根本的な執着を取り除き 病業の関を通り抜ける
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文/中国の大法弟子

  【明慧日本2022年5月31日】この文章を書いている当初、タイトルを「病業の関を乗り越える」にしたかったのですが、その過程を振り返ってみると、すべて師父の保護と啓発の下、そして法を学ぶ中で悟ったことなので、一歩一歩通り抜けたことだと分かりました。「乗り越える」という言葉は自己を強調しすぎて実態にそぐわないので、「病気の関を通り抜ける」にした方が適切だと思いました。

 2022年4月26日午前3時、目覚まし時計が鳴ったのですが、あまりの眠気に再び眠りにつき、目が覚めたのは午前5時近くでした。それで、静功しか煉れませんでした。その後、右目に違和感があり、少し重いと感じましたが、気にしないようにしました。 午前中、会社の会議で、部下の仕事ぶりに不満があり、私は部下の気持ちを考えず、嫌味な口調で批判してしまいました。会議が終わったとき、右目と右顔に違和感がありました。その時になって、やっと自分が修煉者の状態ではないと気づき、内に向けて探すようになったのです。実はその前日、仕事の段取りをするとき、すでにその部下に心ない言葉で話していて、後から自分が悪かったのだと気づきましたが、会議のとき、昨日の過ちを正すどころか、かえって、もっとひどい言葉を発してしまいました。

 その2日後から、顔の右の表情が硬くなり、右目は垂れ下がり、言葉もはっきり言えず、うがいをする時、右の唇がしっかり閉まらず水が流れ出て、状況は悪化してきました。ある同僚から、「どうしてはっきり話せなくなったの? 口が歪んでいるじゃないか」と言われました。しかし、ほとんどの同僚は私の異変に気づいていませんでした。会社の同僚は皆、私が法輪大法を修煉していることを知っているので、この状況は大法に泥を塗ることになるのではないかと、問題の深刻さを痛感しました。また、4月29日の夜に新入社員を歓迎する夕食会があるので、私の顔を見たら、みんながどう思うだろうかと心配になりました。

 4月29日の午後になって、私はますます落ち着かなくなり、師父にお願いするしかないと思い、「師父、これは旧勢力の私に対する迫害です。私自身は苦を嘗めてもいいのですが、衆生に悪影響を及ぼすことはできません!」 と心から言いました。すると、状況が変わりました。私用で休む社員が続出したことで、「みんなが揃わなければ集まりの意味がない」と考えた社長が、歓迎会を延期するようにと事務室に連絡しました。

 翌日が祝日で連休に入ったため、私は学法をしっかりして、絶えず内に向けて探しました。色欲心、恨む心、顕示心、安逸心、短気、他人の気持ちを無視することなど、探し出しましたが、根本的な執着はまだ見つかっていない気がしました。発正念のとき、思想業の妨害がひどくて集中できず、空間場の悪い物質がなかなか取り除けなかったのです。鏡を見ると、右目に邪念が宿っているように感じたのです。その数日間、どうしてこんなことになったのだろうかと、精神的なストレスを感じていました。

 学法していると、本の中の師父の写真をみて、感恩の気持ちが湧いてきて、すぐに師父の写真に向かって叩頭しました。自分は少ししか耐えておらず、師父が私の大部分の業力を受け持ってくださったとわかっているので、病業の関を通り抜ける自信を持つようになりました。

 連休の最初の日、修煉者ではない妻は私の異変に気づき、「どうしたの?  口が歪んでいるし、ろれつも回らないので、早く病院へ行きなさい」と言いました。「大丈夫だよ。数日で治るから」と答えました。それから2日間、妻は心配して、また私に病院に行くように促し続けました。私は「心配しないで。連休明けに仕事を始めたら元気になるよ」と言いました。妻は以前、大法の奇跡を目の当たりにしていたので、「それでは、仕事が始まる日まで待つわ」と言いました。

 それから数日、私は内に向けて探し続けました。あるの日の夜、「30元で買った大きな牛の角がその後何万元にも値上がりした。この角は非常に大きく、質感もよく、ただ色は少し黒っぽいだけだった」という夢を見ました。目が覚めた時、この不思議な夢の意味がよくわかりませんでした。

 その後の学法のとき、私の空間場の悪い物質が弱まっているのを感じました。発正念のとき、あの夢は私の色欲心と恨みの心が根こそぎ取れていないことだと気がつきました。明慧ネットで2022年4月23日に掲載されたオーストラリアの同修が書いた交流文章『青年弟子 色欲と向き合い取り除く』の中で、「以前は表面的に制御できているだけで、心の底では色欲への執着を捨てていなかった」と書かれていましたが、私も同じ状況だと思いました。

 正法が終わりに近づくにつれ、大法弟子に対する要求もどんどん高くなっています。根本的に一念一行を正さなければなりません。私は色欲の方面で実質的な問題はないものの、根本から自分を正さず、自分に厳しく要求していません。例えば、服装のことをよく気にしたり、女性の前で顕示したりしていました。この時、夢の中の「大きい角」は「大きい覚」(角と覚は中国語で同じ読み方)という意味で、値上がりというのは、大法弟子への要求が高まっていることの表れだと、私は悟り、師父からの啓発だと思ったのです。牛の角が黒っぽい意味は、私の空間場がきれいでなく、大覚者の水準にはまだほど遠いことを示すものだと思いました。

 ある日の夜の帰宅途中、宿題をやっている娘からの電話で修正テープを買って帰ってほしいと頼まれました。「修正」という言葉が頭にこびりついていたのです。正法の最後にきて、すべての面を根本から修正しなければならないと師父に明示されたのだと思ったのです。

 問題の根源を見つけた後、連休の最後の2日間は状況が一変し、発正念のときに強いパワーを感じ、空間場の悪い物資が減少していると感じました。そして、連休明けの初日には顔も言葉も基本的に元に戻りました。

 師父に感謝いたします! 師父の周到な按排と慈愛に満ちた保護と啓発に感恩いたします!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/17/443700.html)
 
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