人心を捨て、家庭を圓容する
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2022年5月10日】ここ数年、着実に修煉して家庭内の関を乗り越えた体験を同修の皆さんと交流したいと思います。

 人心を除去していないため、家庭内トラブルが連発

 以前、自分の修煉状態は良いほうだとずっと自惚れていました。今にして思えば、本当に恥ずかしいことです。多くの人心は大法の仕事に奔走する中で隠され、大法の仕事は多くしたのですが、執着心はあまり除去していませんでした。特に家庭内の関に対しては中途半端で、しっかり乗り越えていないため家族の仲も良かったり悪かったりして、とても困惑していました。

 2020年、新型コロナウイルスが流行して、家族みんなの生活は影響を受け、落ち込んでいるところに、修煉に入ったばかりの夫は、バイクに乗った時に事故にあい、鎖骨が折れました。ロックダウンのために病院に行くこともできず、当時、夫は修煉し始めたばかりで、法理がはっきり分かっていないので、体が痛くなるとため息をついたり、かんしゃくを起こしたり、怒鳴ったりして、まるで別人になりました。

 高校生の娘も学校に行けず、家でネット授業を受けています。もともと娘はスマホに夢中になっていて、学校が閉鎖後、一日中部屋にこもってスマホをいじって、勉強をしません。私が注意をすると、娘は理性を失い私に怒鳴ってきたので、私もつい我慢できなくなり娘に手をあげました。それでも効果が見えず、娘は一向に勉強をしません。私は情に動かされて涙が止まらず、修煉は難しくてつらいと嘆きました。

 泣き面に蜂で、同じ修煉者である姑との間にもトラブルが頻発して、姑は一日中暗い顔をして、笑みを見せてくれません。毎日姑と向き合うのもつらいのです。

 特に夜、家族がそろって学法をする時は、よく心の試練に遭います。姑は読むのが遅すぎて、字を読み間違えることも多く、もし誰かが一段落多く読んだら、姑は損をしたかのようにすぐいらいらします。そうなると、私はますます姑を嫌い、あまりにも利己的で横暴で、どうしてこんな人の息子の嫁になったのかと、常人にも及ばない心が湧いてしまいます。

 情を放下する

 修煉者として、おそらく自分の修煉に問題があると分かっています。心を落ち着けてみると、いつの間にか習慣になっていて気づかない執着心がたくさん見つかりました。例えば、夫と娘に対する情が非常に強く、夫の学法が足りないことを心配して、いつも子供を教育するように夫に催促しており、結局のところ、夫の反感を買いました。娘に対しても、スマホに夢中になって学業を疎かにしてしまうのを心配しています。さらに、娘にも修煉してほしいと期待しており、表向きは相手のためと思っているようですが、実は家族を自分のコントロール下に置きたいだけです。

 師父が言われたように、「あなたは他人の生活に干渉し、他人の運命を左右することができるはずがありません。妻や子供、親、兄弟などのような家族の人たちの運命も含めて、他人の運命があなたの思い通りになることがありえるでしょうか? それに、後顧の憂いもなくなり、厄介なことも全部なくなれば、何をもって修煉するのでしょうか? 気分よく楽に煉功しようとでも考えているのですか? そんなことがありえますか? それは常人の立場で考えたことに過ぎません」[1]

 師父の言葉で迷いや疑いがなくなり、すっきりと心が晴れました。それから夫に叱られたり、責められたりしても私は悔しく思わなくなり、夫を慰めて励ましました。夫も変わってきて、怒りを抑えることができるようになり、進んで学法をして、心性も高まってきました。娘に対する情も放下するようになってきて、娘が目の前でどんなに激しく振る舞っても私は我慢でき、発正念をしました。すると徐々に心が落ち着いて、動じないようになりました。私が情を放下すると娘は静かになりました。私と話をしていると、娘は私の修煉の不足を指摘してくれ、とても法理に合っているので、私は驚きました。

 娘との交流の中で、深く隠れていた名を求める心も掘り出されました。大法の素晴らしさを証明するために娘を大学に合格させたいと口では言っているのですが、実は名を求める虚栄心を満足させたくて、親戚の前でメンツを立てたいだけだったのです。あれこれの執着心を除去するように発正念をして、私の心も体も軽やかになりました。

 姑に対する恨みを除去

 姑との間のトラブルが絶えないのも、姑に対する観念のせいだと思います。修煉する前から家族全員、姑が利己的で、独りよがりの人間だと思っているからです。姑は修煉してから少しは良くなりましたが、私の印象は変わらず、いつも高い基準で姑を量り、特に姑の金銭に対する執着をとても嫌っていました。

 私の息子が結婚した際、私たちが経済的に困っているにも関わらず、姑はお金を要求してきました。どんなに相談しても無駄でした。姑には数千元(十数万円相当)の貯金があるのに、自分のお金を使わず、私たちに要求します。そのため、姑に対する観念がもっと強くなりました。

 しばらくして、姑は「貯めていたお金が見つからない」と言ってきました。私は「今度こそこの教訓を忘れずに覚えて、お金をそんなに重く見ないように」と伝え、こっそり喜びました。今までずっと大法の基準で姑を量り、姑の不足だけを見て、自分を修めることを忘れていました。姑に対する恨む心、見下す心、嫉妬心などもさらけ出しました。

 これらの心を発見した時、本当に恥ずかしく悲しくなりました。必ず着実に修めて、執着心を全部除去しようと決めました。それから、姑に難癖をつけられた時も、大きい声で責められた時も、私は心を動ぜずに穏やかに対応できました。姑も微笑んで優しい表情になりました。姑の顔は「曇る」時が少なくなり、「晴れる」時が多くなり、姑と会話することが楽しくなりました。今、家族はみんな仲良くしています。修煉して執着心を除去するのはこんなに良いことでした。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/17/439499.html)
 
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