように迅速です。

 自分がいかに何も知らず、浅はかで驕っていたか、ようやく気づきました。実は、自分は大したことなく、表面だけを修めていたのに、今までずっと満足していました。自分の心を刺すような人や事に出会うと、ついに本性が現れ、その根を死守(ししゅ:いのちがけで守ること)していたことがわかりました。骨の中にある本質がまったく変わっておらず、他人にはハッキリと見えていますが、自分だけが迷いの中にいて悟っていませんでした。

 長い間困惑していた問題が今日、やっと解決しました。私は自分の身を低くし、私的な考えを放下することにしました。水面に浮かばず、常に相手の上にならないよう態度を変え、小さな水滴になり、水に溶け、相手の考えを理解し、相手の行動を許容していくと、狭い自分から抜け出し、自分の心構えが拡大しました。

 観念が変わり、環境も変わりました。家族同修との関係も微妙に変化しました。 私たちは皆、お互いを鏡とみなして自分に照らし、自分を変えているのです。大法の法理が泉のように私たちの心に流れ、皆が久しぶりの寛容と和やかさを感じました。家族のみんなが、真剣に法を学び、三つのことをしっかりと行うと同時に、無条件に内に向けて探し、厳粛に修煉し、表面を通して実質を変えてこそ、絶えず自分を突破することができ、より高く純粋な境地に到達できると悟りました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『米国東部法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/4/5/440913.html)
 
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