怨恨心を取り除き 魔難が一つずつ消えた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年7月1日】近年、同修の文章は、恨みや不満を取り除くことに関する交流内容のものが多くなっています。こういった文章は同修の皆さんが大いに気づくことができ、私もうれしく感じます。中国本土の人々は邪党の「恨み」の要素に影響され、互いに争ったりして、かんしゃく持ちで、子どもの教育においても励ましの言葉は少なく、むしろ打撃を与えることが多いように思います。皆が子供の頃から大人になるにつれ恨みや不満を沢山溜め込んでいるため、修煉者にとって、この怨恨心を取り除くことは非常に重要なのです。私は修煉する中で、特に2015年頃、怨恨心を取り除くための魔難の中で、そのことがピークに達していました。その時期、現地の常人の言葉を借りれば、「水を飲んでも歯に挟まる」ということです。つまり何をやってもうまくいかず、一連の苦労を経験しないとやり遂げることができませんでした。私は毎日ため息をつき、「どうして私はこんなに運が悪いのだろう」と心の中で叫んでいました。

 2012年、私が主要な技術者として苦労を重ね、同社初のエスカレーター生産ラインを立ち上げたことは本来、高く評価されるべきでした。その時、生産ラインの作業時間に目標が設定されました。生産ラインの目標が認められていれば、労働時間が短縮されるため、当時の受注量に応じて残業をしなくても済むわけで、会社にとっては有益です。しかし、工場長は個人的利益のために、生産ラインの目標を否定して、従業員に目標に協力しないように指示し、労働時間を意図的に引き延ばし、正確な労働時間を計測することができませんでした。目標に対してどれだけ実現出来るかは、すべて彼らのコントロールの下にあります。私は仕方なく、どうすることもできませんでした。幸い、部長も私がこのラインを作るのは容易ではないことを知っており、私を責めることはありませんでした。修煉者としては、功績や利益を求めないので、自然に任せました。

 2014年には、グループ内で1カ月間のインダストリアルエンジニアリング研修を受講し、修了証書を授与されたことは、グループ内にとっても大変光栄なことでもあります。私に与えられた課題の一つは、生産ラインの目標を改善することでした。数カ月間の努力の末、さらに多くの改良を加えた生産ラインができましたが、実際に測定してみると、再び以前と同じような問題にぶつかり、工場長は相変わらずの態度で、私は倒れそうになってしまいました。修煉者は、常人の損得を気にしませんが、今回、目標に達成しなかったら修了できないし、グループ内の部長にも影響を及ぼします。恨みや悔しさが津波のように押し寄せてきて、10回以上、仕事を辞めたいと考えました。しかし、心の中では、「こんなにいい仕事をして、たくさん貢献してきたのに、不当な扱いを受けた。本当に最悪だ」と諦めたくない気持ちもありました。法理上で悟っても、どうしたらいいのかわからなくて、最終的に「修了証書を取得できなければ、辞めよう」と思いました。

 ほぼ最終の段階で、事態が劇的に変化しました。工場長が作業員から賄賂を要求したことで、突然解任されました。部長が現場の責任者を兼任することになり、妨害が排除されたため、生産ラインの作業時間の目標も簡単にクリアできました。私は無事に卒業し、この成果ですぐに主任に昇進しました。しかし、心性の向上によって魔難を乗り越えたのではなかったので、魔難はまだ続いていました。その後も、やはり何をやってもうまくいかず、ただ仕事を辞める必要がなくなっただけでした。

 私が担当した数カ月にわたるプロジェクトは、かなり難航して様々な紆余曲折を経ました。最大の特徴は、遅延の原因は誰の意図的な努力不足でもなく、つまり誰のせいでもないことです。プロジェクトがようやく完成したとき、会社の支払いサイクルがまもなく段階的に終了し、処理時間が2時間しかないという状況に直面し、相手の会社も不安を感じました。その時、私は「どんな嫌なことが起きても、文句一つ言ってはいけない、修煉者としてこれをクリアしなければならない!」と自分に言い聞かせました。

 支払いの申請を始めたら、突然、支払いシステムが故障してしまいました。今回、私は本当に不満がなくなり、慌てて管理部門に連絡をとり、直してくれましたが、30分が経過し、支払いはあと1時間半しかありませんでした。その頃、支払い手続きが承認されるため課長に回されましたが、課長はあいにく会議に出ていたのです。大事なお客様との会議を邪魔するわけにはいかないと思い、心を落ち着かせて待っていました。幸いなことに、30分後に課長の会議が終わり、承認が完了しました。次は部長の承認ですが、部長を探し、見ると、部長は工場に向かっているところでした。現任の部長は外国人なので、追いかけて呼ぶわけにはいかないと思って、もう少し待つしかありません。ちょうどその時、部長が帽子を取りに戻ってきたので、急いで駆けつけて承認してもらいました。最後に財務担当にすべての請求書を渡しますが、急ぎなので、事務員には頼まず自ら持って行きました。財務担当は「請求書が整っていません。今忙しいので、事務員にきちんとしてもらってもいいですか?」と言いました。あと30分しかない、普通の人ならここで、怒りが爆発するところですが、私は何も言わず、自分の部署に走って戻り、事務員に請求書を整理してもらいました。再び財務担当のところに戻り、支払いはギリギリ時間内で決済しました。

 この2時間の試練を、私は修煉者の角度からはっきりと分かっていながら、淡々と乗り越えることができたので、とても嬉しく思いました。つまり、醒めている状態で不平不満の心を一掃することができたのです。このことの後、同修は私を見て「ずいぶん変わりましたね! 顔に赤みがさしています」と言ってくれました。私は「そうです、自分も感じました」と答えました。私はそれまではずっと、不健康そうな顔をしていました。

 その後、私の心性は大きな変化がありました。一見大きな魔難のような困難に遭遇しても、心が動じなくなり、魔難が一つ一つ消えていきました。 例えば、上司から課題の目標を与えられ、達成できないとすぐ分かりました。しかし、私は文句を言わずに、心が動じることなく、ただ行うだけでした。やがて、その課題が取り下げられるか、あるいは上司が課題を言及しなくなり、魔難は自動的に消え去りました。この体験は、ある同修の夢に似ています。夢の中で、同修は前を飛んでいて、目の前に高い山がありますが、動ずることなく飛び続けると、山は自動的に消えました。さらに前を飛ぶと目の前に扉が立っていたのですが、心を動ぜずに前進すると、扉は自動的に開きました。しかし、壁に出会うと、同修は「これを通れるのか?」と不安を感じました。一度心が動じたら、本当に通ることができませんでした。実は、多くの試練は心が動じるかどうかを見るものであり、動揺しなければ何も起こらないのですが、いったん動揺すると厄介なことが絶えなくなるのです。

 ここでもう一つの不平不満について言及しますが、この種類の不満は対象がなく、つまり運が良くないことです。責める対象がいないので、まるで天に対して不満を言っているようなものです。天に対して不公平だと文句を言うのは、もっといけないことです。他人に対して文句を言うのは、人間に対して不愉快な思いをすることですが、天に対して文句を言うのは、神に対して不敬なことをするに等しいのです。一部の魔難は、人々の業力を消去し、修煉者を向上させるために神が用意したものであり、逆にその道理をわきまえず、神を恨むのはもっといけないことです。

 以上のような修煉の道を経て、今では「水を飲んでも歯に挟まる」ことはなくなりました。実際、まだ時々厄介なことはありますが、不満を言わなくなったので、なくなったような気がします。ふと、師父が『轉法輪』の中で説かれた説法を思い出しました。「怖くなればなるほど、本当に病気にかかったような気がしますが、その心こそ取り除かなければならないものです。そこから教訓を学ぶことによって、あなたは恐怖心を根絶し、高まってくるのです」[1]

 魔難の中で、弟子に不平不満を言う欠点を取り除かせて下さり、修煉の道を進むことができるように、苦心して按排して下さった師父に感謝いたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/6/10/444673.html)
 
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