【慶祝513】電気エンジニア「修煉を通じて智慧を開く」
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文/中国の大法弟子 帰航

 【明慧日本2023年9月18日】大法はとても神秘で殊勝です。その法力はマクロからミクロまでに行き渡っています。この修煉体験で紹介する事例は、大法の威力のこの世におけるわずかな体現にすぎません。大法は人類に世間での幸福をもたらしました。その不思議さと殊勝さは、人々に返本帰真してもらうためです。

 私は配電設計の仕事に従事しています。50代の高級電気エンジニアです。私は人生の旅路で途方に暮れていたとき、幸運にも法輪大法に巡り合いました。法輪大法を修煉することにより、返本帰真の道を歩み始めました。

 師父は私たちにこう教えてくださいました。「どの階層でも、良い人間を目指しさえすれば、あらゆる欲望や執着心を捨て去ることができます。どんな階層においても良い人間になることができ、誰でも自分のいる階層で修煉することができます」[1]

 病弱で自己中心的だった私は、20年以上にわたり、真・善・忍を実践する中、名誉と利益、情、色から抜け出すことができ、健康で大らかな人に変わりました。名利には淡泊で、人には友好的で、余裕をもって事に当たることができました。法輪大法はまた私の智慧を開いてくださいました。

 逆境の中で昇華する

 私は幼い頃から大人になるまで、人々から良い子、優秀な生徒、優秀なスタッフと見なされてきました。しかし、誰もが想像できなかったことは、道徳的な昇華を求めていた私が、いつしか警察や受刑者と関わるようになったことでした。

 1999年7.20、中国共産党(中共)政権は真・善・忍を敵に回し、法輪大法に対する迫害を始めました。一瞬のうちに、中国国内では文化大革命が再現したかのようになり、誰もが強制的に自己の欠点・過ちの点検を命じられました。その時、「修煉をやめる」と言えば、迫害されませんでした。自分の信仰を堅持しようとすると、すべてを失ってしまいます。この突如として訪れた巨大なプレッシャーに直面した際、心の中にいた法輪大法からの正義感が私に、逆境にもかかわらず残酷な現実に立ち向かい、理性的かつ確固たる信念を選択をさせたのは、法輪大法から恩恵を受けた者として、法輪功のために公平な話をするのは当然のことでした。良い人になることには間違いがなく、法輪功にも間違いがありません。私は心の中の正しい信念を守る決心をしました。幼少のころから気弱で物事を怖がっていた私は、修煉を通じて、名、利、情を徐々に淡々と見るようになり、怯えが弱まり、勇気が次第に湧き上がってきました。

 迫害されていた厳しい歳月の中で、自分の信仰を守りながら、1日が1年と同じくらい長く感じられる日々を過ごす中で、私は毎日警察と受刑者からの暴言や侮辱に直面していました。逆境の中で、私は師父の教えをしっかりと覚え、他の人がどうであろうとも、修煉者として心からの大いなる忍耐の心で、他人に善意をもって接するべきだと信じていました。この過程で、善は一種の力であり、大きな忍の心は強い意志の表れであり、自分自身と周りの人々を変える力を持っていることを体験できました。

 その期間中、私はいくつかの奇跡を体験しました。非合法に拘留されている監房の中で、私は湿気の多い、板でできたベッドで寝ました。冬は風が寒々と吹き、布団で足を覆いきれませんでした。さらに受刑者に冷水シャワーを浴びさせられました。猛暑では蚊に刺され、疥癬を持つ受刑者と一緒に寝なければなりませんでした。しかし、不思議なことにリューマチになったり、疥癬に感染したりすることはありませんでした。冷水シャワーを浴びると、全身から湯気が立ち上りました。冬に足が外に出ていても、まるで綿で包まれたかのように暖かかったのです。このすべては修煉しない人には信じがたいことです。おそらくこれが「心が正しければ、邪悪は侵入しない」ということかもしれません。
 大法の師父の加護のもとで、逆境に身を置いていた時のこの体験は、もともと臆病だった私を楽観的で、強固な人に変えました。後になって仕事で大きな困難に直面しても、他人のために尽力し、最終的には困難を乗り越えることができました。

 設計図面を描く中で、他人を思いやる

 私たちのこの専門分野は急速に変化しています。特に近年はネットワーク技術、通信技術、制御技術の進化が著しいです。新しい知識を学ばなければ、設計要件に遅れを取ることになります。法輪大法への信仰を守り続けたことを理由に、私は中共の迫害を受け、長い間本職の仕事から離れることになりました。再び設計院に戻ったとき、設計について少し疎くなっていました。

 最初は小規模なプロジェクトに対処するしかありませんでした。しかし、設計院が大規模なプロジェクトを受注したことにより、私はそのプロジェクトの自動制御部門の責任者に指名されました。当時、設計院内には自動制御の図面の完成したモデルはなく、自動制御設計もあまり重要視されていませんでした。設計院は、私にわずかな数日の設計時間しか与えてくれず、ほぼただで顧客に設計図を提供することになりました。私の手に渡って来たのは、数枚のシステム図面だけでした。

 市場競争の激化により、このプロジェクトは設計院のトップに非常に注目され、トップ自身がプロジェクトを率いました。トップは新しい技術を活用し、慎重に設計し、設計院の基準を示すことを要求しました。トップの信頼はプレッシャーになりました。設計工程の時間も非常に厳しかったです。私にとっては、新しいテクノロジーを素早く習得し、新しい自動制御技術をマスターすることは大きな問題ではありません。しかし、設計者にとって、図面がその人の言語であり、既存の図面を模倣するのはやりやすいですが、新しいアイディアを生み出すことは難しいことです。

 長年にわたり、法輪大法を修煉する中で、私はまず他人を思いやることを学びました。私は技術者、施工者、発注者の視点から物事を考え、設計者の思想を明確に伝え、他の人が図面を理解しやすく、施工を指導しやすく、工程の後半でのメンテナンスと管理を容易にする方法を模索しました。

 このアプローチに従って、単純で繰り返す内容に対して、図面の量を増やす代わりに、要点をまとめ、練り上げ、要約することで、洗練された図面を作成しました。設計の難しい場所や複雑な場所に対しては、異なる角度やレイヤーから設計要件を表現し、図面を見る人が理解しやすくさせました。このようにして、私はまったく新しいスタイルの施工図面を作成し、最終的には審査する専門家や自動制御の請負業者から称賛を受けました。彼らは、図面が明確に表現され、簡潔で情報が豊富で、レイアウトが魅力的であると一致して評価しました。このプロジェクトはその年、施工図設計の一等賞を受賞しました。

 それ以来、私が描いた多くの図面や計算書は、同僚たちが使用するテンプレートになりました。この成功した設計を通じて、他人に対する思いやりの中、法輪大法が修煉者に与えられた智慧をさらに体験することができました。

 善の力量

 設計者は、毎年多くの設計課題に取り組みます。設計者は、通常、専門知識の乏しい発注者を好み、その場合、設計におけるすべての決定を自分で行うことができます。通常の設計基準に従って設計を進めると、設計プロセスは迅速で変更が少なく、時間がかかりません。しかし、非常に専門的な発注者と出くわした場合、彼らは設計に深く関与し、自分のアイデアを表現し、設計者に要望通りに設計することを望みます。

 発注者にとって、プロジェクトは彼らのすべての業務です。そのため毎日さまざまなアイデアが浮かび上がり、今日はこれを要求し、明日はあれを要求してきます。このような発注者に出会うと、設計作業は非常に時間と精力を要する作業になります。特に増築プロジェクトに出くわすと、通常、設計者は既存の状態にできる限り干渉しないように努力します。なぜなら、既存の状態を変更することは非常に面倒くさい作業であり、頭痛の種となるからです。

 特に電気自動制御は、他の部門にとっては非常に抽象的な作業となります。テクノロジーの改善を患者に対する注射や薬の塗り、傷口の縫合にたとえるなら、電気自動制御の改善は患者の毛細血管の手術に似ており、多くの部門にかかわり、非常に詳細な作業を含むものです。

 一度、私は増築プロジェクトに参加しました。発注者は電気および自動制御の専門知識が豊富な方で、要求が非常に高く、多くのアイデアを持っていました。既存の電力配電システムは何度も工場側により改修され、元の設計から大きく逸脱していました。かつ元の設計資料が不足していて、多くの外部資料が欠落していました。配電システムにはいくつかの問題があり、発注者はこの増築プロジェクトを通じて、それらを解決したいと考えていました。また、既存の自動制御システムはすでに麻痺状態に陥り、多くの装置が故障していました。発注者は、今回の設計で元の装置の自動制御をすべて統合し、工場全体の電力自動制御を完全かつシームレスにしたいと望んでいました。

 法輪大法の弟子として、私は発注者の立場を理解し、彼らの要求が合理的であることを認識していましたので、彼らのニーズに最大限に協力しました。こうするには現状の調査に多くの時間が必要でした。当時、私は他の設計プロジェクトも担当しており、頻繁な出張も現実的ではありませんでした。最初は、発注者が何を変更したいのかに従って、変更を行っていました。しかし最終的には、この方法では非常に受動的で終わりが見えず、時間の浪費をしていることに気づきました。

 その後、私は受動的なアプローチを積極的なアプローチに変えました。私は自分の工程デザインの経験と視点から、プロジェクト全体を総合的に評価し、発注者の利益を真剣に考えました。私は全体像から細部まで、多くの合理的な提案をしました。発注者は私の善意を感じると、私の仕事を積極的にサポートし、現状の詳細調査に協力してくれました。発注者は工場内の機器に精通している強みを生かして、積極的に改善提案を提出してくれました。

 非常に短い期間中、双方が合意し、明確で合理的なプランが策定され、実現されました。工場全体に統一された自動制御プラットフォームと完全な配電システムが構築され、最終的な結果に双方が非常に満足していました。このプロジェクトは後に全国の比較評定で2等賞を受賞し、増築プロジェクトでは非常に珍しいことでした。

 故郷の特産品

 緊張した一週間の仕事の後、週末は自由に支配できる貴重な時間です。家族と一緒に過ごしたり、年配者を訪ねたり、本を読んだり、誰もが仕事に関連する問題に悩まされたくないのです。

 ある週末、私は家で家事をやっていましたが、他所の発注者から電話がかかってきました。政府が設定したプロジェクトの建設期限が非常に短く、現在設備の取り付けと調整段階にある。配電システムのトラブルが頻繁に発生し、現場の技術者たちが問題を解決できないとのことでした。私はそのプロジェクトの電気専門の責任者であったため、問題の解決に協力するために現場に来てほしいということでした。電話を切った後、私は家族に状況を説明し、急いで、ほかの都市にある施行現場に向かいました。

 率直に言えば、その時、私はまだ仕事に参加してから間もない時でした。設計業界は多くの場合、単なる重複作業をしていて、ひたすら客観的な状況を無視して、自分勝手に事を運んでいるだけでしたので、現場でのトラブルシューティングの経験はほとんどありませんでした。電気設備の配線が多く、複雑で、問題を解決できるかどうかについて、当時は自信がありませんでした。事故現場に到着し、状況を把握したとき、何をすべきかがわからなくなりました。数時間が経過し、手探りで作業を行っても、故障は解決されませんでした。発注者、機器メーカー、取り付け会社の技術者たちから期待と失望の視線を浴びました。自尊心、不満の心、焦燥心が湧き上がり、私の心は乱れてしまいました。

 夕食後、私は自分の心理状態を調整し始めました。私は法輪大法の弟子であり、人心など執着心を捨てなければ、智慧とインスピレーションは生まれない。私は思考を整理し直し、冷静で落ち着いた状態でトラブルシューティングを開始しました。時間は知らず知らずのうちに経過し、夜になりました。私は依然として元気いっぱいで、雑念のない状態で作業を続けていました。午前3時、ついにトラブルの原因を見つけました。故障が解消され、電力配電システムの調整が成功しました。発注者は非常に喜び、私を地元のホテルまで送ってくれました。

 その年の新年の休暇中、発注者はわざわざ私に感謝の意を表すために、私が住んでいる都市に車で、故郷の特産品を持って来てくれたのです。

 誕生日パーティの唯一の客

 電気自動制御の設計者は、設計する時、多くの電子制御装置を選定する必要があります。しばしば製品の営業担当者とやりとりすることがあります。営業担当者は、若手の新人であろうと、経験豊富なベテランであろうと、一般の社員または会社のトップであろうと、設計院にやって来ると、設計者に何かを求めてくることが当たり前のことです。

 彼らは通常、立っていてとても礼儀正しく、丁重な態度を取ります。通常、設計者は座っています。設計者の態度がどうであれ、彼らは常に笑顔で接します。設計者が喜んでいるときは、彼らと少し話すこともあります。忙しいとき、設計者は非常に冷淡に数言返事をし、彼らを去らせます。不機嫌なときは、時には彼らをストレス発散の対象として扱うこともあります。内向的な性格の営業担当者や個性的な人の場合、怒って泣きながら、立ち去ったりすることもあります。

 私は彼らが本当に大変だと感じているため、彼らに非常に礼儀正しく接します。特に彼らが訪れたとき、座って会話できるように椅子を購入しました。自分がどれだけ忙しくても、彼らの紹介を忍耐強く聞き入れ、平等に接します。時間が許す限り、私は自分の法輪大法の修煉体験や、法輪大法の中で得た人生の道理についても話します。

 古今東西、国内各地の話をしたり、常に楽しく会話します。彼らも私との対話を楽しみ、大法弟子は問題を見る視点が広く、深く、独自であると感じ、恩恵を受けています。多くの営業担当者が私の友達になりました。彼らの中には、善良で正義感のある人々も多く、大法弟子が残酷な迫害を受けている真実を聞いたとき、涙を流す人もいます。

 非常に有能な営業担当者に、内モンゴル出身の若者がいます。彼は友人が多く、幅広い人脈を持っており、頻繁にこの都市の設計者を集めて食事や休暇、郊外旅行を行います。1年も経たないうちに、この都市のほとんどの設計院が彼の会社の製品を採用しました。当時は法輪功に対する迫害が最も厳しい時期でした。初対面のとき、私は彼に自分で作った名刺を渡しました。その名刺には法輪功への迫害の真相が印刷されていたので、彼に強い印象を残しました。私たちは何度か会って話し合いました。

 ある日の昼、彼は突然、私に電話をかけてきました。自分の誕生日に私だけを招待し、意義ある誕生日を共に過ごしたいと言いました。その時、私は非常に感動しました。私たちはお互いの体験、人生について語り合いました。私は彼に「共産党についての九つの評論(九評共産党)」をプレゼントしました。彼は「九評共産党」を読んだ後、大法弟子が素晴らしいと感じ、感銘を受け、非常に尊敬していると言いました。大法と大法弟子に対する彼の尊敬と大切にするその気持ちは、私の心の奥深くに今も残っています。

 返本帰真し 流れに逆らって上流へ進む

 社会の道徳基準が低下する中で、設計業界も例外なく影響を受けています。法輪大法の弟子として、私は仕事の中、世の大勢の流れに乗って従うわけにはいきません。心の中に法輪大法があり、真・善・忍の基準に従って行動することが、流れに逆らって上流へ進むことのできる唯一の方法です。

 現在、設計院の上司が最も頭を痛めているのは、割り当てられたタスク設計(必要となってくる行動計画。以下、タスク)がなかなか完了しないことです。何度も催促しても、多くの設計者は自分のやり方で進め、遅々として進まず、自分がタスクを完了できない理由をたくさん見つけては言い逃れをします。私と一緒に仕事をした上司は何度か変わりましたが、私に割り当てられたタスクに対して、彼らは非常に安心しています。

 私は大法弟子として、嘘をつかず、不平不満を言いません。指示された完了日を守るために、私は時間外勤務をしたりして、必ずタイムリーに仕事を終えます。一度、上司が皆の前で、私が修煉しているこの功法が、心身の修養に非常に役立つと述べたことがあります。

 設計者にとって、技術情報、図面情報、専門的な手順やツールは財産であり、個人が実践の中で蓄積し、収集した貴重な情報です。一般的に、これらの情報は他の人と共有したくないものです。法輪大法を修煉した後、私は名利心を捨て、他の人が必要な情報があれば、私が持っているものなら、できる限り提供します。

 電気制御専門の図面は多く、一部の図面の設計は他の専門がほぼ出来上がり、条件図が提出されてから初めて進めることもあります。しかし、時間的には他の部門と同時に完了する必要があります。そのため、私たちの設計スケジュールは短く、仕事は少し大変です。私は同僚らが多くの場合、単純な作業を繰り返しており、本当に力を入れて、設計すべき重要な設計に当てる時間があまりないことに気づきました。

 私は余暇を利用してプログラミング技術を学び、自分の専門と他の専門に対応するための図面作成プログラムをいくつか開発し、無料で提供しました。これにより、設計効率が大幅に向上し、設計院の上層部から認めてもらいました。また、このことにより、私の同じ専門の仕事をしている同僚との関係が非常に良好になりました。代価を支払う中、私は何も失っていないことを心から感じています。法の中に溶け込んだ後、法輪大法は私に絶えず智慧を授けてくださいました。

 工場からリベートをもらうのは、設計業界の非公式のルールであり、誰もがそれを理解しています。食事をおごってもらったり、娯楽施設に行くこともよくあります。一部の工場は休暇になると現金カードを贈ることがあります。一部の工場は特定のプロジェクトに対して、現金が詰まったバッグを直接渡すことがあります。一部の工場は銀行振込を行い、時には1万元以上を直接口座に振り込みます。

 このような場合、私は彼らに伝えます。「大法弟子は修煉者である。修煉者には修煉者としての原則がある」と。そして、そのお金を返します。招待を受ける際には、できるだけ辞退し、彼らに理解を求めます。行くべきでない場所、例えば、ナイトクラブ、マッサージ店、足裏マッサージなどには絶対に足を踏み入れません。そのため、彼らは私を非常に尊敬し、大法弟子は非常に正しいと感じています。

 設計には年功序列の問題があります。しかし、若い設計者の前で、私は全く偉そうにしません。彼らが助けを必要とするとき、私は忍耐強く彼らに説明します。私自身に疑問がある場合、謙虚に若者にアドバイスを求めます。

 一度、あるプロジェクトの進行中に、図面の審査中に、職能部門の若手職員に出くわしました。彼は私に対して理不尽な態度を取りました。私は師父の教えを覚えていたため、自分の闘争心と虚栄心を取り去り、心性を守りました。そして、彼に困らされた気持ちが和らぎました。後に、その若者の仕事に対する真剣さを目にしました。今日の社会では、それは珍しいことです。最終的に、私たちは二人の間の隔たりを取り除き、二人ともそれぞれ恩恵を受けました。

 名誉、利益、感情に悩まされないとき、人々は幸せに生きることができます。これは本当のことです。

 さらに多くの人々が大法弟子たちの修煉中に発生した、不思議な物語を読むことができ、法輪大法への正しい考えを持ち、新しい世紀へ向かう法船に乗り、法輪大法に救い済度されることを願っています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/24/426072.html)
 
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