文/中国河北省の大法弟子
【明慧日本2022年9月23日】師父を手伝い、法を正す最後の段階で、同修の間で誰かに病業の仮相が現れたという噂がながれ、同修が三つのことをすることに支障をもたらし、人を救うことにマイナスの影響を与えていることを耳にしました。私自身も病業の魔難を経験し、この過程の中で、法と師父を信じ、苦難に耐えながら心を修め、師父の慈悲深い加護の元、魔難を乗り越えました。以下は、自分の体験を話して、師父に報告し、同修と交流したいと思います。次元に限りがあり、法に合わないところがあれば、ご指摘をお願いします。
2020年1月のある日、私は突然体がだるくなり、胸が少し苦しくなり、特に食事した後はとても辛かったです。但し、自分は修煉者で、病気はなく、全ての不適切な状態は全て仮相であることは知っていました。私は、大法を20数年修煉していて、何回も病業の仮相が現れてきたことがありますが、毎回師父の慈悲深い加護の元、大法の法理の啓発のもと、すぐに乗り越えました。そのため、私はこの病業を気にせず、三つのことを行うには少しも影響はありませんでした。
ある日一番上のお姉さんの家に行くと、甥が胃カメラの検査を受けた結果、入院して手術をするということでした。お姉さんから聞いた症状は、私の症状よりずっと軽かったのです。私は少し面白いと思いました、これは私に演じて見せかけているものだと思いました。甥が退院してまもなく、お姉さんも同じ病気が見つかり、入院し手術をしようとしました。正直に言うと、その数日間、私が一番苦しかったのです、胃だけ苦しいのではなく、胸から下のお腹全体に大小さまざまなしこりが充満していて、手で押すととても痛かったのです。ある意念が私の頭の中で「広がった」と話しました。私は心から彼らに、「あなたたちは演じてみてよ、効かないよ」と話しました。但し、その数日の間に私は続けて二つの夢を見ました。一つ目は、私が自電車に乗りある農家の園庭を通るとき、既に他界した地元の同修がいて、彼は、「来たね、ここにはあなたの場所があるよ」と話しました。私は、「私はあなたのところに行かない、私は師父を手伝って、法を正すの」と話してから、自転車で去りました。二つ目は、夢の中で、ある人がノックしていたので、ドアを開けてみたら、既に他界した女性の同修(同僚でもある)でした。私は彼女に、「私たちは師父について行くべきだよ!」と話しました。彼女は私の話を聞くと、去って行きました。目が覚めた後、私は真面目に最近現れた一連の問題を、「これはどういうことだろう?」と考えました。私の修煉上に大きな問題が起きたようです。そのため、彼らはあらゆる方法を考えて、私に病業の仮相を認めさせようとしており、このような方法で私の意志と正念を消耗しようとしています。
これらに直面して、私は内に向けて探し、色心、嫉妬心、怨恨心、顕示心、疑心等の多くの人心を見つけました。私は、「これらの心は直接人の考えを指揮して、時間が経つと、彼らは廃物に形成され、適切な条件のもとで人の体に現れ、病気の症状がでる」と悟りました。常人は分からないのですが、私たち修煉者は彼らの表象に戸惑わされないのです。そのため、私たちはその心を見つけたらすぐに取り除くべきで、廃物を構成する要素を取り除くべきです。これらをきれいに取り除いたら、体も軽くなるし、それらの病気の仮相もなくなります。私たちは常に内に向けて探し、全ての考えを含めた全ての物事に対して内から探し、良くない心と良くない考えをその都度見つけて取り除くべきです。もしこのようにできるようになると、病業の仮相は現れなくなるのでは? 私はここまで考えると、師父に本当に申し訳ないと思いました。師父は常に私たちに内に向けて探す法理を教えてくださっているのに、自分はまるで話しを聞かない小学生みたいで、本当にしっかり修めていないことを後悔しました。今問題が起きている中で、やっと自分の修煉の道のりを整理し、後悔しています、本当に後悔しています。
法理は明らかになりました。私は旧勢力の険悪な目的を見抜きました。これらの表象に心を動かされず、法を学び続け、法を暗唱しました。ある夜、私は一人で家にいて、べットの隣に座って『轉法輪』を暗唱し始めました。暗唱する時は、集中できなかったのですが、暗唱すればするほど暗唱したくなり、自分はまるでエネルギーの塊に座っているようで、一段落また一段落と暗唱しました。11時を過ぎても少しも眠くなく、気づいたら6ページを暗唱していました。本当に心身ともにとても気持ちよく、爽快でした。私は完全に大法の中に溶け込んでいました。
翌朝起きた後、お腹がそれほど硬くないことに気づきました。私はすぐに父がずっと法を学ぶことを強調する深刻な意義を理解できました。法をしっかり学ぶことで自分をしっかり修めることができ、真相伝えて人を救うことができ、師父を手伝い、法を正すことができます。私たちが真相を伝える時の善の心、知恵は全て法からきているのです。
私と同修はよく一緒に街を歩きながら真相を伝え三退を進めました。ある時は、自分一人で電動自転車に乗り、市場に行って人を救います。又ある時は、同修とオートバイに乗り、比較的に遠いところに行って「法輪大法は素晴らしい 真・善・忍は素晴らしい」のチラシを貼りました。私は、体調が良くなかったので、少し辛いおもいをしましたが、私の意志は岩のように固く、正法時期の大法弟子であり、師父を手伝い、法を正し、人を救うことは私の使命と責任です。魔難は、修煉者が上に昇る段階であり、全ては私たちの修煉のためなので、体にどんなことが起きても全ては良いことです。
魔難の中で、継続的に内に向けて探す過程の中、自分の心性も向上されます。ある日ある同修が私に、「お姉さん、あなたはどこまで修めるんだろう? お兄さんみたいな性格の人に出会ったの?」と話しました。私は「まあ、大法を修めていなかったらとっくに離婚していたよ!」と話しました。この言葉が出た瞬間、私は自分が間違っていることに気づきました、何故このように話してしまったのか? それはこのような心があるからです、これは心の底に埋められている怨恨心です。修煉する前、私たちはよく喧嘩をしました、大法を学んだあとは、それらの多くのトラブルが無くなり、お互いに居心地が良くなったため、この辺りは修めていなかったです。私は、慈悲深い師父が長い間に蓄積された怨恨心を取り除くべきだと悟らせてくださっていると思いました。
結婚してからのこの数年、夫とよく喧嘩したのはお金のためでなく、日常的に食べることと着ることのためでもなく、誰かがよくない生活習慣があるためでもないのです。何故なんだろう? 普段の会話に原因があります。そのため、私はやはり自分に間違いがあると思います。私の心の容量が狭く、少しも包容することができず、荒探しをし、またよく怒るため、彼に悔しい思いをさせました。間違っていました。私はこれらを認識した後、すぐに謝りたくなり、その後1通の交流文を書きました。
数日後、私の体はとても軽くなりました。全ての良くない状態は徹底的に消えました。お腹にあったそれらのしこりはどこかへ行ってしまい、全ては正常の状態に戻りました。師父に感謝いたします! 大法に感謝いたします!
魔難は怖くありません。怖いのは、自分が自分のことをどのように考えるかのことです。修煉者は、師父の説かれた全ての法、全ての法理を信じるべきです。修煉の中、師父の法をもとに自分に対して厳しくし、実践の中で師父の説かれた法を悟り、法を学んで法を得ることができるからこそ、本当に法の中に溶け込むことがきます。どんなことに会っても参照できる法があり、邪悪に隙を与えなくなります。内に向けて探して、人心を取り除き、修煉者の鉄の意志で全てに笑顔で向き合うことで、どんな関、難でも修煉者の精進する歩みを止めることはできません!