【入選文章】ある数学オリンピック問題の解答
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 【明慧日本2022年8月4日】明慧ネットである面白い文章を読みました。四川省の小学校5年生の数学オリンピックの授業で、「道が2つに分かれています。片方は地獄へと続く道で、もう一方は天国へと続く道です。しかし、あなたにはどっちが天国へ行く道かわかりません。それぞれの道に騎士とならず者が立っています。騎士は質問されたことに常に正しく答えます。ならず者は嘘つきです。しかし、あなたには分かりません。その2人は、地獄へ続く道、天国へと続く道を知っています。あなたはこの2人のうち1人に、一つだけしか質問ができません。この状況であなたが天国へと行くには、どのような質問をすればよいでしょうか?」という論理的推理の問題が出されました。先生が出した解答はこうです。「あの道に立っている人に、どの道が天国への道だと聞けば、教えてくれるでしょう」。

 その解答を見て、「えっ」と当惑し、どう質問するか思いつきませんでした。夜になって、突然、いい考えが湧いてきました。「天国はあると思いますか?」と聞けば、騎士であれば、本当のことを言うので「はい」と答えるでしょう。ならず者なら「いいえ」と言うだろう。そして、「はい」という答えが返ってきたら、その人が立っている道を進んでいけば問題がないと思います。「いいえ」という答えが返ってきたら、もう一本の道を進めば正解になると思います。

 ここでは、その2人に自分自身が明確に分かっている質問をすることによって、誰が騎士で誰が嘘つきか判明し、そのうえで信じる人を決めて、その道へ行けば良いという論理的な推理になります。

 生活の中でよく、「神は存在しているか? 天国があるのか」という質問が出てきます。

 共産党なら「ない」という答えを出し、法輪大法及び正しい教えなら「はい」を出すのです。迷いの世の中で、人々は誰を信じるかが問題だと思います。

 それなら、この論理的な推論方法に従えばいいのです。誰が一貫して嘘をついているのか、自分自身で分析して明確に判断し、どの者についていけば良いかが分かるでしょう。

 共産党の言動を見てください。共産党は善ではなく、「偽、悪、闘」を宣揚するのです。大躍進(中国で1958年から始まった第2次5ヵ年計画の初年度に行なわれた政策)の時、1畝(1畝は約99㎡で30坪)当たり数万キロの小麦を生産できたと『人民日報』で発表したことがあり、1989年の「六四学生運動」の弾圧後、北京公安局局長がテレビで公に「天安門で1人の学生も死んでいなかった」という嘘をつきました。最近、徐州市豊県で起きた鎖につながれた女性の事件では、共産党当局は必死にその女性の本当の身分を隠蔽・改ざんし、彼女の叔父が要求したDNA鑑定を拒否しました。当局の関係者らは女性の調査を妨げるために、調査員を拘束・暴行し、鎖につながれた女性が住んでいる村にはトタンのフェンスを張り巡らせたのです。共産党は悪党どころか、鎖につながれた女性を虐待した人と同類です。ですから、共産党の言うことは信じない方が良いのです。

 もしかすると、あなたは「共産党は、神がいるかいないかについてはっきりと言っておらず、わざと嘘を言っているわけではない」と言うかもしれません。そうだとすれば、共産党はこの問題に対する発言の権利がないはずですが、強制的に「無神論」を押し広めており、無責任で、下心があるのではありませんか。

 実際、神の存在の問題については、多くの人は共産党による誤った方向へ導かれました。その問題について、共産党は禁断の領域として封印し、立ち入らないようにしています。また、科学に対して迷信させています。実際、科学研究は、目で見えるものあるいは機器によって検出できた物質に対して研究しているだけです。一方、本当に存在するものが存在しても、そのものを検出する機器がまだないか、あるいは既存の機器では検出できないのです。しかし、現実に現れている奇跡的な出来事については迷信だと共産党は結論付けています。

  この推論によれば、大脳が考えていることも迷信ではないでしょうか。例えば、人間の脳は毎日考えていて、何を考えているかは本人にしか分かりません。この人やあの人が何を考えているかは、どんな科学機器でも検出できないし、この分野では科学は無力です。もし、ある人は「私はこのことを考えている」と言うならば、その考えを検知する機器がなければ、「その人は迷信をしているのだ」という結論を下せるのですか? なぜなら、その人が何を考えているかは誰も知らないし、それを検知してその考えの存在が確認できる機器もないからです。神の奇跡も同じように、科学機器が神の存在を検出できないのに、どうして神は存在しないと言えるのでしょうか? 機器が全能だと言い切れるのでしょうか? 全能の機器が存在しないことを知る方が合理的です。ですから、科学が研究できる領域もあれば、研究できない領域も広く存在しています。研究できない領域をすべて迷信と言ってはいけません。

 有神論と無神論は、学問論争ではなく、過小評価されるべきではありません。神が存在しているとは、人に魂があり、その魂が死後どこに帰属するかの問題で、天理が存在しているということを意味しています。因果応報ということは、人が生きているうちに天理に順応し、将来に災いをもたらす悪行を行わないようにするということです。修煉を通じて神佛になれて、三界の苦しみから解放されて返本帰真するという目的こそ、人生の意義なのです。

 法輪大法のことを真剣に理解し、悪魔の共産党を捨てることは、人生の正しい方向を選択したということです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/6/28/44901.html)
 
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