文/スイスの大法弟子 (前文に続く)
【明慧日本2022年8月11日】私が大法に関係することをするとき、彼はいつも理解を示してくれました。 また、私の執着や修煉体験も『轉法輪』を読んだことのある彼に話すことができました。以前はあまり話す勇気がなかったのですが「相談に乗るよ」と言われたのをきっかけに、彼に相談するようになりました。自宅で自由に自分の考えを述べたり、修煉を振り返ることができるのはありがたいことです。また、同修と定期的に煉功するようになってから、夫がタバコをやめたことも嬉しいことです。これも師父と煉功場の正のエネルギーのおかげだと思っています。
また、私は睡眠への執着や安逸心をなくし、朝早起きできるようになりたいと思います。もっと自分を律し、時間をうまく管理できるようになりたいです。しかし、今すぐにというわけではなく、一人ですべてを抱え込む必要はないのだと実感しています。同修と一緒に学法し、共に向上し、助け合い、共に困難を乗り越えるという修煉の形式を師父が残してくださったのだと理解しています。
自分の体験を通して、同修で支え合うことがいかに有効であるかを実感し、とても感謝しています。もちろん、一日も早く強くなりたい、上達したいという気持ちもあります。 少し前に、一緒に煉功していた同修の家が火事になり「人に頼りすぎてはいけない」という警鐘を鳴らされたのだと思いました。
現代機器とインターネットがもたらす悪しき影響
私は映画、テレビ、ソーシャルメディア、インターネットに対し、大きな執着があります。残念ながら、いまだにこの面において多大な時間を浪費しています。時々、1日に何時間も、連日で、動画やその他の無関係なコンテンツを見ていることがありますが、それらはたいてい、人間の情、悪い信息、欲望、道徳に欠けた内容ばかりです。
その後、体調不良になった上、大量の時間を無駄にしたことで、日常の仕事も終わらすことができず、その結果、常人には、頼りないという悪印象を与えてしまいました。大法のプロジェクトでも足を引っ張り、あるいはまったく役に立たないというしまつです。毎朝、同修と一緒に法を学んでいても、これらのものを見ると、スピードバンプ(クルマを減速させるための道路)のように、私を下に引きずり込むような気がしました。
このことを母に話すと、母から「アクセルとブレーキを同時に踏んで車を運転しているようなものだ」と言われました。これはとても悪い習慣で、その裏には私のエネルギーを吸い取り続け、正念を保てず、やるべきことができないようにする、とても悪い生命が隠れていることに気づいたのです。
睡眠問題の大きな要因にもなっていると理解しています。少し前までは、1日10〜12時間寝ても、あまりスッキリしなかったですが、これに関する説法があります。
「弟子:長期的に形成された思考方式と性格は旧勢力の按排なのでしょうか? 法の勉強に大きな妨害をもたらしたので、どのようにこの妨害を完全に取り除くのでしょうか?
師父:人間の思考方式、考え方、頭の中で形成された各種の観念はいずれも、長期的に社会で各種の出来事と接触する過程で形成されたもので、年を重ねるほど、蓄積されていきます。現在、中国では良くない現象が発生しており、ますます多く見られます。中国の子供は海外の子供と非常に違っていると言われていますが、中国から出てきた子供は何でも分かっており、ずる賢いのです。そうですね。あの社会でいかなる悪事も現れており、新聞、マスコミ、人間の行為、言ったことなどはすべて最低の基準ラインをも失いました。子供の頭に知ってはいけないことがたくさん注ぎ込まれ、海外の子供より多く注ぎ込まれているので、成熟も早いのです。
人間の頭に注ぎ込まれたものは、そこに存在するようになります。人間には記憶があるのです。記憶と言っても、観念のようなものだと言われていますが、実は実在する物質です。人が話をするとき、相手があなたに何かの道理を述べているとき、あるいはあなたを説得しようとするとき、話されたことは強い勢いであなたの頭に注ぎ込まれ、本当にあなたに物を投げています。怒って反論し続けている人はつまり、排除し続けています。もちろん、大法弟子は人に有益で、正念に基づいて話しており、言葉とともに口から出てきたのは蓮の花です。しかし、常人が社会で作ったものに良いものがあまりなく、それが人体に入ると、人間を左右してしまいます。人間は目で何を見ても大丈夫で、見たくなければ見なければいいと言っていますが、違います。目に入ってしまえば、身体に入ってしまいます。いかなるものもほかの空間では身体に入ることができます。長く見れば見るほど、たくさん入ってきます。テレビ、パソコン、どのようなものでも見たら、入ってきます。頭と身体にこれらの良くないものが多く入ってしまえば、あなたの行動はそれに制御されてしまいます。話したこと、思考方式、物事に対する態度は、いずれも影響されます」 [1]
今、この執着を捨てたいと決心しました。自分の習慣を書き出し「スマートフォンを使うのは週末を除いて1日30分まで」「テレビで映画やシリーズものを見るのをやめる」という目標を立てました。今では、仕事がとてもはかどり、一日をうまくやり過ごすことができるようになりました。テレビは消したままで、スマートフォンは連絡や仕事にも必要なので、まだ目標達成できていませんが、SNSなどの悪いコンテンツはあまり見ないようにしています。そうすることで、日々の業務に大いに役立っていることを実感しています。今のところ、まだ数日しか続けていませんが、最終的にこの邪悪な妨害を完全に消去するよう、もっと頑張ろうと思っています。
私の妹も私と同じような問題を抱えていて、そのせいで非常に落ち込むことがよくあります。そのため、母は私たちを連れて1週間ほど山へ行き、そこで自分の修煉体験を書き、母と一緒に学法、煉功しました。日中は、山を散策したり、アクティブな活動をしたりしました。夜は、携帯電話を機内モードにして、そうすることで寝る前に携帯を見なくなりました。
最初はなかなか寝付けず、とても落ち着かず、悪夢を見ることもありました。でも、日に日に良くなっているのを実感しています。これらの機器やインターネットを利用して私のエネルギーを消耗している悪い生命が、もがき苦しみ、消されたくないのだなと思いました。
山にいる時間はとても充実したもので、私に大きな安らぎを与えてくれました。個人的な修煉に問題があるとき、たまには時間をとって集中的に振り返るのも良いことだ悟りました。そうすることで、自分たちがやるべきことをしっかりやり、大法の迫害真相を伝える際により実力を発揮することができ、それが人の役に立つことにもつながるのだと理解しています。また、修煉や日常生活でやるべきことをしっかりやるには、集中力を高めることも大切だということがわかりました。
スイスの大人数グループでの修煉
子供の頃、家族全員でスイスの大人数のグループの活動に参加していました。その後、チェコに移り住み、1年半ほど暮らしました。再びスイスに戻った後、大人数グループと連絡が途絶えてしまい、その間の私はあまり精進していませんでした。数年前、悟りの違いから、両親もスイスの大人数グループに参加する際に、トラブルや魔難がありました。そのため、私は他の同修に対して否定的な考えを持ってしまったのです。
その後、トラブルが解消され、彼らは再びグループに戻りました。以前起きたことは、きっと魔の妨害だったのだろうと思います。この経験を通して、私たちは皆、自らの執着に気づかされたました。ある日、私はスイスの大人数グループ学法のメールグループに加えてもらえないかと尋ねました。
以前、私は家族と一緒に活動に参加していましたが、年を重ねた今、もっと自分から参加してもいいのではないかと思いました。過去の経験から、同修に対して少し抵抗がありましたが、そのネガティブな感情を取り除き、同修の良い面に目を向けるように努力しました。メールグループに登録してもらい、活動の情報や知らせを受け取ることができるようになりました。
また、スイスのグループ学法にも何度か行きました。自分には強い抵抗があり、正念を持っている環境に入ることを阻もうとするネガティブな存在がいることに気づました。同時に、それが薄れていくのを感じ、湧き上がってきた考えや執着を少しずつ放下していくことができたのです。グループでの学法に参加してから、よりはっきりして、リラックスできるようになりました。
私たちはとても強い力を持っていて、全体として悪い存在や雑念を取り除き、人の命を救うプロジェクトもしっかり行えると理解しています。私たちを邪魔するものは、私たち自身しかいないのです。もし私たちに正念がなければ、悪い存在が私たちの空間場にいることを許し、彼らは私たちの執着を通して私たちを操るのです。だからこそ、常に自らを清め、浄化して、助け合うことが大切なのです。
このような考え方が、全体の協調にも役立ち、同修や常人にとっても、より良い効果をもたらすと信じています。同修だからこそ、接し方に気を配るべきだと思います。今後、スイスでは、もっと多くの観念や執着を捨てて、より良く協力していけたらよいと思います。
まとめ
一部の若い同修たちは、同じく10代の頃に、修煉の中で困難にぶつかり、常人の流れに迷い込んでしまう人がいるのを目の当たりにしてきました。私自身の経験を通じて、彼らが再び精進できるよう励ましになればと願っています。小さな一歩から始めて、今後もより良いものを続けていくことは可能だと思います。
また、大法弟子の環境はいかに素晴らしく、強力なものであるかということにも気づきました。私は、より多くのグループ学法に参加し、同修たちと共に全体を形成し、私たちがすべきことを行うようにしたいと思います。長年にわたって親切に接してくれた同修たちには、本当に感謝しています。
最後の道をしっかり歩み、尊敬なる師父の慈悲なる済度に感謝いたします。
尊敬なる師父、ありがとうございます!
同修の皆さん、ありがとうございます!
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』
(2021年スイスドイツ語圏の修煉体験交流会での発表)