文/河北省の大法弟子
【明慧日本2022年5月1日】90歳の私は、1997年に法輪大法を修煉し始めました。以前は坐骨神経痛、前立腺炎、尿道炎、鼻炎、痔など、さまざまな病気に悩まされていましたが、煉功をはじめて間もなく、師父は私の身体を浄化してくださり、これらの病気はすべて姿を消しました。歩き出すと身体は軽やかで、背中を人に押されているかのようで、限りないエネルギーがあり、私は本当に無病状態の感覚を体験しました。それ以来、薬を一錠も飲んでいません。
1999年7月、江沢民による法輪功迫害がはじまり、私は自宅で煉功することにしました。毎朝2時40分に起床し、一気に五式の功法をやります。朝食後、県道を歩きながら、法輪功の真相を伝えながら資料を配布して人々を救っています。昼過ぎには学法し、真相資料を読み、自分を修めています。
さて、2年前に遭った重大な交通事故の話をします。私に第二の人生を与えてくださったのは、慈悲深く偉大な師父でした。
2020年のある日、煉功と発正念が終わった後、私は公衆トイレに行きました。私の家は平屋で、庭が小さくトイレがありません。道路脇まで歩いたところ、当時、数日間雪が降っていたため、道沿いの雪がとても厚く、道路の真ん中には雪が少なかったので、私は左右をみて、車も人もいないことを確認した後、道路を歩きはじめました。十数歩歩いたら、何もわからなくなりました。目が覚めたとき、あまりの暗さに手を伸ばして触ってみたら、これは車の下ではないか。私はやっと自分が事故に遭ったことに気づいたのです。私は「車の中に誰かいるのか?」と聞きました。運転手さんは運転席から「います」と答えてくれました。私は「車を動かしてください、服が車に押されている。ここから出なければならないので、私を引き起こしてください」と言いました。運転手は「ちょっと待ってください、すぐに病院から人が来るから」と言いました。私は「病院には行きません」と言いました。すると運転手は、私の苗字、名前、住所を聞きました。そして、私はまた気を失いました。
私が再び目を覚ましたのは、運転手と子供達がすでに私を病院に搬送した後でした。医師が診察した結果、重大な交通事故による大量内出血、骨盤の粉砕骨折、腰椎の3箇所が粉砕骨折と診断されました。高齢でかつ重傷のため、入院を断り、急いで転院してくれました。承徳付属病院に転送された後、診断結果は県立病院と同じで、同様に入院を拒否されました。結局、子供達がコネを使ってやっと残ることができました。
子供達が入院手続きをした後、私は再び目が覚めました。自分が病院にいることに気づき、子供達に「入院したくない、家に帰りたい。私は師父に見守られているから、大丈夫だ」と伝えました。しかし、子供達は修煉していないし、この道理が分かりません。誰も相手にしてくれませんでした。私は心の中で「師父、私が何を言っても聞いてくれません。彼らは聞く耳をもっていません。すべては師父にお任せします。すべては師父の言葉通りにします」と言いました。心の中ではそう思いながら、子供達に私を家に送り返すように伝えました。
3日後、再び県立病院へ転院しました。私は子供達に「家に帰してくれないなら、大法の書籍を持って来て」と言いました。病院では煉功ができなかったので、私は学法をしました。
事故から45日後、師父の按排の下、私の強い要求の下、私はようやく自宅に戻ることができました。帰宅後、私はいつも通りに学法し、煉功しました。1回で煉功を終えることができなければ、分けてやりました。足を組むことができなければベッドの横でやりました。孫娘は「おじいちゃん、帰ってくると別人のようだね」と言ってくれました。私は「そうだよ、おじいちゃんは修煉者だからね」と言いました。
90歳近い私が、それほどの大怪我をしたのですから、修煉していなければとっくに死んでしまったかもしれません。しかし、法輪大法を修煉しているため、師父の保護の下、わずか1カ月半で完治したのです。これこそ奇跡ではないでしょうか? この1カ月半は、県立病院の検査で1回痛かった以外は、痛みもなく、師父がすべて肩代わりしてくださいました。師父の大きな恩に感謝する言葉しかありません。弟子はこれから精進して着実に修め、より多くの人を救い、師父の恩に報いるようにします。円満成就して師父と一緒に帰りたいです。
師父に対する感謝の気持ちを示し、第二の人生を与えて下さった師父に感謝するために、この出来事を書くことを、同修に頼みました。また、世の人々に、邪党の宣伝に耳を貸さず、古い考えを改め、法輪大法は素晴らしいと信じ、平安のために邪党から脱退するよう伝えたいと思います。