文/マレーシアの大法弟子
【明慧日本2022年5月17日】私は2009年から法輪功を学び始めました。その当時、体調が悪く痛みがありました。法輪功は病気を取り除き、健康を保つことに奇跡的な効果があると聞いて、ネット上で法輪功の五つの功法を見つけ、家で学び始めました。
最初は「抱輪」という第二功法だけを煉っていました。この功法は一つの法輪を抱くことができると聞いていたので、これに興味を持って煉り始めました。最初は、何も感じませんでしたが、半月ほど続けたところ、ある日突然、両腕の間に何かが回っているような気がし、しかもその力が強く、体全体が揺れ動き止まりませんでした。その時、本当に法輪があり、別の空間があると分かりました。それから私は法輪大法の修煉の道を歩み始めました。
間もなく、慈悲なる師父は体を浄化してくださり、10年以上続いた病の胃潰瘍、慢性鼻炎、狭心症、水虫、脚気などの頑固な症状が全てなくなりました。全身が軽くなり、歩くと浮き上がるようで、夜寝ていても浮いていると感じました。その時の私は、師父への感謝の気持ちを言葉では言い尽くせませんでした。
宝の本『轉法輪』を学び始めた時、自分だけで学法するため、ただ毎日一講しか読めず、時には一講も読めず、まばらに本を読んで、形式に流れ、法理を理解できませんでした。更に法に照らして、自分を修め、執着を取り除くことも出来ませんでした。師父は私に真に修めるように悟らせてくださいましたが、私はこの意味を理解できず、なかなか元気が出ませんでした。具体的にどのように修煉するか分からず、毎日仕事に追われ、仕事を修煉と見なし、学法にも熱心になれませんでした。それから私は大きな魔難に遭遇しました。
2017年になって、明慧ネット上に多くの同修が法の暗記について交流しているのを見て、自分も法の暗記を考えるようになりました。しかし、どうやって暗記するか、こんな分厚い本が、いつになったら覚えられるのかと、不安でやる気をなくしましたが、その後、各地の説法を学ぶ時、師父の「私はただその意味を述べており、つまり、こんなにいいものをわれわれはなぜ暗記しておかないのでしょうか? いつでもわれわれが常人の中でいい人になり、向上できるよう要求されており、暗記できればもっといいのではありませんか? そうすればいつでも対照できるようになるから」 [1]という説法を読み、師父は以前から法を暗記するようと話されていたことが分かり、師父の教えを聞こうと決心して法を暗記し始めました。
最初、同修のアドバイスで、一段落ずつ暗記し、一段落の暗記が終わったら、復習せずに次の段落を暗記する方法をとっていました。毎日一段落だけを暗記するので、プレッシャーが割合に小さかったのです。このように一年余り暗記し続けて、2018年の後半についに全書の601段をすべて暗記しました。当時その嬉しさは忘れられません。しかし、前に暗記した内容はほとんど忘れてしまったので、次はまた二回目の暗記を始めました。今回は前回より少し速くなり、内容をよく知っていたので、一年ほどかけて『轉法輪』をもう一度暗記しました。
その後の数カ月は仕事に追われて、暗記を続けられなかったので、仕事の効率もよくないと感じました。
2020年3月、私は再び法を暗記し始め、今回は自分に対してより厳しく、以前のように後ろを暗記して前を忘れることがないように、そして一段落だけでなく、一節一節を暗記し、一講法を全部暗記できるようにしました。このように進むと、前に暗記した内容も復習するので、難易度はずっと大きくなりましたが、毎日とても充実していると感じました。この過程でいくつかの妨害にも遇いましたが、最後までやり通しました。2022年3月15日、ついに全巻を暗記できましたが、その喜びを言い表す言葉がありません。師父の「大法、身を離れずして 心に真善忍、存す 世間の大羅漢 神鬼、十分懼れる」[2]という詩を思い出して、私もようやく「大法、身を離れずして」ということができたと思いました。
私の今の学法は毎日一講を暗記することです。法を覚える過程は、心を修める過程でもあり、いろいろな人心が法の暗記する中で浮かび上がってくるので、妨害を受けた時、暗記を間違えやすいのです。
今後の修煉の過程で、実修を強化し、様々な人心と執着を取り除き、大法弟子がやるべき三つのことをしっかりと行い、師父の慈悲なる済度を裏切ることがないように頑張ろうと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『法輪大法義解』「北京法輪大法輔導員会議での提案」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「威徳」