【明慧日本2022年6月13日】(前文に続く)
新しく生まれ変わったようで、生命が活気に満ちる
修煉を始めて間もなく、友人たちは彼女の外見が大きく変わったことに気づいた。「私は肌がきめ細かくなり、若く見えるようになった。以前のように疲れたり、緊張したりしていた面相(めんそう:顔の様子、容貌)もなくなった。一番うれしいのは、内心に感じていた強烈な喪失感や痛みが跡形もなく消えたことだ。まるで全てが終焉を迎えようとしていたとき、突然、一重の扉が目の前に開けたような感覚だった。心の底から幸せを感じている。師父の『論語』を読むときは特にそうだ。師父はこのようにおっしゃっています。『もし、人類が道徳に基づき人間の品行、観念を高めることができれば、人類社会の文明は末長く続きます。神の奇跡も人類社会で再び現われるのです』 [1]。私は自分が本当に幸運だと思っています」
「家から出ると、以前のように浮いている埃や薄暗い空に気を取られることはなくなった。代わりに、街や木々、お店、そして行き交う人々が私の目には色鮮やかに映るようになった。美しいものが見えるようになった私は、まるで新しく生まれ変わったかのようで、生命が活気に満ち溢れていた」
家族や友人も受益する
シャヒさんの変化を目にして、友人たちも法輪大法を学びたいと思うようになった。「とても仲の良い友人2人が、一緒に修煉するようになった。そのうちの1人が不妊治療を受けていて、何年経っても妊娠できなかったが、修煉して間もなく妊娠しました」
「彼女はずっと煉功し続けてきた。私と妹は、アフガニスタンでタリバンが再び政権を握るまで、彼女と同じ家に住んでいた。大流行は何回もピークを迎え広がっていたにもかかわらず、私たち3人は感染しなかった。修煉していない妹も恩恵を受けていた」
「そんな中、数年来の知り合いも法輪大法の学習者であることが分かった。彼女の助けを得て、友人と私はオンライン学法グループに参加できた」
思想面の換骨奪胎
師父に、感謝を申し上げるシャヒさん |
修煉を始めてから、シャヒさんは自分に多くの執着心があることに気づいたと言う。「修煉前の私の考えはみな、自分の執着を強めるばかりのものだった。今は執着を捨てなければならない。執着を捨てて真の修煉者になろうと強く思っていた中で、ある日、車に乗っていて運転手に他の空間に連れて行かれる夢を見た。車内には1人の見知らぬ若い女の子が坐っていた。『あなたは誰ですか?』と尋ねてみると、彼女は『20年間、私は法を得ることをずっと夢見ていた』と答えた」
彼女は感慨深げにこう語った。「この空間から別の空間に行くことがこんなに簡単で楽だと思ったことはなかった。仏陀の姿をした若い男性が淡青色の袈裟を纏っていて、それが一瞬にしてピンク色に変わった。彼が師父であると私は思った。師父は私たちをさらに別の空間に連れて行って下さった。そこでは、多くの大法弟子が山の上に立っていて、背丈もまちまちであった。私のように、高所ではなく、地上に立っている者もいた。夜間であるにもかかわらず、山中に分散している大法弟子たちは意念伝達で容易に意思疎通ができていた。人数は多いものの、マイクや音響機器を使うこともなく、彼らは離れたところでも会話ができていた」
彼女はこれは師父からのご啓示だと捉えた。「師父が私を弟子として認めて下さった証しだと思った。今はまだ理解が浅いけど、大法弟子の称号を大切にしているし、自分の使命を厳粛に受け止め応対していきたい」
師父の保護のもと、安全にアフガニスタンから出国
スペインに滞在中、現地の真相伝えの活動に参加しているシャヒさん(右端) |
2021年8月、アフガニスタン・イスラム共和国が崩壊した。「アフガニスタンを離れることにした」とシャヒさんは言った。
アフガニスタンからの撤退を振り返り、シャヒさんはこう言った。「当時、スペイン大使館はカブール空港の入り口の一つである『アビー・ゲート』に軍隊を送り、私と妹と友人をカブール空港内に連れて行きました。人の群れは缶詰のように混雑していた。彼らが分かりやすいように、私たちは要望通りの赤と黄色が互い違いになったスカーフとコートを身に纏っていた」
「私たちの居場所が分かるように、私は人ごみの中に立っている自分の写真をスペイン兵に送った。ふと、メディアの責任者が、壁際に立てば兵士に見つかりやすいと勧めてくれたことを思い出した。混雑が進む中、私たちは何とか真ん中から壁際に寄った。あまりにも込み入っていて、自分の足元さえ見えなかった。その時、群衆の中で爆発が起こった」
言葉では表現できないほど危険で悲惨な状況をすり抜けて、シャヒさん3人は死の一歩手前で無事帰還することができた。ただ、予定されていたカブール空港経由の避難は余儀なく変更された。
「メディア責任者の協調の下、私たち3人は陸路でイランに行くことにした」とシャヒさんは続けて言った。
イラン滞在中、シャヒさんは父親の家に2週間ほど滞在し、ヨーロッパへの渡航準備をした。その間、シャヒさんは家族に法輪大法を修煉し始めたこと、および大法の素晴らしさを伝えた。「母と姉に法輪大法を紹介するビデオを見せた。兄弟や末妹、そして姉もみな、修煉に興味を持ち、『轉法輪』も読んだ」
2021年9月、シャヒさんはポルトガルに到着した。「師父に見守られて、私と妹、そして友人はみな、無事にアフガニスタンから撤退した」とシャヒさんは感慨深げに言った。
生死は神による按排である
シャヒさんは、2016年に目撃したテロ攻撃の場面をよく思い起こす。「修煉を始める前の数年間、私はあることをずっと思っていた。『なぜ私は多くの悲惨な出来事から生き延びることができたのか? 私の命は犠牲になった人々よりも特別なものだったのだろうか? それとも、彼らには見守って下さり、声に耳を傾けて下さる高次元の神がいなかったのだろうか?」
「2017年7月のある朝、目を覚ますと、毒を持ったサソリが一晩中、私に危害を加えることなく枕の横に横たわっていたのを見たとき、私はこう結論付けた。『師父はすべての衆生の考えを洞察されているのだ。私の体験は、生死には神による按排があることの十分な証明となった』」
彼女は師父がこのようにおっしゃっているのを思い出した。「本当に正道によって修煉すれば、誰もあなたを勝手に傷つけたりすることはできません。それにわたしの法身に守られているので、何の危険も起こらないのです」。「借りがあれば、返さなければいけないのですから、修煉の途中で危険に出会うことはあります。しかし、そういうことが起こった時でも、あなたを恐怖に陥れ、あるいは本当の危険に遭遇させるようなことはありません」 [1]
「長年来、死が影のように私につきまとっていたが、その思い通りにはならなかった。師父が何度も何度も私を救って下さったおかげだと心の底から思った」と、シャヒさんは感慨深げに語った。
最後にシャヒさんはこう言った。「師父による保護がなければ、私は今日まで生きてこられなかったでしょう。私の命は大法から授かったもので、どんなことが起きても、私は修煉を諦めない」
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(完)