青年弟子 色欲と向き合い取り除く
■ 印刷版
 

文/豪州の大法弟子

 【明慧日本2022年5月8日】私は以前、生理痛がとてもひどく、痛みのあまり全身が冷え、嘔吐し、泣き叫び、時には失神するほどの痛みに襲われたこともありました。生理が来るたびに、命の半分が失われるような気がしていたといっても過言ではありません。数年間大法を修煉し、これらの問題の原因の所在を認識し続けることに伴い、身体は徐々に正常な状態に戻って来ています。

 この問題について、自身の修煉体験を交流し、同修の方々の参考になればと思います。

 修煉を始める前、小さい頃から不健康なものに触れていたので、幼い頃からそういうものへの憧れがありました。それに現在の社会では性の開放を唱え、それは正常なもので、人類の基本的な生理要求と認められています。最も人を惑わす言葉として、誰かを傷つけているわけではないということでした。そして若いころに見下げ果てた行為をしました。修煉してから、やっと自分の生理痛がこれほどひどいのはこの方面でとても深い罪があるからだと分ってきました。婚姻は神聖なことで、天が授けてくれるものです。結婚せずに、神に認められずに、自分の欲望を満たすためにこのようなことをするのは、どんな口実であっても下劣で、非常に汚いことです。

 学法を通じて、私はどうすれば正々堂々とした修煉者になれるかが分かりました。寂しいからと気軽に恋愛をしなくなり、他人の気持ちや人生に責任を持つことを学びました。さらに自分の人生のために責任を取らなければならないと認識できました。しかも大法があるから、孤独を感じなくなり、果てしない安心感を得ることができました。また、明慧ラジオの伝統的な物語のコラムを聞くことで、古代の人が男女の付き合いをするときの礼儀やルールを知ることができました。自分に好意を寄せている常人男性を前にしたとき、相手に曖昧な態度をとらず、自分から話しかけず、礼儀正しく接するようにしました。男性の同修との間はさらにそうしなければなりません。例えば、夜中にメッセージを返信せず、昼間に返信すること、冗談を言わないこと、率先して男性同修に助けを求めないこと、心の話をしないこと、大事な用事がなければ連絡をしないことなどです。なぜなら、同修同士の縁は、さらに神聖なものであり、法の縁であり、如何なる卑しい考えをもってはならないからです。徐々に私の生理痛が和らいで来て、完全に無痛になる時もありました。最初の頃は、毎日大法を書籍を読み、煉功するにつれて、自分の行動や思考が抑制され、あの悪い思想が本当に抑制され、毎日清々しく軽やかな気分で過ごすことができました。しかし、次元が違えば基準も違います。今の自分からみれば、当時はごく表面的な状態に至っていただけで、実は心の底では、この色と欲望を本当にどう修めればいいのか分っていませんでした。そういうことをしなければ、合格だと思っていました。

 表面的に合格しても、その物質は取り除かれておらず、しらばくするとまたとても痛くなりました。その度ごとに、私は思いました。以前あまりにも良くないことをたくさんしたので、大丈夫、私は喜んでそれらを償いますと。しかし、本当にとても痛い時、どうしても乗り越えられない時、やはり師父にお願いして痛みを止めることができました。毎回そんな時、私は涙が止まりませんでした。師父は意気地のない弟子のため、あまりにもたくさんのことを肩代わりして下さいました。その後になってやっと修煉とはひたすら自分の罪業を償うことではなく、生命の根本的な昇華であると分ってきました。

 「肉食という問題自体が肝心ではなく、肝心なのはその心を捨てられるかどうかにあり」[1]とおっしゃった師父のお言葉を思い浮かべた時、私が悟ったのは、表面的な形式的な達成ではなく、心から無条件に自分自身を是正し、大法に同化するということでした。

 一度学法する時に、自分個人の問題に対して、別の理解が生まれました。私の個人的な理解としては、以前は表面的に制御できているだけで、心の底では色欲への執着を捨てていなかったし、とても深いところでは「結婚したら正当な行為ができる」と思っていたので、心の底からその考えを捨てていなかったのです。この心を変えることができなかったため、生理痛を引き起こす要素が完全には消えなかったのです。

 これを理解してからは、良くない考えが浮かぶたびに、発正念でそれを取り除き、この悪い考えを否定するようになりました。また、普段からよくない映画や動画を見ても目に入らないようにし、避けていました。今は毎晩寝る前に明慧ラジオで伝統的な物語を聴き、欲望が出てきたら同修らの修煉体験の欲を断つことに関する文章をたくさん読み、心の中にもっと多くの正念を持つようにしています。欲望がやってきたら、それと向き合い、それを覆い隠さず、またそれが自分の考えだと認めず、それを主意識から切り離さなければなりません。

 再び学法することで、私は次のことを悟りました。私たちは本来、純粋で神聖な存在だったのです。そして、これは表面の肉体での反映に過ぎず、もし本当にこの肉体を制御するには、まず欲望に振り回されてはなりません。苦しみの中、欲望を断ち切る過程も、金剛の身体を鍛える過程です。ここ数カ月間、私の生理痛はほとんど消えました。あってもすごく軽く、言うほどでもありません。以前の地獄で刑を受けているようなそれとは完全に異なります。もしかして、私たちが直面した病業の関や苦難は自分たちのたくさんの良くない心によるもので、それに気付いておらず、取り除いていないからかもしれません。もし本当に決心すれば、師父のご加持の下、本当にこれらのよくないものを修めきることができると信じます。

 師父の寛容と慈悲深い教えの下、私も自分が過去に行った良くない行為に対する恥や後悔、罪悪感を放下し、再び過去の時代に深入りすることはなくなりました。自分をしっかり修め、より多くの人々を救うことこそが、やっと師父の苦度に応えられるのだと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/4/23/440559.html)
 
関連文章