観念を変え 家庭環境の中で自分を修める
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 【明慧日本2022年8月20日】23年間というのは、宇宙の中ではほんの一瞬ですが、人生においては、かなり短くない人生の旅路と言えます。この23年の修煉で、私は中年から老年になり、当時の嫁から今は姑になり、新しい修煉者から成熟した大法弟子になりました。最近の2年間、私は大法の指導のもとで、家庭環境の中でどのように修煉し觀念を変え、心性を向上させたかの体験を師父にご報告したいと思います。適切でないところがあれば、同修の指摘をお願いします。

 一、家族との関係を正しく処理する

 家庭は大法弟子にとって重要な修煉の場所であり、特に私のように定年退職した年配の大法弟子にとっては、家庭は更に大切な修煉の場所なのです。しかし、私はずっとこの環境をうまく利用できませんでした。最近の2年になって、ようやくこの状態が大きく変わりました。

 師父の説法から、私は以下のように悟りました。昔の修煉者は執着心を取り除き、圓満成就の基準に達しようと思えば、常人の中で行脚しなければなりませんでした。行脚に行けば、人心を刺す様々な人や事に出遭い、自分の心性を守り向上させるために、人との関係を正しく処理しなければなりません。今日の大法弟子は、常人の中で修煉しており、世間から離れないので、社会全体が大きな煉功となり、家庭は日々の修煉のための小さな環境となります。この大きな煉功場と小さな環境の中で、人との関係を正しく処理し、自分の心性をしっかり守れてこそ、あらゆる人心を取り除くことができるのです。

 私は、「人との関係を正しく処理できたか?」と自問してみました。夫を例にして挙げてみます。私の夫は修煉をしていない常人なのに、私はよく些細な事で夫と口論をしていたのですが、それは、人との関係を正しく処理できていないことでした。夫との生活を振り返ってみると、結婚以来、長年修煉しているにもかかわらず、常に夫を「私のもの」として扱ってきたと分かりました。 一方、私は彼を大切にし、たっぷりの愛情を注ぎ込んでいるとともに、夫から自分を大事にして、自分の支えになって欲しいと思っていました。他方で、私は私の基準で夫を強制して変え、私が望むような常人の中の模範的な夫にしようとしました。しかし、夫は個性的でマイペースな人なので、2人はよく衝突していました。トラブルの中の私は、常人の理と常人の言葉で夫を責めたり、不平不満をいちいち数え上げたりして、自分の悔しさや怒りを晴らし、自分が修煉者であることや、夫も衆生の一人であることを考えませんでした。

 実際、夫には夫の生命の源、特性、人生の道筋があり、それは私には変えられないものです。夫は私のものでもなく、私の修煉の道において、現世で「夫」という役割を演じているに過ぎないのです。根本から言えば、私と夫の関係は、修煉者と常人で、済度する者と済度される者の関係です。

 それを悟った私は、とても恥ずかしく、師父に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。「何年も修煉してきたのに、こんなに悟性が低い自分は、師父が苦心して按排して下さった修煉の機会をどれほど逃したのか! 今後必ず夫との関係を正しく処理し、衆生の一員と見なさなければならない」と思いました。私は、夫に対するあらゆる情と依頼心を放下し、夫をコントロールしたり強制したりせず、夫の良くない趣味や習慣についても執着しなくなり、ただ善を勧めるだけでした。その代わりに、自分自身を修めることや、大法の要求に従って自分の心性を向上させることに重点を置きました。修煉を重ねるうちに、自分の觀念が変わり、夫婦の情を放下することができ、心の容量も大きくなり楽になったことに気づきました。夫のほうにもいろいろな変化がありました。

 息子や嫁に対しても、衆生としてみなし、年長者の立場だでどうのこうのと言わず、若者の生活に一切干渉せず、自分に対して親孝行すべきだという気持ちはありません。息子夫婦が手伝って欲しいときには、私は最善を尽くしますが、自分のことでなるべく子供に迷惑をかけないように心がけています。もちろん、冷たい態度ではなく、心の中では本当に放下し、大らかに対処することであり、常人の状態に符合しなければなりません。

 二、表面から本質を見抜き、人の考えから迷いの中から抜け出す

 嫁は息子とよく喧嘩をします。この前も2人でひどい喧嘩をしていました。このような状況に直面して、最初は怖くて不安で食べられなくなり、眠ることもできず、なぜこのようなことが起こるのか理解できず、心の中で葛藤していました。私は嫁に「私の息子への教育が悪かったのです」と謝り続け、息子に欠点を改めることを要求し、経済的にも援助を続けていました。しかし、私が事態を収拾し、子供たちが安定して暮らすことを願えば願うほど、嫁はますます問題を起こし、自分の家族、私の家族と向こうの両親の家族の平和が保たれなくなったのです。しかも、義理の両親の対応は私と逆で、娘をかばい、婿を責めるばかりで、かなり混乱状況になったようです。

 世間の人の現れに直面し、私は冷静になって、修煉の角度から目の前の厄介なことを考えてみたのです。私は師父の説法を思い出し、師父から教えられた法理で目の前の混乱状態を分析しました。表面上、嫁はわがままで気まぐれな性格ですが、実際には息子と嫁の間、私たちと義理の両親の間、息子夫婦と私たちの間、息子と向こうの両親の間にあることが分かりました。末劫の最後には、善の縁と悪の縁、借金の返済などで、人と人との間の債務が精算されなければならず、これがトラブル発生の本当の原因です。それをはっきりと認識できたので、私の気持ちは晴れました。私は師父の写真の前で、「師父、弟子はわかりました。この関を必ずしっかり乗り越えますので、弟子を助けてください」とお願いしました。

 私は発正念をして、息子夫婦の喧嘩を利用して私の修煉を妨害する邪悪な生命と要素を取り除きながら、目の前の混乱した局面にどのように対応するかを考えました。

 私は、「法を正すことがこの世で行なわれ、神佛が大いに顕れ、乱世の悪縁はすべて善なる形で解かれます」[1]という師父の説法を思い出しました。

 なるほど、善なる形で解決します。私は「すべての衆生との縁を大切にし、彼らとの悪縁を善解していきたい」と思いました。そこで私は、私心と情を捨て、今まで通りに、ひいては今まで以上に嫁に優しくし、積極的に向こうの両親に電話しました。その過程で、不平不満がなく、怒りや憎しみも、隔たりもなく、善の心と思いやりだけがあります。息子夫婦のことがどのような結果になるかは、縁に任せました。人にはそれぞれ自分の運命があるので、他人の運命や人生を左右することができないなら、放下すればいいと思いました。

 この過程で、私は自分の心が変化し、より広くより落ち着くようになり、冷静で穏やかな気持ちになったことに気づきました。同時に、師父の話を聞き、師父の教えに従って実行することは、師父が段取りをして下さった修煉の道を歩むことであり、旧勢力の按排を全面的に否定することであると悟りました。息子と嫁のことを放下したあと、息子夫婦はまた正常な生活に戻りました。

 三、家族のトラブルの中で、自分に向けて探す

 この2年間は、私は家族のトラブルの中で内に向けて探し、自分を修めることを心がけました。家庭内でぶつかることは、表面上ではみな些細なことでも、修煉者の大きな執着が反映されることが多いので、一つの念一つの考えを見逃さずに修めるべきです。例えば、髪を頻繁に染める夫に「髪を頻繁に染めると、健康に良くないですよ」と忠告したら、「それぐらいのお金の余裕はある」と反発されたことがあります。その言葉に沿って、自分に向けて探してみると、本当に自分が利益にこだわる心、お金がもったいない、健康に良くないという常人の観念を見つけました。

 子供たちが家に集まって食事することもあります。常人のことに時間を無駄にしたくないという考えがあって、三つのことに影響するのを恐れて、集まって食事をしたくないのですが、嫁に文句を言われるのを心配して、いやいやながらやっています。自分の矛盾している心を見てみると、そこには「真」ではない偽りの自分が隠れていることがわかり、それが真・善・忍の基準に符合しないので、すぐに発正念をしてそれを滅しました。同時に、子供たちを招いて食事をするとき、必ず自分の本当の気持ちでなければならないと確認しました。

 孫たちが家の中を散らかしたとき、嫁や義理の両親に対する不満がどんどん湧いてきて、ネガティブな考えが出てきますが、それは自分ではないと抑えて取り除きました。これはすべて自分の業力による結果であって、衆生のせいではなく、借りがあれば必ず返さなければならないと思いました。他人を責めないだけではなく、自分の業力を消去し、自分の向上を助けてくれ、修煉の道において次元を向上させるための梯子を作ってくれたことに感謝するのです。また、迷いの中で名利情のために苦しんでいる彼らの姿を見て、私は憐れみの心が生まれ、衆生はみんな可哀想だ、本当に苦しんでいるのだと思うようになりました。その過程で、自分の嫉妬心や恐怖心、求める心などの人心を見つけました。

 師父は、「皆さんもご存じのように、羅漢の次元に達すると、どんなことに遭遇しても心にかけず、常人の中のどんなことも全然気にとめず、常ににこにこしています。どんなに大きな損をしてもにこにこして平然と笑っています。本当にそれができれば、あなたはもう羅漢の初級果位に達していることになります」[2]と説かれています。

 2年以上、家庭の中で修煉してきた私は、まだこの状態に完全に到達していませんが、多くのことを放下することができ、気にしなくなり、以前より平然となり、だいぶ穏やかになりました。慈悲で偉大なる師父が多くの悪い物質を取り除いて下さったことを、私は知っています。

 師父、ありがとうございます! 弟子が心をこめて三つのことを行ってこそ、師父の苦心なる済度に応えることができるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「法がこの世を正す予告」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/8/6/447269.html)
 
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