怨恨心を修め、病業の虚像が消えた
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2022年7月18日】数年前、突然リューマチの症状が現れ、手足がしびれて痛み、関節が変形して両足が地面につかず、動きが困難になりました。内に向けて探し、闘争心、嫉妬心、求める心、恐怖心、顕示心、歓喜心などを見つけましたが、身体の病業状態は変わりませんでした。

 ある夜、寝ていて、目が覚めると、ふと生前の父のことを思い出しました。母は早死にしたために、父は近くにいた未亡人と再婚して新しい生活を始めました。我家はそれまでの平穏を失って、継母はいろいろなやり方で騒ぎ、父はまるで別人のようになってしまい、家の中でどんなことが起ころうと、何事もなかったかのように平然としていました。特筆すべきは、この継母が家の中の品物をこっそり持ち出したことで、父は私たちの仕業だと断定したことです。激しい喧嘩の後、継母は、人の目をかくすために、「かまどの神様」の前で紙に火をつけて、私たちを呪って、私たち夫婦をたいへんイライラさせました。私たちはこれからどうやって暮らしていけばいいのか分からず、この抑圧された環境の中で、私たちは常に涙を流し、彼らへの恨みは日増しに大きくなり、もし大法の修煉をしていなければ、これから一生、彼らを許すことはなかったでしょう。

 過去に親と葛藤の中から、親に傷つけられたり、不当な扱いを受けたりした記憶が頭の中にありましたが、自分たちが言ったこと、やったことを本当に検証することはなかったのです。大法を修煉してからも、これらの問題についても内に向けて探したことがありませんでした。それで、自分自身に問いかけてみました。自分にも法に合っていないところがあるでしょうか? 私たちの言動が相手を傷つけたことがあるのでしょうか? 私たちは、相手の立場に立って考えたことがなく、彼らが私たちに与えた害を許したことはありません。それでも私たちは、自分が常に正しいと思っているのです。

 この時、いつもと違う考え方で自分を見つめ直すと、ふと自分にも大法に合っていないところがたくさんあることに気づきました。いつも自分が傷ついていると思っていて、怨恨心に駆られた言動が、争いをエスカレートさせる一因にもなっていることに気づきませんでした。

 父と継母のことを考えてみると、男と女がそれぞれ一人で生きていくのは大変で、彼らの二度目の結婚は、後半の人生を互いに支え合うためのものです。上記の家庭内紛争では、彼らのことを考えたことがなく、常に物事の表面の正否の中にいて、自分に対して不公平で、自分の観念に合わない時、心の中は不快になって、甚だしきに至っては恨みさえ生じていました。今になって、長年の間、この問題についてずっと深く反省することなく、実に自分を修めていなかったことに気づきました。

 心を静めて反省して、自分自身の問題を見つけた後、心が妙に苦しくて、むせび泣いて、そして遅きに失した後悔がありました。ここで、私は心から二人の天にある霊に深いおわびをして、過去に犯した過ちと彼らに与えた害を許してくれることを願いました。

 修煉の角度から見て、一つの生命がかかわっている歴史的なつながりは復雑で、つかみにくいものです。以前は私たちに不快感を与え、傷つけたこともありますが、それは因縁があるのですから、もしかしたら彼らは前世で私にもっと酷い目にあわされたかもしれません。人は感謝の心を持たなければならず、両親が私達を育ててくれたことに感謝すべきです。もし両親がまだいるならば、私は観念を変えて、彼らの立場から考え、真の善で彼らを理解します。

  私の心が一転すると、突然一種の慈悲と平和の場が内から外へ、とても心地良く、暖かく、内心は一度もあったことがない気楽さ、穏やかさと落ち着きで満たされました。心の底に残っていた父への恨みが一瞬にして解け、リューマチの症状も消え、手足が健康に回復しました。

 この事を通して、私は悟りました。私が本当にあの心を修めたいと思ったからこそ、師父はやっと啓示してくださり、以前長期にわたって悟らなかった問題をはっきりさせることができました。私は内に向けて探すことの素晴らしさも体験することができたのです。そして、憎しみがなくなると、真の善が現れたのです。

 法を正す勢いはまもなく現れ、残された最後の貴重な時期に、私達は更に努力して三つのことをしっかり行い、より多くの衆生を救い済度し、使命を負って誓約を果たし、師尊に満足のいく答えを出し、師尊がほほえんでくださるように努めなければなりません。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/4/21/441508.html)
 
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