文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年8月19日】 病業の関を経験する同修がいます。 若い修煉者であれば、生死について考えることはなく、あまり深刻に考えないでしょう。 若い時は抵抗力を持っている為、乗り越えられるはずですし、死に直面することは尚更ないと確信します。病業は若い修煉者にとって、生死の試練ではありません。しかし、年配の修煉者の場合は、まず、病業の現象が本当の病気かどうかについて考えるのです。「老いた体はとうとう駄目になったのか。治さなければいけないので、まず、治るかどうか様子を見て、治らなければ病院へ行こう」とすぐに考えてしまいます。学法、煉功、真相を明確に伝える力を向上させて、体が改善されることを期待するのです。繰り返しても改善されなければ、あるいは少しでも悪化すると子供からのプレッシャーも加わり、ますます「病気」だと思い込んでしまうかもしれません。
実際、師父は大法を修めることができる人の体の内側から、すべての霊体や病根を全部取り除き、病巣の黒い気も打ち砕かれていたことが、師父の説法からよくわかります。 病気の根が取り除かれた後も、業力は残っています。 師父は多くの業力を背負われていますが、残った業力は私たちの心性を向上させるために使われるのです。
大法修煉者にも業力がありますが、病気の根源は取り除かれているのです。 体の不調を感じるのは、業力が体外に出ているからです。 苦しみを嘗めて、業力を消去することは良いことで、それはこの世に降りて来た時の自己選択なのです。ひどく体調が悪い時は、どんな執着心や考えをまだ手放せていなかったのか、あなたの修煉の中で、どんな漏れが旧勢力につかまり迫害されてきたのか、長い間、向上できなかったため、業力が蓄積されたのか否かを見つめて下さい。
業力と病気は、はっきり見分けるべきです。法をさらっと読んで終わりにする一部の大法弟子もいます。 真の大法修煉者は体内に悪い霊体がなく、師父がすべて取り除いてくださったため、すなわち病気ではないが、業力がまだ残っているのです。 病気だと思った時点で、その悪い霊体を認めていることになります。 病気であることは認めないものの、内心はまだ病気だと思っていて、黙っていれば師父が治して下さる、といった考え方もあるようです。
大法の修煉は内面から改め、着実に修めなければなりません。内心に何の変化もないまま、見かけだけの学法だけではいけないのです。
国産ワクチンの接種を受け、問題を起こした学習者がいますが、自分の心の内に向けて探してみてください。 疫病は悪人のために用意されたものですから、私たちは何を恐れているのでしょうか? それとも安全の確率を増やしたいからでしょうか? ワクチンの接種は、最大限に常人の状態に合わせてとった行動にすぎず、 もし、あなたがワクチンを受ける必要がないのであれば、受けないでください。 ここには、師父や法を信じることや、無頓着に大法以外のものを欲することの問題があるのです。 心の中では、私たちの体は師父だけに預け、師父のご加護以外のいかなるものをも望みません。
疫病が怖くて、ワクチンで身を守りたいのなら、自分の心性の問題を探さなければなりません。 国産ワクチンについては、副作用があろうがなかろうが、何の役にも立たない水のように扱い、外国産ワクチンについても、効果を求める考えを持ってはいけないと思うのです。
病院へ行くのもそうですが、信じるか信じないかだけでなく、理解できるかできないかの問題もあるわけです。 深刻なのはまず1、自分が病気だと思っていたら、霊体を自分で認めているため、それがやってきます。 2、病院へ行くことは、常人の方法で守ってもらいたいためなのです。 以前、「珊珊が見た異次元」というタイトルの交流文章がありました。 珊珊が異次元で魔物と戦っている時に疲れてしまい、その時、道士がやってきて珊珊に法器をくれたそうです。珊珊は、もらった法器を使うと体調が悪化しました。修煉は不二法門を重んじるのですが、どんなに良いものでも、師父から与えられたものでなければ求めてはいけませんし、求めたとしても、道から外れてしまうことになるのです。 病院の治療は常人の方法ですが、不二法門の問題はありません。しかし、それはまた師父があなたの体を調整し、演化させることに影響を及ぼす恐れがあり、他の空間の霊体に作用するので求めてはならないのです。 肝心なことは、心性を高めることができないからです。
個人的な浅はかな意見で、法に沿ってないところがあれば、慈悲なるご叱正をお願いします。