母への恨みを放下した
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2022年5月8日】私は子供の頃から母を恐れていて、とても嫌いでした。物心ついてからの母の印象と言えば、まるで全世界が母に借りがあるかのように毎日文句を言っていて、私にも優しい顔を見せたことがありません。父は優しい人でしたが臆病で、子供たちを守るために母の怒りにずっと我慢していました。時には母と口論しましたが、母はすぐ「離婚」という言葉で父を脅かしました。そして子供のために離婚したくなかった父は、仕方なく自分の感情をずっと抑えていたのです。

 一方で、幼い頃に父方の祖父母の家で過ごした数年間は、とても幸せでした。祖母は伝統的な美徳を備えた良妻賢母であり、優しくて慈愛深く、勤勉で忍耐強い人でした。祖父は熱血男児の手本のようで、子供たちに優しくて威厳もありました。祖父母が育てた子供たちは皆優しくて親孝行をして、兄弟姉妹の間は助け合い、友愛を実証しています。叔父と叔母たちは、幼い私に多くの愛情を注いでくれました。両親がそばにいなかったにもかかわらず、私はむしろ両親のもとで生活するよりも多く愛されて成長したのです。

 小学校に上がる時に、私は両親のもとに戻りました。その時に妹も生まれました。妹ができたのは良いことですが、もともと私に無愛想だった母は、妹が生まれると、私に対してはまるで宿敵を見るかのようでした。それまで母の機嫌が悪い時の矛先は主に父に向かっていましたが、以降は私が母の腹いせの対象になりました。母は何といっても教育を受けた国家幹部なので、私を殴ったり罵ったりはせず、非常に辛辣な言葉で皮肉や嫌味を言うのです。私の欠点の一つ一つが母の攻撃の材料になり、家で私を嘲笑するだけでなく、親戚や隣人、知人の前でも私の欠点を大いにあげつらいました。母にでっち上げられた欠点もありました。一方、妹は母にとても気に入られていて、よく母に褒められていました。

 少女時代には、母が私の継母だと想像していました。ある日、実の母が私を迎えに来たら、それはどんなに良いことでしょう。しかし、それは不可能だと私も分かっていました。私の顔つきは母にとても似ていて、苦瓜のような顔をしているので(中国語では、笑みのない顔を「苦瓜のような顔」という)、私と母は、互いに相手を見るのが嫌なのです。毎日の食事の時間は、母が私を無情に叱る時間となっていたので、私は涙と一緒に食べ物を飲み込んでいました。そうした家庭環境での生活で、私の体調はずっと良くありませんでした。特に胃腸が弱く、嘔吐も腹痛もしていました。学校で意識を失って倒れることもありましたが、母は全然気にしていませんでした。

 心身ともに不健康な状態が続いていたので、大人になってからの私はとても怒りやすく、母親の皮肉的な話し方も受け継いでしまいました。しかし幸い、幼い頃に祖父母の家で感じた愛と父からの愛情は、私に肯定的な影響を与えてくれました。

 就職後、父を通じて私も法輪大法の修煉に入りました。人と人との間には因縁関係が存在していると分かり、母が私に冷たくしているのは、前世で私が母に借りがあったのかもしれないと分かりました。修煉を続けるにつれて、母に対する恨みはますます少なくなり、母に怒られてもそれほど抵抗しなくなり、母に頼まれたこともできるだけ応えて、母を満足させていました。

 修煉で、内に向けて探すことも学びました。以前は母が私を叱るのをすべてあら探しだと思っていました。しかし修煉により、母に言われた欠点は、実はすべて私の身に存在していると意識しました。例えば、せっかちでやり方が雑だと母に言われたことは、修煉前の私からすると全く逆で、仕事が早くて効率が高いと思っていました。しかし修煉を始めて、少しずつせっかちとやり方が雑なところを直しました。散らかって家を片付けないと言われたことは、以前の私は受け入れられず、家を片付けるのは時間の無駄だと思っていました。しかし修煉して、少しずつ清潔に整理するようになりました。また私は、母の叱責に対抗するために、何事でもつい弁解する癖を身につけていましたが、修煉してからは、母の言うことが正しいかどうかに関わらず、私は常に自分の不足を探しました。そして母に口応えをしてしまったら、すぐに反省して謝ります。

 母の非情なところに対しても、私は恨むことを止めました。例えば、私が子供を産んで入院した時、主人一人が昼夜を問わず私の面倒を見てくれて、くたびれていました。しかし母は会社を休んで私に付き添うどころか残業までしており、たまに見に来るだけで、すぐに帰ってしまいます。その後、母の職場の同僚まで母のやり方を非難して、「出産の娘を放っておくのは非情だ、こんなに大切な時に会社に休みをもらえないわけがない」と言ったそうです。実のところ母たちの世代は、集団の規律を何よりも優先して、家族の絆や親子の情などは二の次にするようにと中国共産党に洗脳されていました。

 その後、母が腫瘍で入院したとき、私は休暇を取って看病し、入院から退院までずっと付き添っていました。会社に給料を引かれるのを心配した母は、何度も私に病院を離れて出勤するように促しましたが、私は母に「金より親孝行が重要だ」と話しました。その後、会社は私の給料を差し引かないだけでなく、上司は手土産を持って見舞いに訪れ、私に「お母さまの面倒をよく見てください」と言ってくれました。母はとても感動して、私が出産した時に一日も付き添っていなかったことを思い出し、以前の多くの行為は人情に合わないことだと母もやっと認識しました。それからの母は大きく変わり、家族に優しくなり、家事をほぼ全部引き受けています。楽しく暮らして、年を取るほど体が良くなっています。法輪大法は修煉者だけでなく、周囲の人にも恩恵を与えています。「一人が煉功すれば、一家全員が受益する」[1]のとおりです。

 私は修煉して体がだんだんと健康になり、容姿も美しくなって、同年齢の人より若くみえます。子供の頃、母が私のことを好きになれないのは、私の顔が醜かったのも一つの理由でした。今、私が若くて肌がきれいだと褒められる時、母もメンツが立つと感じて嬉しくなります。今の私は、母に嫌われた「醜いアヒルの子」ではなく、むしろ母に誇りに思われています。

 大法を修煉したおかげで、母との間の隔たりがなくなりました。今ではよく母と一緒に散歩をしたり、世間話をしたり、食事を作ったりして、いつも親しくしています。過去のわだかまりが全く存在しないかのようです。大法は私を多くの恨みを持つ人間から、少しずつ向上できる修煉者に生まれ変わらせました。

 注:
 
[1] 李洪志師父の経文:『オーストラリア法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/21/439384.html)
 
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