文/江西省の大法弟子
【明慧日本2022年6月19日】1992年に法輪大法が世界に伝えられて以来、現在(訳注:2022年5月)すでに30周年になりました。天下の人が共に感謝するこの日に、私たち大法の弟子は偉大で慈悲深い師父に、千言万語でも言い表せないほどの感謝の気持ちを抱いています!
私は中国の大法弟子で、すでに20年以上修煉しています。こんなにも長年にわたる中国共産党(以下、中共)による法輪功学習者(以下、学習者)への迫害により、中共の邪悪な本質をはっきりと認識する善良な人々が増えてきました。善良な人々はみな強権に立ち向かい、あからさまにあるいは密かに自分にできることを行い、学習者を助け、保護し、正義と光に満ちた道を自ら選び、彼ら自身と家族に善報をもたらしました。
私の周りにはこのような善良な人々がいるのですが、紙面の都合上、ここでは代表的な話だけを紹介します。
一、学習者が家に帰れるよう保証した職場の党支部書記
20年前(訳注:2002年)、私が出産して病院から帰宅した日の午後、夫(同修)がベビー用品を買いに出かけたところ、途中で監視していた県の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官によって県公安局に連行されました。私は何も知らずに、生まれたばかりの赤ちゃんと2人きりで家で横たわっていました。私は出産後の小さい手術の傷口がふさがっていなかったので、横になっていなければならず、座ることはできませんでした。
暗くなっても、夫はまだ帰ってきませんでした。嫌な予感がして、私は急いで親せきに電話をしました。夫の叔母に連絡したところ、県の公安局が夫を洗脳センター(訳注:洗脳班)に入れようとしており、義父母がそれを阻止しようとしていることを知りました。もし本当に夫が洗脳センター(訳注:洗脳班)に送られたら、横になることしかできず、座ることもできない私のような体で、どうやって1人で赤ん坊を育てることができるでしょうか? 私は泣くに泣けませんでした!
翌朝、作業場の同僚がたくさんのプレゼントを持って、私と赤ん坊を訪ねてきてくれました。大法の修煉をしているために夫が連行されたと聞いた時、みな激怒し、すぐに職場の党支部書記のところへ向かいました。同僚は「これは北京に陳情に行くように強要しているのですか?! このような天の理があるのでしょうか? 人はどうやって生きていけばいいのでしょうか!?」と言いました。書記はあわてて上層部に電話をかけ、解放を求めました。書記はさらに自分と職場の名義で保証し「何かあれば私の職場で対応しますが、もし私の職場で何か問題が起こり、北京に行かざるを得なくなった場合、その結果は上層部も責任を取らなければなりません」と言いました。
書記の粘り強い努力の結果、上層部もようやく県公安局に電話して解放してもらうことになりました。書記はすぐに工場の保安課長2人を車に乗せて県公安局まで夫を迎えに行き、自ら私の家まで慰問に来てくれました。迫害が最も狂ったかのような最中に、書記は大きな圧力を受けながらも、学習者の家族が迫害されないよう最善を尽くし、私の母は、「書記はとてもよい人で、その恩情はずっと忘れません」と言いました。
このことによって書記にも福報がもたらされました。退職後、省の行政機関の職場に招聘され、以前の職場よりずっと良い待遇を受けました。
二、2人の工場長の善行
ある時、県の国保警察に不当に家宅捜索され、捜索令状には誰の署名もありませんでした(後で親戚から聞いた話では、国保警察の全ての手続きが違法というわけではないが、国保警察を告訴することもできた)。私たちが何らかの違法なことをしたことを見つけ出せなかった後、国保警察は地元の村民委員会や大家を脅し続け、私の家族がそこを借りることを許さず、私の夫が危険人物だと噂を流し私たちに引っ越しを強要してきました。
仕方なく、私は職場の上司に会いに行きました。工場長は「あなたは我が国の合法的な国民ではないですか? 彼があなたを引っ越しさせようとしたらあなたは引っ越すのですか? 合法的な国民に居住する権利すらないのでしょうか?」と言いました。工場長はすぐに村長に電話をしましたが、県公安局からのトラブルを恐れて、村長は私が引っ越すことを強く勧めました。工場長はどうしようもなく「私の力は小さいし、みんな私の話を認めてくれません。生産工場長に状況を話してみてください」と言いました。
そこで生産工場長に打診したところ、すぐに工場の保安課の副課長を派遣して、村長と直接やり取りをさせましたが、効果はありませんでした。工場長もすぐに村長に電話を掛けましたが、納得してもらえませんでした。
工場長は怒りながら私に「私たちは今、力を持たないこの拳のような存在です! 私は工場の責任者ではありますが、この1.3ムーの土地しか管理できないので、私の言葉は他人には何の重みもありません。書記に会って、相手と話ができるかどうか、職場の宿舎を借りることができるか、探せるかどうか聞いてみてはいかがでしょうか?」と言いました。
両工場長2人とも、中共の弾圧の雰囲気の中で、学習者の正義のために力を尽くしました。このような善行が両工場長に福報をもたらしました。私の職場が再編された後、他の職場に引き継がれ、多くの指導的地位が統合され、職場も遠く離れた場所に移されました。しかし工場長はそのまま責任者として残り、生産工場の工場長は自分で加工工場を立ち上げ、それが非常にうまくいっていると聞きました。
三、保安課長が学習者を保護した
私の職場には県公安局の人間がよく嫌がらせに来ましたが、保安課の2人の課長は、県公安局を避けられる時は避け、避けられない時でも無理な要求は直接断っていました。課長はいつも私に真相資料を要求して読み、私たちがみな真・善・忍を修煉する善良な人々であることを理解していました。
一時期、職場内の原材料の検査を私が担当したことがありました。入庫表に重量を多めに記入してほしいと購買担当者から要求され「袖の下として毎月2000元出しますから」と声をかけられました。当時は私も夫も数百元の収入しかなく、家賃や子育てもあり、経済的にはかなり厳しい状況でした。そしてこの2000元は私の収入の数カ月分に相当しました。
この大きな誘惑を前にして、私はきっぱりと断りました。それは私が真・善・忍を修煉している者であり、いんちきをして人をだましたり、公益を損ない私腹を肥やすようなことは到底できないからでした。その購買担当者から何度かアプローチされましたが、私はいつも断りました。その後、その購買担当者は法輪大法がどんなものなのか知りたいと言い、自分を向上させるために読むべき資料はないかと尋ねてきました。その購買担当者が真相を理解し救い済度されることを願い、私は迷わずその購買担当者に資料を渡しました。
ある日、保安課長が近づいてきて「誰かがすでに通報してしまった、誰にでも真相資料を手渡したりしないように」と言い、その問題となった真相資料も保安課長のところにありました。誰が通報したのかと、私はずっと考えました。最近、ある作業場の主任に真相資料を見せたところ、とても喜んで読み、さらに友人にも伝えてくれたので、その主任が私を通報することはありえませんでした。
私が思い出せないでいると、課長から「あの購買担当者です」と言われました。その時私は初めて気がついたのですが、以前からその購買担当者が真相資料を読みたそうにしていたので、まさかその購買担当者だとは思いませんでした。私はその購買担当者が真相資料を読んだ後、真相を理解し、二度とあのような徳を欠くようなことをしないことを心から願いました。まさか通報されるとは思いませんでした。私は保安課長に、あの購買担当者が私を通報した本当の理由を話しました。課長からは「今後、このような利に目がくらんで道義を忘れるような人に資料を渡さないように気をつけてください」と念を押されました。私は保安課長に大変感謝しました。
また2人の保安課長は職場が再編された後も課長として引き続き留任しました。副課長はよその地区の人で、私たちのところには家がありませんでした。その後、福報を得てよその地区の人には買えないような手頃な価格の住宅を購入することができました。私たち夫婦はその副課長のためにとても嬉しく思いました。
(続く)