私は仲間の同修を裏切った
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文/山東省の大法弟子 

 【明慧日本2022年7月15日】この出来事から6年以上経過しましたが、今でも私の心には大きな岩の様に重くのしかかっています。私は今日この出来事を暴露し、同修のみなさんが私と同じ過ちを繰り返さないように望みます。

 その年、私は同修と真相を伝える活動をしていたところ、真相を知らない人々に囲まれ、警察署に連行されました。私が最初に警察署に到着した時、私は警官たちに何を聞かれても協力せず、ただ真相を伝え、中国共産党(以下、中共)の勢力が科したすべての罪名を拒否しました。しかしその後、自分の仕事を失うことへの強い利己的な恐怖心が湧き始めました。私の同修である妹も逮捕され、妹は国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関、以下、国保)の隊長に真相を伝えました。妹は「国保の隊長はとても良い人で、私達が口供(こうきょう:事実や意見を口頭で述べること)を録音し終われば、明日には家に帰ることが出来ると言っていました」と言いました。私は家族に対する執着心を持っており、法に則って問題を見たり、師父に助けを求めたりはしませんでした。私たちはみな妹の話を信じました。実際には隊長は狡猾で、私たちは隊長の悪意のあるトリックを見破ることができませんでした。私たちは騙されて、翌日留置場に送られました。

 前日、私たちが尋問された時、警官と国保が最初に私を尋問したことを覚えています。私は何も認めなかったので、隊長は「何も問題がなく口供を録音すれば終わる」と私に言いました。そこで私は隊長たちに協力して記録を取りました、本当は何も協力してはならないはずでした。当時、私も急いで留置場を出たいという心があり、自分は法に則っていると勘違いしていましたが、実際は邪悪に利用され、師父の話を聞きませんでした。

 後で口供の記録を読んだ時に初めて間違っていると感じましたが、その場で口供の記録を否定することができず、署名してしまいました(その後「厳正声明」を書いて明慧ネットへ送信した)。同修・妹は、不当に勾留されてから1カ月後、不当に裁判が開かれました。私も傍聴に行ったのですが、検察官が私の名前をも読み上げたのが聞こえ、資料は私からのものであることを検察官が実証した、と言いました。その後、妹は判決を受け、恐怖で出所後は大法を学ばなくなり、私は悲しくなりました。

 昨年(訳注:2021年)の1月、私は口を修めないことへの罪について言及した、明慧ネットの同修の文章「口を修めることと信頼の基準」という文章を読みました。同修は「誰と親しいのか、親しい人は必ず信頼できるのか、信頼の基準は何なのか」と語っていました。また「とても心痛ましいことでした。当時、Dさんを売るつもりはなかったのですが、警察は巧妙な話術で、世間知らずで臆病な私に、警察は何でも知っていてDさんの情報をとっくに把握していると思わせました……。当時の状況がどうであろうと、私の考えがどうであろうと、私がDさんを裏切ったことは事実です」と語っていました。裏切ったことによって多くの同修がひどく迫害されました。

 同修(訳注:明慧ネットの文章を書いた同修)の言葉に頭を打たれたかのように、私は目が覚めました。私自身の行動もこの同修と同じではありませんか? 妹の迫害は私とは何の関係もないのでしょうか? 私がいわゆる口供を録音していた時、恐怖心から、警官たちの脅迫と利益による誘惑の下で、資料がどこから来たのかを尋ねられた時、私は正念を保ち質問に答えるべきではありませんでした。しかし、その時は頭が甲羅のようなものに覆われているかのようで、どう答えて良いか分からず、警官はその状況を利用して「資料は妹さんからもらったんですよね?」と聞きました。私はそれを否定しませんでした。これが妹が迫害をされるきっかけとなりました。そして、これは私の修煉の道において、決して消すことが出来ない汚点となりました。

 同修は文章の中で「誰と親しいのか、親しい人は必ず信頼できるのか、信頼の基準は何なのか」と言いました。妹と私はとても親しいですよね? 私は信頼できますか? 今考えてもいまだに涙が溢れ、師父の弟子として、姉としてとても恥ずかしいのです!

 妹はいまだに(大法に)戻ってきておらず、私は大きな責任を感じています。いつかこの事を書き留めて公開したいと思っていましたが、妨害が大きかったのです。この同修の文章を見てから1年以上経った今、ようやく書き終えることが出来ました。師父、お許し下さい! この遅れた悔悟(かいご:今までのことを悪かったとさとり、悔いること)がいくつかの間違いを埋め合わせる事が出来ることを願っています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/7/1/445625.html)
 
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