50年にわたる裁縫に対する執着心を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年6月16日】私は今年68歳で、1997年に法輪大法の修煉を始めました。 20年以上修煉してきましたが、裁縫への執着心はまだ完全に放下していません。小さい時から服を作ることに興味があり、高校を卒業すると、村のテーラーと一緒に村で縫製グループを立ち上げ、洋服作りを始めました。縫製が大好きで、夜遅くまで専門書で熱心に勉強しました。努力を惜しまずに取り組んだことで、素早く上達することができました。師匠は私のことをとても気に入ってくれて、すべての技術を伝えてくれました。その後、私は自分で裁断・縫製することができるようになりました。

 その後、縫製グループは解散されました。結婚後、自宅に裁縫グループを立ち上げ、数人の見習いを入れました。私は市場で顧客のサイズを測り、生地を家に持ち帰って加工し、次の市場の日に出来上がった洋服を顧客に手渡しました。出来栄えの良さから「あなたが作った服はよく似合う。とても気に入った」と言う人もいれば「あなたは信用できる人だよ」と言う人もいて、なかなかの評判でした。

 その後、軍人である夫の都市に移住し、ある縫製会社で働きました。工場長は私の才能を認め、現場管理の仕事を任せました。私は会社の上層部からも作業員からも信頼されました。

 縫製における仕事をしていると、どこに行っても人気者だったので、優越感に浸り、褒められるのが好きでした。また、真面目な性格なので、何をしても執着してしまい、特に裁縫に対する執着心が強かったのです。

 大法を修煉してから間もなくして「縫製することはとても時間がかかるし、布や生地が好きという心も執着心だ」と気づきました。それ以降、買わないように自分を制御していましたが「2、3元だけを使って生地を買えば、服を作ることができる。店で服を買うとしたら、何十元、何百元もするかもしれない。しかも自分の得意分野だし」となかなかやめられず、 親戚や友人、同修に次々と作ってあげました。私は相手の体のサイズを測る必要もなく、見ただけでだいたい当たりました。周りの同修のほとんどは私が作った服を着ることがあり、何枚も作ってもらった人もいます。喜んで「 好き」と言う人がいればいるほど、やる気が出てきました。 最後には同修から「学法する時間を無駄にしてしまうから、得ることより失うことが大きい。やめたほうがいい」と言われました。

 市場へ行く日は、大法の真実を伝える絶好のチャンスですが、気に入った生地を目にすると、手放せなくなり、見ていると時間がかかってしまいます。可愛い生地を見ると、好きになってつい何枚か買ってしまい、帰ってきてからさっそく作ろうとしました。時々、自分を制御できないことに後悔しますが、何度も繰り返し、とても悩んでいました。

 師父は、私が本当にこの執着心を取り除きたいと思っているのをご覧になり、同修を通じて私を悟らせてくださいました。同修は私に『轉法輪』の第六講の中の「主意識を強くもつべし」を暗唱するよう勧めました。私は暗唱している時、師父が「走火入魔」の中で「『ビルから飛び降りろ』と言われれば、飛び降りるし『水に飛び込め』と言われれば、飛び込んでしまうのです」 [1] と語られた内容を思い出しました。私はびっくりして、頭から冷や汗が出ました。「裁縫に執着して時間を無駄にし、大法弟子としてするべき3つのことをさせない。これは外部からの妨害ではないでしょうか? 私は何のためにこの世に来たのでしょうか? 大法を得るため、師父を手伝って法を正し、衆生を済度するために、何千年、何万年も待っていたのではないでしょうか? 必ずこの執着心を取り除かなければならない!」と決意しました。それ以来、私は時間を大切にし、市場やマンションに行って大法の真相資料を配布しました。

 マンションで配布する時、最初は5、6階のマンションから始めました。時には人心により正念が弱まり、身体が疲れてどんどん重く感じ、全身に汗をかいていました。

 そこで、私は内に向けて探し始めました。「神が配布していたら、それはどのような状態になるのでしょうか? 人心がなく、疲労もなく、軽快で飛んでいるように、一軒一軒の家を回って配布するはずだ」と思うと、自分には人心が働いていることに気づきました。私は発正念をし、疲れや面倒なことを恐れる観念、それに結果を求める人心を取り除きました。それらは、本当の修煉者ではないため、疲れるのは当然です。

 それに気づくと、正しい考えが出てくるようになり、観念も変わってきました。「衆生を救うと同時に、多くの業を消すことにもなりますので、すべて良い事ではないか?」と思った瞬間、身体の状態も急に変わり、さっきまでとても疲れていたのに、今は足も疲れず、軽々と階段を上るようになりました。

 師父のこのようなご按排で、私は一つ分かったことがありました。つまり、人心が働いているときの私たちの身体は、三界の中の人間という層の法理に制御されます。ですから、身体も心も疲労と苦しみを感じます。それに対して、法による正念は、神の念であり、私たちが正念を保っている時は、身体も神の状態に近いので、そのような身体には三界の苦しみは働かず、苦しそうに見えても、大法を実証する喜びを味わえるのです。

 現在、中共ウイルス(コロナ)が蔓延し、衆生を救助することは急務となっています。私は18階、さらに27階を上って大法の真相資料を配布することもあり、今も続けています。これ以上時間を無駄にしてはいけません。

 私は同修たちに言いました。「主意識を強く持ち、外からの信息に惑わされず、外からの妨害か、本当の自分かを見極めなければなりません」

 また、この出来事を通して、師父が望まれていることなら、私たちは行うべきだと思いました。師父は私たちにたくさんの法を教えてくださいました。私たちにとって、やるべきかどうか、 考えるべきかどうか、すべて大法で量らなければなりません。外からの信息に妨害されず、間違ったことをしないことです。目覚めなければ、後悔しても遅いのです。すべての事に、修めて向上するか、あるいは落ちてしまうかの可能性が存在するのです。法を正す最後の最後で、転んではいけません。

 二十数年間、弟子を見守ってくださった師父のご恩に感謝いたします。 私が修煉の道で転ぶたびに、慈悲なる師父は弟子を助けてくださり、まっすぐ歩かせてくださいました! これを書きながら、私はもう涙が止まりません。師父、これから必ずよく行います!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/6/11/444710.html)
 
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