文/中国貴州省の大法弟子 清清
【明慧日本2022年8月1日】私は貴州省出身で今年56歳の女性で、長年寮管理の仕事に従事しています。私が大法を修煉し始めたのは、2017年からです。一度、心性の関を乗り越えた時の体験を話してみたいと思っていました。この体験を経て、私は修煉の道のりで大きな一歩を踏み出すことができたからです。
1996年に両親に会うために実家に帰ると、父の職場で多くの人が煉功しており、父と姉も煉功をしていました。煉功音楽を聴いたとき、大自然の中に入り込んだようで、とても心地よく、リラックスしました。姉がこの功はいかに素晴らしいかを教え、私に煉功するように勧めてくれたのですが、私は応じませんでした。
2017年になって、私と夫は息子を連れて、省都の眼科に診てもらいに行った時、従姉の家に行きました。従姉は、床に自分の寝場所を作ると、私と息子に自分のベッドを使わせました。その時、私の義母が脳血栓で寝込んでいることを聞いた従姉は、法輪功を修煉して病気が治った事例が書かれた資料を持ってきて、「帰って、お義母さんにこれを読んであげなさい。あなたの家の近くにも煉功場(功法を煉功している場所)がありますよ」と言ってくれました。
その日、従妹の家で初めて『轉法輪』という書籍を見ました。書籍の中の師父の写真を見たとき、この師父はどこかで会ったことがある、親しみを感じる人だと思いました。従姉は法輪功とは佛家の高徳大法であり、修煉するためのものだと紹介してくれました。私はそれを聞いた瞬間、「私が求めていたのはまさにこれだ!」と思いました。子供の頃から神仏を崇拝していた私は、自分を救ってくれる大きな神が地上に下りて来るのを常に願っていましたが、今ようやくその神に出会うことができたのです。
2日後、私は従姉からもらった資料を義母に読んであげるうちに、法輪功に対する理解がさらに深まり、煉功場に行って煉功することにしました。ところがその前日、夕食後に食器を洗おうと、ドアを開けた瞬間、転んで片足を挟んでしまい、もう片方の足のかかとが前向きになってしまいました。私は、あまりの痛さで涙が出ました。翌朝、左足の内側全体が紫色になり、歩くのも痛かったのですが、それでも私は煉功場に行きました。
しかし、煉功場には誰もいませんでした。その後知ったのですが、同修たちは師父の講法録音を聴く聞くために、別の場所に行っていたのです。
翌日、みんなに会い、私は正式に煉功を始めました。1カ月煉功したころ、長い間悩まされていた胃や腸の痛みが消え、関節痛もなくなり、B型肝炎で時々起こっていた腹痛も再発しなくなり、顔も徐々に赤みがさし、歩くのも軽やかになり、あまりにも不思議なことでした。
法を学んでから、なぜ自分にそのような魔難があったのか知りました。それらはすべて、自分が正々世々で作り出した罪業だったのです。私が修煉すると、それらにはもう手が届かなくなるため、私が修煉出来ないように妨害していたのです。
身体が変わっただけでなく、考えも昇華しました。人と人との触れ合う中で、法の要求に従い、人を先に自分を後にし、矛盾に遭遇したときには、まずは我慢し、その後、他人を傷つけていないか、また何の執着によって引き起こされたのかを見極めました。
一度同僚とトラブルになったことがあります。私は他の2人と一緒に、一棟の学生寮の管理を担当しています。彼女たち2人のうちの1人は班長です。ある日のこと、2人は主管と少し揉めたようで、夜中の1時に電話がかかってきました。「私たちは辞めるけど、あなたは辞めないの?」と聞かれました。理由を聞くと、当時、他の建物でもライトを消していないところがあったにも関わらず、彼女たちが管理している学生寮の消灯が2分遅れたとして、主管が我々の建物の消灯が遅れたと指摘したために、主管と口論になったと言いました。
私は、「私は今、ローンを払っているので、この仕事が必要なのです 」と伝えました。彼女たちは 「それなら、あなたはやり続けて!」と言いました。
翌朝7時過ぎ、急いで建物管理マネージャーに電話をしました。私は、彼女たちがいかに責任を持って仕事をしていたか、建物管理会社がこの学校の管理を引き継いたばかりなので、責任感のある有能な管理人が必要です。だから彼女たちを辞めさせないでほしい、と伝えました。すると建物管理マネージャーは、「後で、楊先生(学校側の主管)と一緒に説得に行ってみますね」と言いました。
夜になって、私は2人のうちの1人に「いつ頃辞めるのですか」と聞くと、「会社側から15日経ってから辞めることができると言われた」と言いました。「それはよかったですね」と私は言いました。なぜなら彼女たちは、この寮管理の仕事が大好きだったので、この15日間の間に冷静になれると思ったからです。
翌朝、私は主管の所に行って、「仕事の安定のために、彼女たちと直接会って、辞めるのを止めて欲しいのです」と伝えました。私が寮に戻った時、当番の人はもういませんでしたが、1時間後、寮の外から彼女たちが、こちらに向かって歩いでくるのが見えました。私は挨拶しようとしましたが、彼女たちは顔を反対に向けており、顔つきが暗かったので、私は声を発することが出来ませんでした。それは自尊心のせいでした。
しかし数分後、そのうちの一人が、すごい剣幕で私にこう言いました。「清姉さん、どういう意味なの? 私達がまだ辞めると言ってないのに、あなたはもう、私たちに声をかけなくなりましたね。あなたは元々こういう人だったんですね! 私たちに離れて欲しいと思っているなら、私たちはわざと離れませんよ! あなたがどうするか見てみたいね!」。それを聞いたとき、私は本当に困惑してしまいました。どうして彼女らを怒らせてしまったのか分かりませんでした。私は、「本当にあなたたちが辞めずに残っていてほしいのです」と伝えましたが、2人とも私の話をまったく聞こうとはせず、すぐに去って行きました。私は2人にもう一度はっきり説明しようと思い、彼女たちの後を追って行きましたが、私を見るとすぐに立ち上がりそこを去って行きました。そのため、私が話す機会は全くありませんでした。
当直室に戻った時、私はきっと「誤解」だと思いました。10分ほど経ってから、私はもう一度彼女たちの傍に行って声をかけようとしました。ちょうどその時、また別の管理人もそこにいました。班長は頭を高く上げ、「離れて! あっちに行って!」というジェスチャーをしました。それでも、私は彼らの傍に行きました。「私に何か間違っていたら、教えてください。あなたたちはやはり残って下さい」と伝えました。すると、隣りにいた普段から彼女たちと仲良くしている東館の管理人が、突然「彼女たちが離れると誰が言ったの? 彼女たちはみんなやり続けるつもりだよ!」と、とても強い口調で言いました。さらに、班長は再びすごい剣幕で「私達に離れて行ってほしいと思うなら、意地でも離れないよ! この寮ビルにあなたが残れば、私たちはいないよ」と言いました。また班長は私に、「出て行け」とジェスチャーしました。その顔の表情は、非常に醜いものでした。
班長と一緒にいた楊主管は、この時もう我慢できなくなり、班長の肩に寄りかかって笑いはじめました。その時自分が彼女たちの前で、彼女たちに嘲笑われ、侮辱されているピエロのような気がしました……。
その時、私の頭の中に、師父の説かれた次の言葉が浮かんできました。
「修煉する人
自らの過ちを探し
各種の人心取り去ること多し
大なる関小なる関、落さんと想ふべからず
正しきは彼
過ちは私
何を争ふものか」[1]
そうです! 私は、彼女たちと何を争っているのでしょうか? きっと「誤解」に違いありません。
翌日、彼女たちは会社の事務室に行って騒いでいました。再び彼女たちは、「彼女(私のこと)が残るなら、私たちは残りませんよ。彼女が離れて行くか、私たちが離れて行くか」と言っていたのを聞いて、私はどうして常人達とこんな関係になってしまったのだろうと思うと、悔しさと自責の念で涙が溢れました。私は大法弟子で、私の職責は人々を救うことなのに、自分の何らかの執着のせいで、衆生を台無しにすることができるでしょうか! 彼女たちはすでに真相を聞いたことがあり、班長は三退もしているのです。
一体何をしたせいで彼女たちを傷つけてしまったのか、私は再び探してみました。そこでやっと思い出しました。楊主管が、非常に懸命に働いて、最も素晴らしい寮の評価をもらったとき、私は、自分の顕示心と闘争心が取り除かれていなかったので、いくつかの指摘をしてしまい、再評価することになったのです。それは、班長に対して彼女が私にWeChatを使用しなければならない、仕事の通知等すべてWeChatで行うと聞いた時、私は非常に不快になり、思わず「WeChatを使わないと死んでしまうのですか?」と言ったのでした。それを聞いた班長は凄く怒り、マネージャーに報告しました。私は自分の闘争心と顕示心、独り善がりの心を見つけ出したので、彼女たちにこう言いました。「私が辞めますので、あなたたち2人は残ってください。あなたたちは学生と接した時間が長く、学生たちもあなたたちを必要としています。普段から申し訳ないところがありました。お許しください」
その時、彼女たちは態度が一変し、建物管理マネージャーに、「彼女(私のこと)を残してください、彼女は仕事の能力が高いし、責任感が強く、学生らの思想に関する仕事も上手くやってくれます」と伝えました。すると建物管理マネージャーは、「争わないでくださいね。みんなよく働いているから、みんな残って、寮をうまく管理してください」と言いました。
私が、自分の顕示心、闘争心、傲慢な心、色欲の心、虚栄心などの心を少しずつ掘り出したら、状況が変わりました。勤務時間も変わり、毎日一日中、学校にいなければならなくなりました。私は辞職することを決めました。
彼女たちは残りました。しかし、数日も経たないうちに、その2人と、もう1人の管理者(私が法輪功を修煉していることを知って、学校に通報し、かつ私の夫に離婚を勧めた人)が一緒になって、私に職場復帰を求める電話をかけて来ました。私が仕事に対して真面目で責任感が強く、能力が高く、他人に寛容で思いやりがある、等々と言ってきたのです。
大法弟子に対する衆生のこのような評価を耳にした時、私たち大法弟子の人間社会での一言一行が、いかに重要であるかに考え及びました。私たちが大法の中の一つの粒子であるため、常人の中での一言一行が、衆生にその層の法を現しているのだと悟りました。大法弟子の善は、法の基準に従った実践的な行動に現れます。今後私は、必ず大法の要求に従って、怠けず精進しなければなりません。
師父が神聖無比の宇宙大法を弟子に伝え、人々の中で常人を超越した善人になることを教えてくださり、私の生命を法の中で昇華させてくださったことに感謝いたします。
師父、ありがとうございます! 合掌!
同修の皆さん、ありがとうございます。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「誰が是 誰が非」