【入選文章】人生は虚夢に過ぎず、返本帰真こそ正道である
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年8月20日】「人間は一体何のために生きているのか? 生きることはどうしてこんなに苦しいのか? 人生の意味は何だろうか? 死後、本当に何も残らないのだろうか?」と、多くの人からこのような疑問を耳にしてきた。このような困惑を抱いているのは、生活に苦労しながら希望を見出せない庶民もいれば、衣食には困らないが世の中の混乱した局面を嘆く知識人もいて、無数の資産を有する大金持ちや大富豪もいる。中には、世俗化してしまった各種の宗教に目を向ける人もいるが、依然として救いを見いだせないのである。困惑の中で、彼らは名利のために奮闘し、情の網から抜け出せないままもがき続けている。実際のところ、この世のすべては幻想であり、人生は虚夢に過ぎないのだ。

 「黄梁一炊の夢」 の典拠は唐代の沈既済が書いた『枕中記』に由来する。ストーリーはこうである。唐の開元時代、貧しく落ち込んでいる盧生という書生が、ある旅館で仙術を持った道士に偶然に出会った。2人がしばらく話をした後、盧生は疲れたと言い、休もうとした。そのとき、宿の主人が黄梁飯を炊いていた。そこで道士は盧生に枕を与え、この枕で寝れば、望みの栄華を得ることができると言った。

 盧生は枕に寄り臥し、すぐに夢に入った。夢の中で、彼は崔氏の娘を妻にし、その後進士になり、順調に出世し、陝州牧、京兆尹、戸部尚書兼御史大夫を歴任し、最後には宰相となり、燕国公に封ぜられた。彼は多くの良田、家屋、美人、馬を持ち、5人の子供も高い官禄を享受し、高門と結婚した。多くの子孫に恵まれ、栄華を極めた後、盧生は80歳で亡くなった。息が絶える直前、盧生は夢から目を覚ますと、道士はまだそばに座っていて、宿の主人が盧生が寝る前に炊き始めていた黄梁飯もまだ炊き上がっていないことに気がついた。

 盧生は驚き、道士に「あれは虚しい夢でしかなかったのですか?」と尋ねると、道士は「人生で経験する輝かしさとは、それ以外の何ものでもないのだ」と答えた。盧生は長くふさぎ込み、謝意を述べて去っていった。この物語は後に、栄光や富は夢幻のようなもので、いつか水泡に帰するという比喩として使われるようになった。道士が盧生を啓発したのも、彼に人生の真の意義を理解させるためであった。

 考えてみれば、人生は確かに黄梁一炊の夢に過ぎない。死後、人間は何を持って行くことができるのだろうか? 愛も憎しみも、名声も、財産も、何一つ持って行けない。裸で来て、裸で帰るという言葉の通りである。しかし、人間が死んだら、本当に何もかもなくなってしまうのだろうか? 実際、古今東西の修煉者が知っているだけでなく、現代の科学研究でも、魂が死後にも存在し、天国と地獄が実在することが証明されている。

 イギリスのサム・パーニア医師は100人以上の瀕死状態にいる患者に対して研究を行い、魂の存在を確認した。また、瀕死状態から救出された人からは、「長くて深いトンネルにいた」とか、「白い光を見た」とかの報告が上がっており、これはまさに体外離脱の証拠である。

 1994年2月8日、アメリカの「ウィークリー・ワールド・ニューズ」誌はある写真を掲載した。ハッブル宇宙望遠鏡が1993年12月26日に撮影したこの写真には、茫々たる夜空の中に燦然と輝いている大きな都市がはっきりと写し出されていた。それが、人々が懸命に探している「天国世界」である。この写真は、送られてきた数百枚の写真のうちの1枚に過ぎないという。女性研究者のマーシャ・メイソン博士はNASA内部の専門家の言葉を引用して、それが間違いなく天国だと主張した。「我々の知る限り、寒くて空気もない宇宙空間では人間の生命が存在できないからです」。神の存在を信じるメイソン博士は、「私たちが発見したのは、神が住んでいる場所です」と述べた。

 また、米ハーバード大学で25年間医師として働いてきた神経外科医の第一人者、エベン・アレキサンダー氏が自身の経験をもとに書いた記事『天国の証拠』は、『ニューズウィーク』誌の表紙として使われた。記事の中で、アレキサンダー博士は自身の瀕死体験を詳細かつ正確に記述し、それは天国が本当に存在することの裏付けとなると考えているという。

 また、10年以上前のインターネット上のある記事で、旧ソ連の科学者が地獄の入り口を発見した過程を明らかにした。1970年代、ソ連人は人里離れたパチンカ地方で、深さ7マイル(約12.2km)を超える史上もっとも深い穴を掘削した。その後、奇妙なことがあったため、掘削が打ち切られた。掘削が深さ3km以上に達した後、穴からは人間の号泣や悲鳴が聞こえてくるだけでなく、中からは牙をむき出しにした翼のある青い怪物も飛び出してきた。

 ソ連の有名な地質学者であるアサゴフ博士は、「私はかつて天国や地獄があるとは信じていなかったが、科学者として今は地獄があることを確信せずにはいられない。言うまでもないが、私たちはみなこの発見に非常に驚いている。そして、私たちは皆、見聞きしたことは決して幻想ではないことを知っており、そして、我々が地獄の門を開けたとも確信している」

 魂も天国も、そして地獄も実際に存在しているのであれば、人間の肉体が死んでも真の死とは言えない。修煉者が知っているように、人間の死は輪廻転生の始まりに過ぎず、輪廻転生に付いて回るのは人が積んだ徳と造った業である。人は死後、天国か地獄に行き、そしてまた六道輪廻に入る。

 こうして、人間は何世紀にも亘って積み重ねてきた徳と業によって輪廻転生してきた。前世の記憶のほとんどが転生する度に洗い流されるため、多くの人はまたも世の富や栄光、名利や情に魅了され、それらが人生の幸福と目的であると考え、人間として生まれた真の目的を忘れてしまうのだ。

 では、人生の真の目的とは何だろうか? それは返本帰真であり、自分の天上の家に帰ることである。地球は、異なる次元の天国世界から、さまざまな原因で落ちてきた衆生に元の自分に戻る機会を与えるため、神佛によって造られたものである。人間だけが修煉することを許されており、正果を得て、三界から抜け出ることができるのだ。つまり、修煉によって返本帰真し、輪廻から抜け出ることこそが、人間の人間として存在する真の意義と目的であり、正しい道である。

 「私は神佛を信じている。私は修行をしている」と言う人がいるかもしれない。残念なことに、多くの人は神佛を信じながら人心を放下できず、「名利情」を放下できていない。そして、神佛に成就するには、まさに名利情を取り除かなければならないのだ。

  『紅楼夢』の冒頭で、甄士隠を啓発するために、跛足の道士が歌った『好了歌』は、世人をも戒めている。

  世間の人は皆仙人がよいと知っているが、

  ただ功名を忘れることができない!

  古今の将軍や宰相はどこにいるのか?

  荒れた塚には一群の草も生えていない。

 

  世間の人は皆仙人がよいと知っているが、

  ただ金銀を忘れることができない!

  一日中貯めた金が多くないことに文句を言うが、

  そのうち目を閉じ死んでしまう。

 

  世間の人は皆仙人がよいと知っているが、

  ただ美しい妻を忘れられない!

  君が生きていれば毎日恩愛の情を言うが、

  君が死ねば別の人に付いて行ってしまう。

 

  世間の人は皆仙人がよいと知っているが、

  ただ子や孫を忘れられない!

  子をいちずに思う父母は古来多いが、

  親孝行な子孫を誰か見たことがあるか?

 明らかに、人生のすべてが夢にすぎないことを本当に見抜き、名声や金銭、若く美しい妻、子孫などを手放し、異郷を故郷だと思わないことで、はじめて先天的な本性を呼び覚ますことができ、返本帰真に戻る道が開き、最終的には自分の故郷に戻ることができる。幸いなことに、今日、私たちにはすでに道を示して下さる大法があり、後はそれに従っていくだけなのである。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/6/19/444889.html)
 
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