【慶祝513】小さな町の記憶(下)
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文/黒竜江省の大法弟子 

 【明慧日本2023年4月10日】(前文に続く)

 4.「法輪大法はすばらしい」は人々の心に光を当てる

 あの凄惨な日々の中で、人々は中国共産党(以下、中共)の嘘に耳を傾け、茫然として方向を見失いました。大法修煉者は自分の命を犠牲にして、盲従して判断力を失った人々を目覚めさせようとしました。暗闇の中、無数の星空の下、高い木や電柱、橋の手すりなどに「法輪大法は、すばらしい」と書かれた垂れ幕が掲げられ、人々に一刻も早く嘘から抜け出し真相を理解するよう呼びかけました。

 大法弟子たちは毎晩のように自転車に乗り、持ってきた垂れ幕を掛け終わるまで共に歩みました。また朝早くから垂れ幕を掲げに行く人もいました。多くの垂れ幕が長く続く道路沿いに特別な風景を作り出しました。また町の四隅に同時に掛けるために、一緒に協力してくれる人もたくさんいました。月明かりから早朝の陽光まで、長く連なる垂れ幕により小さな町に佛光があふれその輝きを増しました。

 毎週日曜日には、同修が家族とともに垂れ幕を掲げに出かけました。大人は高いところから吊るし、子どもは「法輪大法はすばらしい」というシールを壁やドアに貼りました。歩き始めたら数キロの道のりで、帰ってくる時、子どもたちは歩けなくなるので、大人が担いで帰ってきました。

 また橋の手すりには数メートルの長さの垂れ幕が垂直に吊り下げられており、太陽の光を受けてとてもまぶしく輝いていました。橋の下を列車がゴトゴトと走り、橋と地面の間の空間に「法輪大法はすばらしい」という垂れ幕がはためき、それは天と地の間で人々の心を奮い立たせる美しく感動的な光景でした。

 毎年2月某日、それは小さな町の法輪大法デーであり、同修たちはさまざまな方法で記念日を祝いました。ある年の旧暦の大晦日に合わせて、警察は連行するための張り込みを設置しました。同修の1人が2回ほど家を出て、張り込みは見なかったのですがパトロールの警官に出くわしたので、その日は垂れ幕を掛けませんでした。しかし同修は断念せず、その2日後の夜7時、道行く人によく見えるように、幅2メートル、長さ3メートルほどの真相の垂れ幕をガードレールに掲げました。

 もっと奇跡的だったことは「5月13日」の世界法輪大法デーを記念して、大法弟子が夜中に携帯電話用の信号塔の先端に真相の垂れ幕を吊るしたことでした。早朝、多くの人が感嘆の声を上げ「これはすごいクライマーだ」と言いました。

 この同修が登った時、少し登って下を見て低いと思い、もう少し登って見てみるとやはり低かったのでした。このように目で見てみると低く、心の中では高いところに掛けたいと思い、同修は塔の頂上へと登って行きました。頂上に着いた同修が垂れ幕を吊るして降りてくると、なんと! まるで空から垂れ下がっているかのような感じでした。こうして小さな町の大法弟子たちは衆生に明るい光をもたらしました。

 5.「共産党についての九つの論評」を配って三退を促し人々がより良い未来を選択

 真相資料の配布は大法修煉者のプロジェクトでした。小さな町でも一夜にして真相が広まることはよくあることでした。常に見かける風を受けてはためいている「法輪大法はすばらしい」の垂れ幕の他、早起きの人は玄関の隙間や中庭の壁に真相パンフレットをよく見かけ、商売人は棚板の上に真相チラシを見かけ、自転車に乗る人は自転車のかごに真相についてのDVDやパンフレットを見つけて驚き、建物に住んでいる人は防犯ドアに掛けられて太陽の光に輝いている真相資料やDVDを見かけることがありました。

 2004年12月「共産党についての九つの論評」が発表されました。「共産党についての九つの論評」という本ができた時、小さな町の大法弟子が協力しほとんど一晩で町中に配られました。人々はみな「これは神兵が配ったものだ」と言いました。真相を知っている人は親指を立てて「この法輪功の人たちには本当に感心させられました!」と絶賛しました。

 「共産党についての九つの論評」を読んで純朴な人々は中共の邪悪な本質とその暴虐さを理解し、法輪功への迫害は中共本来の邪悪な本質であることを理解しました。人々はさらに目覚め、ある人は法輪大法の素晴らしさを率先して知ろうとするようになりました。真相が分かると、人々はみな三退し、すばらしい未来を自ら選択しました。

 三、正念を持って正しく行い迫害に反対する

 1.公安局に開放を求めに行き裁判所や刑務所に行き真相を伝える

 同修が連行された場合、まず公安局に行って同修の解放を求め、3、4人ずつで散らばって公安局の周りで正念を発し、さらに結集すればするほど人は多くなりました。このようなことは何年も何回も続いていたので、人々は何が起こっているのか分かっていました。

 人々は「また彼らの仲間が連行され、彼らは返答もしない」と言いました。大法修煉者は「誰が彼らに正しいことを行わせず、もっぱら善良な人々を迫害させているのでしょうか?」と答えました。その際、真相を伝えて三退をするよう説得することもできたので一石二鳥でした。

 また真相を伝えた時「まだ伝えているのですか? 連行されるのが怖くないのですか?」という人にも出会いました。そして大法弟子は中共について人々に暴露しました。そして司法関係者に直接相対し、司法関係者の良知を呼び覚ましました。

 公安局、検察庁、裁判所、刑務所の事務机の上には、真相を伝える大量の手紙が並び、内部の人間の話によると、毎日山ほど届いていたということでした。さらに正念の強い同修は、同修が不当な連行や不当な判決を受けた時、上司であれ職員であれ、あるいは刑務所管理局であれ、そこの人間と直接相対し、同修を迫害している人たちが法を曲げて国民に対して犯罪を犯していることを指摘し、歴史の重大な局面で自ら出口を残さなければならないことを指摘しました。

 また、大法修煉者は現地の弁護士に真相を伝えました。2012年、6人の修煉者が不当な裁判を受けさらに法廷を震え上がらせました。同修は事前に弁護士にお願いし、不当な裁判を受けた6人の同修が裁判所に到着すると車から降りて「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。

 不当な裁判が行われた時、裁判官が「何か要求がありますか」と尋ねると、同修は、共産党員は退場するようにと答えました。話し声が聞こえなくなると、場内全ての中共人員はみなどうしたらいいのか途方に暮れ、盛んに上げていた気炎はたちどころに消えました。弁護士は理路整然と無罪の弁護を行い、法輪功修煉者は力強く真相を語りました。法律を根拠に真相を語るもう一つの道が開かれました。

 2.迫害の元凶である江沢民への訴状を出して告訴する

 中共の元党首であった江沢民は法律を超越して法輪功を迫害し、法曹分野に指示して大法修煉者を不当に連行、拘禁、拷問し、ラジオ、テレビ、新聞に指示して法輪功に対して誹謗中傷を行い、大法修煉者に対して「経済を断ち切り、名誉上で貶め、肉体を消滅させる」「殴り殺してもかまわない」というジェノサイド政策を実行しました。

 迫害されて亡くなった人は数えきれないほどであり、ある3人は1999年の陳情した後、未だに音信不通でした。

 2015年5月1日、司法機関は「案件があれば必ず立案しなければならず、告訴があれ必ず受理しなければならない」という立案登記制度を導入し、小さな町の大法修煉者は法律に基づいて江沢民を訴える告訴状を最高検察庁と最高裁判所に郵送しました。大法弟子は江沢民を告訴し、中共の弾圧を受けながらも、大法弟子は衆生を救うために悔いはなく、心残りはありませんでした。

 五、終始たゆまず人を救う

 1999年7月20日から現在まで、大法弟子は法輪大法に対する堅い信念と師父のご加護の下に歩んできました。現在(訳注:2022年5月)中共は滅しつくされ、法を正すことが輝きを放とうとしている今、大法弟子の来世への大願は成就されようとしており、大法弟子は依然として終始たゆまず人々を救っていました。

 1.携帯電話の活用と直接人に真相を伝えること

 テクノロジーの発達に伴い、電子機器やネットワークが出現したのは偶然ではなく、それは大法のために用いるためでした。大法の弟子の中には2011年から携帯電話を使って真相を伝えるために大量のショートメールや写真付きのメールを送っている人もいました。

 当時(訳注:2011年)は1日に三退する人がますます増え、携帯電話が普及する前の2倍に達していました。2012年から2014年にかけては、街頭や農村の同修の中で参加する人が半数以上になりました。技術を担当する同修は朝から晩まで携帯電話へのシステムのインストールに追われ、食事もままならない状態でした。携帯電話を使って真相を伝える同修の多くは2台の携帯電話を持っており、街の経済条件の良い同修は10台以上、あるいは30台以上の携帯電話を持っている人もいました。

 2006年には真相を伝えるために街頭に立つ同修もいました。十数年前、何人かの同修が自分の村の人々に真相を伝え、村の人々を三退させました。その後、何人もの同修が、大法弟子のいない近くの村に行き真相を伝えました。

 旧正月が近づき、出稼ぎに行っていた人が帰省し、学生たちが休暇に入る頃、同修たちは2人1組で一軒一軒真相を伝えて回りました。街角で、駅やバス停で、ショッピングモールやスーパーマーケットで、公園やレジャー広場で、毎日真相を語る大法弟子たちがいました。

 ある同修は毎日外に出て真相を伝え、2時間以内に少なくとも10人を三退させ、ある同修は休まず、大晦日の午後と旧正月の初日にも街頭に出て三退を勧め、正念の強い高齢の同修は毎年5千人以上を三退させ、中共の党、共青団、少年先鋒隊を脱退させることができました。

 最も素晴らしいのは、長い間街で真相を伝え続けてきた同修で、同修たちは毎日さまざまな人に会い、さまざまな方法と優しい言葉で人々に真相を理解してもらいました。真相を知らない人が言葉の暴力や皮肉な言葉で追い払い、他の同修は嫌がらせや連行、あるいは不当な判決を受けるケースもありましたが、同修たちは決してめげることなく、衆生に大いなる慈悲をもって接し、救われた衆生のために喜びました。

 2.真相資料を大通りと路地に全てに配る

 中共はメディアを支配し、国家のあらゆる風評手段を用いて、法輪功に対する虚偽の宣伝を行い、冤罪を仕掛け、濡れ衣を着せて誹謗中傷し「天安門焼身自殺事件」をでっち上げ、人々を毒害しました。

 2000年、中共が法輪功への迫害に狂奔していた頃、テレビは連日法輪功への誹謗中傷のニュースを人々に発信していました。法輪功修煉者の不安は大きく、ある村の数人の同修が解決策を考え出し、大きな赤い紙を買ってきてそれを小さく切り、カーボンペンで手書きして人々に「法輪大法は正法である!」と伝えました。

 みんなが真相資料を明慧ネットからダウンロードできるようになった後、小さな町の同修はプリントして配り始めました。当初はガリ版で印刷していましたが、その後、農村部のとても困難な同修も含め、同修みなが自腹を切ってお金を出し合い、印刷機器や消耗品を購入しました。このようにして自宅での資料拠点が設立されました。真相定期刊行物を手にした同修たちは、月に一度、村々を回って真相定期刊行物を配り、家にいる同修も協力して正念を発しました。

 現地での配布が終わっても、空白の村落(訳注:大法弟子のいない村落)を請け負わなければならず、大法修煉者は何十キロも離れた村まで定期的に配布に行きました。冬場は骨身にしみる強風の中、オートバイで真相資料を配りに行き、帰ってきてから暖まるまで数時間かかりました。近隣の省から50キロ、60キロ離れた広い地域には大法弟子がおらず、たびたび通わなければなりませんでした。

 ある郷や鎮では、真相がいつもよく伝えられていたため、大法修煉者は長年にわたり市場の日に市場で真相資料と卓上用カレンダーを公然と配布し、真相を知らない人は必ずおり、トラブルや嫌がらせに遭遇することもありましたが、修煉者たちは恐れていませんでした。

 ある郷の高齢の同修は、20年以上前から自転車で市場に通い、近隣の村や町もすべて回り、その同修は村人たちにもよく知られていました。その同修は行く先々で真相を伝え、何年にもわたって公に真相資料を配布してきました。その同修は警察署の向かいに住んでおり、時々警官に会うと真相資料を警官たちに見せ、その同修に恐れる心はありませんでした。

 1999年「7.20」の迫害が始まっても、街の大法修煉者は真相資料の配布をやめず、真相シールもいたるところで見かけるようになりました。中共は真相が人々に理解されないように、携帯電話の監視、GPS、音声認識、小区を閉鎖しての管理、電子ロックカード、監視カメラ、顔認識システム、身体認識システム、位置表示器による追跡など様々な妨害を設け、敏感日には中共による追加統制も行われました。特に武漢で疫病が発生して以来、小区では特に統制が厳しくなり、同修たちが真相を伝え、真相資料を配布することが難しくなりましたが、大法弟子はめげずに頑張りました。

 明慧ネットの真相定期刊行物と「明慧週報」は、毎週または隔週で更新されました。同修たちは人々が真相を知る機会を遅らせることなく、常にタイムリーに配りました。同修たちは大通りや路地、小区や団地など、人のいるところならどこにでも配りました。20年以上、1日も止めことがありませんでした。

 3.自宅の資料拠点が至るところに花を咲かせる

 私たちの地区の自宅の資料拠点は早くからあちこちで花を咲かせており、資料拠点の同修たちはそれぞれの地域の人々を救う必要性を担っていました。

 資料拠点は大きな役割を果たしており、中共は長年人々を洗脳していることを暴露されることを恐れ、中共はとても恐れていました。このような強い圧力の下で、ある資料拠点の同修の家庭の親族は最初の反対から最終的には理解と支持に変わり、これは資料拠点の同修の大法と師父に対する確固な正しい信念と強大な正念、そして長期的な修煉の境地と心性の向上を必要としました。

 大法弟子が報いを求めずに真相を伝え危険を冒して人を救うのは、師父がいて大法の保護があるからであり、大法弟子は自分がすべての人を救う重大な使命を負っていることを知っており、自分の先史の大願をやり遂げるためであることを知っていました。

 師父にお礼を申し上げます!  再度お礼を申し上げます!

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/31/444317.html)
 
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