【慶祝513】善は法の中から生じ、知恵は法の中から生まれる(一)
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2022年6月21日】法輪大法を学ぶようになってから、師父は私にとても多くのものを与えてくださいました。 大法は私の知恵を開き、私を若く健康にさせました。私は寛容で広い心を持つようになり、名声や富に無頓着で、楽観的で毅然とした生活を送るようになりました。

 一、知恵が開かれ、思い通りに対応する

 私は以前、ショッピングモールでトレーナーの仕事をしていました。ショッピングモールに入っているのはほとんどが一流ブランドでした。あるブランドのデザイナーは、国内の一級都市でデザインをしていた経験があり、幅広い知見を持っていました。彼女はフロアマネジャーに、「たくさんのレッスンを受講しましたが、印象に残るものはあまりなかったのですが、こちらのA先生(私のこと)の授業はとてもためになります。生き生きとしていて面白くて、人の心を感動させます。 彼女は何でも知っている気がしますが、どうしてこんなに知識が豊富なのでしょうか。大学をいくつ通っていたんでしょうか?」と言いました。

 またある日、レッスンが終わった時、ある男性が演壇に近づいてきて、「いい話ですね、実用的です。従業員だけでなく、社長にも聞いてもらいたいです。私はあるブランドのディーラーです。」と話しました。

 その後、私はある百貨店の人事部長兼トレーナーとして就任することになり、まずは管理職を対象に1回目のレッスンを行いました。 参加者に1人の副総支配人がいて、第一線の都市から来て、経済師の資格を持っていました。彼は、「これまで何々大学(中国の有名大学)の教授方と一緒にいることが多く、彼らの講義をよく聞いていましたが、こんなに新鮮な話は聞いたことがありません。A先生はどんな学歴を持っていますか?」と尋ねました。

 私の学歴は何でしょうか? 私は高校を卒業しただけです。もし法輪大法を修煉していなかったら、大法の中で知恵を出し、知慧を開くことができなければ、私にはとてもできないことで、これらの職に応募するはずもありません。

 私が働いた会社ではトレーニングの資料を提供していませんし、何をどのようにトレーニングするかを教えてくれる人もいません。私は実際の状況にあわせて、自分でトレーニングの受講内容を作成しています。いくつかの大手ディーラーは自分の管理チームを持っていて、あるディーラーのマネージャーは私のところに来て、 「先生はどの本を参考にトレーニングしていますか? A先生の話がよかったとスタッフは大反響でした」と聞いてきました。私は「私の机の上にトレーニングに関する参考書は置いてありますか? ここにはパソコン1台しかありません。教材はすべて授業前に自分で書きました」と言いました。ほかの販売店のトレーナーの方も私の作った教材を見に来て、「私たちのスタッフは先生の授業を聞くのが大好きです」と言ってくれました。

 私は絶えず新しい内容の教材を作ることができて、自分も不思議に思っています。私は一般のサイトはほとんど見ずに、資料を探す時に一番よく見るのは明慧ネットです。明慧ネットはまるで宝石箱のようで、様々な伝統文化の物語や明慧週刊などは、私に豊富な素材を提供してくれました。そのほかに私は正見綱や大紀元もよく見ていますが、そこから得るものも多いのです。これらは人々が私の授業が目新しくて、心の感動を感じる根本的な原因だと思います。これらは全て大法の修煉に由来するものです。

 その後、私はチーム作りに関するコースに参加し、いくつかのトレーニング講座でアシスタントコーチを務めました。その時、市の公務員の数十人が参加する2日間の研修プログラムがあり、彼らを10人以上のグループに分け、各グループに1人のアシスタントコーチをつけました。

 初日の午前中の講座終了後、各グループのメンバーが集まり、一緒に昼食を取ることになりました。メンバーたちは、受講後の感想を述べ始め、講座の批評、個人攻撃にまで発展するようなりました。幼稚で下品な講座だという人もいれば、受講する人が神経質になるとか、このような講座はお金を騙していると言う人もいました。また講師陣に対する軽蔑と嫌悪を明かす人もいました。彼らは皆、自分たちをエリートと自認していました。彼らの中で性格の穏やかなDさんだけが、雰囲気に違和感を感じ、「先生、悪く思わないでください。私たちは先生にねらいをつけて言っているのではなく、授業を聞いて本当に感じたことを言っただけなんです」と言いました。

 激しい争いに直面したとき、彼らと正面から戦うのがいいのか、それとも礼儀正しく、寛容で、賢明であるのがいいのでしょうか?

 修煉する前の私はとても負けず嫌いで、雄弁で口が達者で、威圧的で攻撃的な態度を取ることが多く、「とげのある薔薇」と呼ばれていました。修煉してからは知らないうちに大きく変わりました。雄弁だったのが、冷静になり、沈着で反論しないようになりました。

 私は師父の説法を思い出しました。「平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです。日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません」[1]

 私は微笑みながら一人一人を見回し、彼らの気持ちは理解していますが、彼らの意見は賛同できないと言いました。私は、「皆さんは自分の考えを持っており、思慮深く洞察力に富み、何事にも盲目的に賛成しないのはとてもいいことです。私は皆さんの気持ちについて十分理解できます。 私もこのコースに出会った頃は、皆さんと同じように、疑問を持ち、理解できず、受け入れられず、拒否するところもありました。 しかし、その後、私は自分が間違っていることに気づきました。 皆さん、自分の観念はいったん置いておき、批判せず、とにかく体験してみると、何か違う発見があるかもしれません」と言いました。

 翌日の午前、チーム戦の後、グループでみんなで感想を話し合いましたが、その場に役員たちも出席していました。Sさんは役員たちに「このアシスタントコーチの方は、本当に優秀な方です」と言い、私には、「先生の意見には賛成できないところもありますが、先生については人として本当に尊敬しています」と言いました。

 Sさんは誰にでも逆らう、30代のひねくれ者です。ルールを守らず、好き勝手なことばかりをしていました。 左折しろと言われれば右折し、目隠しをしなければならない時に、アイマスクを投げ捨ててしまいます。トレーニングは子供の遊びのようにみなし、時にはふざけてしまうこともありました。 でも、彼は面白い一面もありました。 昼休みの時Sさんは私に「先生はすごいですね、人を簡単に従わせるんですね。 このトレーニングで一番有意義なことは、先生と知り合ったことだと思います」と冗談半分に言いました。メンバーのDさんは、「そうね。先生はいつも急がず、聞き手が受け入れやすいように、一歩一歩よくわかるように道理を教えてくれていますね」と言いました。また年上のMさんは「先生は本当に菩薩のようで、人を素敵な気持ちにさせています」と言いました。

 修煉する前の私は、気が短く、言葉もキツかったのですが、修煉してからは冷静で言葉も穏やかになりました。 普段は口数が少なくても、パワーがあり、まるで相手を突き通すような力を持っているようです。 それは多くの人にもこう言われています。「A先生は演壇に立つと存在感が溢れ、授業全体をしっかりコントロールでき、どんな人やシーンに直面しても、思い通りに対処できるようでとてもカッコいい」

 私は誰に対しても謙虚で礼儀正しく接しています。 高官であろうと一般人であろうと、すべての人に平等に接していて、一人一人を大切にしています。全ての生命の出所は単純ではないと思っているからです。 師父はこのようにおっしゃいました。「世人は本来天上から来て大法を得るため、迷いの俗世に入った」[2]

 私はみんなによい未来が来るようにといつも思っていました。そういう優しさがあるからこそ、私の言うことも受け入れてもらいやすいのかもしれません。

 二、心静かに、脱俗する

 誰もがあまり知らないある集まりで、ある気さくな女性が私に「あなたは30代ですか?」と尋ねてきました。私は「三十何歳どころではないですよ」と答えました。彼女はとても真剣な顔で「あなたは一体三十何歳ですか」と聞きました。「私はもう50歳です」と答えると、彼女は私に白目をむきながら、「どうして私にごまかすのですか。言いたくなければ言わなくていいですよ」と言いました。

 実は私はもう50代前半です。私は普段、自分の年齢を言うのがあまり好きではありません。なぜならそれを聞いた人は「え? そう見えない、全然そう見えない。そうなんですか?  とても若い!」と驚いたり、「歳月はあなたの顔に何も残していないですね」と言う人もいました。中には「エステに行っていますか? それともジムにでも通って体を鍛えているのですか? あるいは……」と聞く人もいて、「何もしていません」と答えると、「では、若さを保つために一体何をしていますか? 若さを保つことはもう夢ではないですね」と感嘆しました。そうですね。確かに「若さを保つことはもう夢ではない」という言葉は過言ではありません。

 師父はこうおっしゃいました。「性命双修の功法では、見た目には実際の年齢とずいぶんかけ離れて見え、外見からは人に若い感じを与えます」、「これは冗談ですが、若い女性はどうしても美容に気を使い、肌の色をより白くつやのあるものにしようとしますが、実は、性命双修の功法を本当に修煉すれば、おのずとそうなりますので、手入れをする必要もないことを保証します」[1]

 神韻を見ることで、私の服装についてのセンスも高まりました。色を巧みに組み合わせる着こなし方を知ってしまったので、シンプルで余裕のある着こなしができるようになりました。 ある人は私のことを純粋でエレガントだと言い、またある人は私のことを親切で賢く高貴な知的女性だと言います。 これが修行者のスタイルで、大法弟子のスタイルだと私は思っています。 私は伝統的な倫理や道徳を守り、身も心も清らかで、感情にも左右されません。

 (続く

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志师父诗词:『洪吟四』「迷いの中の門を開く」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/20/442280.html)
 
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