文/山東省の大法弟子 梅芳(本人口述、同修整理)
【明慧日本2022年8月28日】1999年、私は大法に縁があり、幸運にも村の法輪功の煉功場に参加し、そこで同修たちと一緒に学び、修煉することができました。しかし、数カ月もしないうちに、中国共産党(以下、中共)の天地を覆い隠すかのような迫害が始まり、警察が私の家に入り、不当に家宅捜索を行い、圧力と恐怖で、その時から法を学ぶ勇気はなくなり、紅塵の中に紛れ込み常人の仕事で忙しくしていました。これはもう20年以上も前の話です。
突発した不幸
2021年5月頃、体調が悪く、全身がむくんでいるような感じがしました。以前から患っていた糖尿病だと思い、2021年6月3日、近所の病院に検査に行き、糖尿病内科で全身の血液検査を受けました。結果が出た時、病院の主任は「血液中に悪性腫瘍の疑いがあります」と言い、病院としては診断を確定せず、再び採血して済南省立病院に送られたところ、悪性腫瘍が確認されました。
卵巣の検査を受けて卵巣に三つの悪性腫瘍があることがわかりました。一番大きなもの21.7×18.9、二番目は8.9×7.9、三番目は6.1×5.3でした。現地の病院では、この手術をする勇気はないと言われ、私は煙台山病院に行きました。
煙台山病院で全身の検査を受けたところ、全身の様々な系統の悪性腫瘍という診断でした。腫瘍が大きすぎて手術は危険なため、まず入院して腫瘍を小さくし、手術しやすくするための化学療法を開始しました。
ほぼ19日間ずっと点滴を打ち、19日目に再検査をしたところ、一番大きな腫瘍は16.9×15.6に縮小していました。そこで入院20日目に手術を受け、朝7時半から夕方6時まで手術室にいました。医師は2キロ以上の腫瘍を取り出し、肋骨の下の左右に8個ずつ、合計16個の穴を開け、鉄板で固定しました。手術後は食事ができず、高タンパク質とアルブミンの注射を打つことになり、この栄養注射の費用は1日6000~7000元もかかりました。
38日間の入院の後、私は家に帰りました。1週間ほどは、毎日食事ができず、水も飲めず、食べたり飲んだりすると吐いてしまいました。再び煙台山病院に戻り、再検査を受けると、胆管と十二指腸にも悪性の腫瘍があり、手術をしないと命が危ないと医師は言いました。
医師はすぐに手術の日程を決めましたが、前回の卵巣手術がまだ回復しておらず、胃の外側の鉄板も取り除いていないため、胃からの手術はできず、口に管を入れ、鼻にも管を入れ、管からステントを入れることになりました。医師はもともと、胆管と十二指腸を一緒にやりたいということでした。手術中、私の血圧は240から250にまで上がりました。胆管の手術は継続できなかったので、3万元の追加費用で2回に分けて手術を受けようと夫と話し合いました。1週間後、3回目の手術が行われました。今回、ステントは腰から挿入しました。
3回目の手術は私にとって試練で、70kg以上あった体重が45kgにまで激減し、皮膚もずいぶん剥けました。手術後、体のあちこちに大きな管や尿袋をつけられ、全身内側から外側まで痛くて咳もできないような状態でした。毎日ベッドで過ごしていたので背がひどく曲がり、どんな感じだったのか今(訳注:2022年5月)は覚えていません……。
40日以上、煙台山病院に入院した後、退院しました。17日間自宅に戻り、化学療法を開始する時期だったので再び病院に戻りました。このようにして、化学療法開始、帰宅、化学療法、帰宅を繰り返しました。ある時は、帰宅した後に、口から血が出て鼻血が出たり、大きな血の塊が口から出てきたり、血圧も脈拍もない状態になりました。家族は私を近くの病院へ急送しました。病院は私を受け入れてくれず、医師は私の甥に「あなたの叔母は1年生きられません」と言いました。地元の病院に行って見ると、今度はベッドがないと言われました。病院が私を受け入れるのを恐れていると私には分かっていました。その後、私は再び煙台山病院に戻りました。
3回目の化学療法後、髪の毛が大量に抜け始め、化学療法中は食事もままならず、毎日嘔吐を繰り返す状態が7カ月半も続きました。ベッドから起き上がることもできず、自分の体と足を支える力も出ない状態でした。
雨が降るたびに屋根から雨漏りがするかのようでした。その後、検査の結果、今度は子宮漿液性癌であることが判明しました。煙台山の医師は、これ以上治療する方法がないので帰ってくださいと言いました。私は絶望して医師に「こんなに大きな煙台山病院が、どうして私の病気を治せないのですか? 私はお金を持っているのに治せないのですか?」と叫びました。現代科学ではもう私の病気を治すことはできないと絶望し、私はまるで錨もなく、方向感覚もなく、運命の波が次の瞬間私をどこに押しやるかもわからない、大海の中の小舟のような状態でした。
2021年の暮れ、旧暦12月の28日、私は家に帰りました。半年以上ベッドから出られず、体重も不安定だったため、ベッドから降りて立とうとしたのですが、足首をひねって捻挫し、筋を痛めてしまい、足が腫れ上がってしまいました。全身の痛みはもちろんありましたが、足首の痛みもとても痛かったのでした。私が戻ってきたことを知った近所の人たちは、みんな私に会いに来て、私がベッドに横たわり、ベッドの縁から頭を垂らし、下にはゴミ箱が置いて、いつでも吐けるような状態で、元気なく話しているのを見て、もうすぐ私が死ぬとこっそり話題にしました……。
奇跡を起こす
2022年の正月2日、街には晴れ間が広がり、生きたいという気持ちが急に湧いてきて、街に出たくなり、必死で起き上がり、車椅子を押して正面玄関に移動しました。ある同修がやってきて「大法を学んでみませんか」と誘われ、即座に「はい」と答え、この時から、私は幸運にも大法の修煉に入りました。
正月の3日目、私は煉功を始めたのですが、当時の私の体調からすると、まったく立つことすらできないのに、どうして煉功を堅持することができたのでしょうか? 慈悲深い師父は私を見捨てず、どんな困難な状況でも堅持なければならないと、私が決心したからでした。私は同修に「師父が助けに来てくださったのですから、私は態度で示さなければなりません」と言いました。
私は震えながら立って、最初は念のため車椅子をそばに置いていました。第二式の功法では、腕を支えるのがやっとで、ずっと震えていました。私は思い切って「私は煉功する!」と決めました。第四式の功法である法輪周天法を煉った時、しゃがもうとしましたが、最初は腰が曲がらず、2回目は、少し腰を曲げることができ、3回目は、45度曲げることができ、4回目は、足を曲げてみましたが、大法の奇跡がひとつひとつ私の中に現れて、どんどん自信がつきました。
修煉を始めて翌日の夜は、7カ月ぶりに自分で服を脱いで眠れるほど全身がリラックスしていました。
修煉を始めて3日目の朝、薬を変えてもらうために夫と一緒に病院へ行きました。病院の入り口に着くと、いつものように夫が車いすを運んできてくれたのですが、私は「自分で歩く」と言いました。午前中ずっと1人で階段の上り下りをしましたが、疲れを感じませんでした。夫も私の変化を見ていました。
師父が私のことを気にかけ、救いに来てくださったのだから、大法弟子の要求に基づいて行わなければならないと思い「私はすでに大法を修煉しているのだから、健康な人であり、病院に行ってチューブを抜いてもらい、薬を捨てよう」と、薬を飲むのをやめることにしました。これ以降、私は大法の修煉に専念することにしました。
最初は同修が毎日来て一緒に煉功し、毎朝起きて五式の功法を終えてから本を読んで法を勉強しました。夕方には同修が来て、一緒に法を学び、煉功しました。
私は化学療法で髪の毛が全部抜けてしまい、白い毛が数本あるのみでした。法を学び煉功してから、頭にびっしりと黒髪が生え、顔が灰色からつやつやした赤に変わり、声も明るくなり、元気よく話すようになりました。修煉を始めて18日目には、自分で歩いたり、振り向いたり、床をモップで拭いたりすることができるようになりました。
その間、消業の状態も少なくありませんでした。師父は法の中で「ある時期になると、功が本当に存在するのかどうか、修煉はできるものなのか、果して高い次元へ修煉していけるだろうか、佛は本当に存在しているのか、などについて、あなた自身が紛らわしく思い、迷ったりすることが起きます。将来、あなたに錯覚を与えて、それらすべてが存在しておらず、みんな偽物だ、とあなたに思わせるようなことも起きるかも知れません」[1]と説かれました。
私はいつも師父に対する真の信念を堅持し、どんなに深刻な消業の状態にあっても、早く起きて煉功を堅持し、同修と切磋琢磨しました。同修は私に「よくないところがあったり、あるいは法に符合しない考えを持っているなら、自分を正さなければなりません」と言いました。私は、過去数年間、得体のしれない男友達がいて、修煉を始めるまで不純な性関係が続いていた不名誉な過去を同修に明かしました。私の夫は酒を飲み、ギャンブルをし、家の中のことに関してまったく無関心で、家の中の大小の仕事はみなその男性が私を手伝って行っていたので、私はその男性に頼り、その男性に対して情が生まれていました。修煉を始めてから、このようなことはいけないことだと思い、関係を断つようにと言ったのですが、その男性は関係を断つことを望まず、ときどき私のことを気にかけてくれるようになりました。
師父は「ただ練功しているからといって、どんな病気にもかからないなどというわけではありません」[1]「人は本当に修煉をし、心性を重んじ、真に修煉して、はじめて病気を取り除くことができるのです。煉功は体操と違って、常人のものを超えているので、もっと高い次元の理と基準をもって煉功者を律しなければなりません。そこまで実行できてはじめて目標に到達することができます。しかし、多くの人はそのことさえ実行しておらず、依然常人にとどまっているので、病気になるべき時になれば避けられません」[1]と説かれました。
表面上はその男性と関係を絶ったとはいえ、修煉は人心を見ることを私はわかっており、私の心の中でその男性が何を食べているのか、どのように暮らしているのかを考えることが時々ありました。同修と切磋琢磨したのですが、これは常人の間でも恥ずべきことであり、この心は非常に危険でした。心をえぐられ骨に突き刺さるような執着を取り除くという、修煉の厳粛さを私は知りました。自分の悪い考えを正すたびに、私の健康状態も必ず良くなりました。
同じ病気で苦しんでいる入院中に知り合った友人を思い浮かべ、私は入院中に知り合った友人たちに電話をかけ、私が大法の修煉を始め、健康になったことを伝え「法輪大法はすばらしい! 真・善・忍はすばらしい!」という心からの九文字を念じてもらいました。遠方に住んでいる入院中に知り合った、かつての友人に電話で本を読んで法を学ぶように言い、しばらくしたらその友人の家に行く準備をし、自分に起きた変化によって法を実証しました。
同じ村に、私ほどひどくはない女性がいて、私たちはいい関係を築いていました。修煉を始めた後私はすぐにこの良い知らせを伝え、その友人にも大法を修煉してほしいと思いましたが、残念ながらその友人は全く信じてくれず、大法を学ぶ気はないと明言しました。その選択をした後、その友人は数日後に亡くなりました。その友人の訃報に接し、私はとても残念に思いました。
人生の最後のに、慈悲深い師父に助けていただき、体のすべての汚れを洗い流し、新しい命を授かったのだと思うと、幸せな気持ちになりました。私は師父の写真の前で「師父、私が過去に行った悪いことをお許しください。私は必ず大法の基準に従い、一日も早く健康を回復させます」と申し上げました。朝、師父に申し上げると、昼からすでに体の浄化が始まり、浄化してくださったお礼を師父に申し上げるたびに、私は「法輪大法はすばらしい! 真・善・忍はすばらしい!」と心の中で念じました。
現在(訳注:2022年5月)は、日に日に調子が良くなり、顔には色白でうっすらと赤みがさし、唇までピンク色になっています。自宅まで見に来た近所の人たちは皆、私が元気そうだと言いました。現在(訳注:2022年5月)では、野菜を洗ったりご飯を作ったり、掃除、饅頭つくり、餃子を包むなど、普通の人と同じようにできるようになりました。
私が大法を学んでいることは、家族や親戚、友人もみんな知っています。 体中に三つの悪性腫瘍があり、さらに病院から嫌われた子宮漿液性癌のあった私が、大法を学び、煉功を通じて、現在(訳注:2022年5月)のような健康な体になったことを家族や親戚、友人は見ており、私が大法を学ぶことをみな支持しました。
私の誕生日には、家族全員が来てくれました。私は家族や親戚、友人たちに大きなテーブル料理を作り「もし法輪大法の師父が私を救ってくださらなかったら、私は今日ここにいなかったでしょう」と話しました。
真相を伝えるために同修と市場に行くと、かつて知り合った友人にたくさん出会い、真相パンフレットの「奇跡」を渡すと、かつて知り合った友人たちは「奇跡だ、本当に奇跡だ!」と言いました。
2022年の旧正月初日、家族や近所の人たちが訪ねてきて、1年ぶりの私の変化を見て、昨年は死にそうになっていたのに、今年もまた会えたと驚いていました。私は家族や近所の人たちに大法の真相を伝え、私自身の実例の前で、村人の何人かが「三退」しました。
危難の時に救ってくださった師父に感謝し、私の存在そのものが大法のすばらしさを実証する役割を果たしました。これからの日々の中で、私は自分の体験から村人たちに「共産党の嘘を信じてはいけません。 もし共産党のでっちあげた嘘がなかったら、国民全員が大法がすばらしいことを知り『真・善・忍』の要求に従って良い人になることができ、どれだけの人が健康を取り戻し、どれだけの家族が仲良くなれるでしょうか。『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』という心からの九文字をみなさん忘れてはいけません。邪悪な共産党を脱退し、共産党が滅びる時について行ってはならず、天意に従えば、安全を確保できます」と伝えていきます。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』