夢から悟ったこと:最後になればなるほど、肝心になる
■ 印刷版
 

 文/香港の大法弟子

 【明慧日本2022年10月11日】先週日曜日の朝、突然3時20分に目が覚めました。起きて煉功しよういう思いが一瞬頭をよぎりましたが、煉功の起床時間まではまだ1時間あるから、やはり4時半に起きた方がいいと思い、また寝てしまいました。眠ってから一つの夢を見ました。

 夢の中で、私はある地下鉄の改札口から出と、目の前に広いトンネルがありました。突然、同修のWさんがやってきたので、その姿を見、すぐ名前を呼びました。私たちは、お互いに行き先がわかっているようでした。その時、地面がピカッと光それは何かの警報のようでした。

 同修のWさんは、「私たちは急いで走らないといけない。いろいろな障害物が出てくるから、その前にゴールまで行かないと。レッドラインが引かれたら越えるのは難しくなる」と言っていました。

 話しているうちに、トンネル前の地面から柵が飛び出してきましたが、柵はまだ膝より低く、このぐらいなら大丈夫と思ったのですが、越えようとしたら、普通の柵を越えるより難しくなりました。この柵どんどん高くなり、障害物もどんどん多くなったので、私は急に事の重大さを理解しました。

 すると、同修のWさんが私を引っ張るので、私すぐに走り出すと、背後には柵が一列ずつ次から次へと出てきました。走っていくと、ようやくゴールが見えてきました。それはとても広い海岸線が続いており、ゴールの地面には2本の光の線が点滅していました。その2本の点滅している光の線はゴールのです。白いTシャツを着た人がゴール地点に立っており、その人は審判だと思いました。

 ゴールまであと100メートルというところで、足元とゴールの間の地面も警報が鳴り始め、光が点滅しました 。そして、障害物が今にも地面から出てきそうになり、ゴールの2本の光の線が地面から上昇するように見えました。その2本の光は、白から赤に変わって上昇すると、もうゴールを越えることは不可能です

 この時、急に私は足を踏み出すのが困難になりました。一歩一歩がとても大変で、まるで足に千キロの重りがついていて地面に向かって引っ張られているようでした。一歩も踏み出せずに、走れば走るほどどんどんコースからズレていきます。そのとき、私の周囲平行して壁が現れたので、山登りのように手で壁を掴み、一生懸命に前に進ました。そのとき、あまり深く考えなかったのですが、足元の警告アラームが点滅し続けていました。

 とうとう、なんとかゴールにたどり着きました。私の上半身がゴールラインを越えたとき、ラインはまだ赤くなっていなかったので、「ゴールに着いた。危なかった!」と思い、疲れ果てて地面に横ました。ふと隣を見ると、同修のWさんとっくにゴール越えて私のことを見おり、審判いました。彼らは、私がゴールライン横になっているのではなく、立ち上がるのを待ってくれていしたが、私は全く残っていませんでした。そのとき、目が覚めました。

 以上は夢の中のことでが、現実では、前日の土曜日の朝、急にお腹が痛くなり、それが長く続いたので、「法輪大法は素晴らしい、真善忍が素晴らしい」と唱え続け、ようやく治ったということがありました。発正念の時間になると、もうお腹の痛みはなくなったため、煉功に出かけることができるようになったのですが、「さっきまで大変だったから、少し寝休もう」と思っていました。

 お昼に、煉功点の協調人である同修のWさんに会いました。私は、今朝の煉功に来なかった理由を説明しましたが、Wさんは、「今日中に、時間を見つけて煉功して休んだ分を挽回しないと」と言ってくれました。私は「はい」と答えましたが、心の中では「この数ヶ月、毎朝煉功しているし、明日の朝も煉功するから、今日煉功しなくても問題ないだろう」と思っていました。

 夕方、地元の学法と交流に参加した後、「今日は土曜日で、明日も出勤だから、今夜は休もう」と思い、そこで、ポテトチップスを2パック買ってきて、公園で散歩して休もうと思っていました。

 夜の10時を過ぎ、公園で散歩していると、遠くから、同修のWさんが抱輪(第2式)しているのが見えました。「Wさんも今朝、煉功しなかったのだろうか。なぜ、こんな時間に抱輪をするのだろう?」と思っていました。

 私は公園を一周ぶらぶらしながら、ふと、「お昼に同修のWさんは、煉功して挽回するようにと言ってくれたのに、今日一日しなかった。それなのに夕方またWさんに会ったということは、師父が私に煉功をするように言ってくださっているのでは」と理解しました。私は急いでWさんのそばに駆け寄り、一緒に抱輪をしました。後で、煉功が終わってから気づいたのですが、Wさん2時間の抱輪をしたのに対し、私は30分しかやっていなかったのです。

 前日 、 自分の修煉を怠け 、翌朝の夢の意味を併せて考えると 、最後になればなるほど肝心になると気づきました。同修のWさんはずっと精進を保ち続けているし、最後まで精進するように努力しています。ですから、Wさんはいつも通りにスムーズに進み 、ゴールを越えられました。しかし、私は怠けていたため、最後の道がどんどん難しくなっていきました。走りにくく感じ、時間内にゴールを越えることもできなかったかもしれません。

 では、なぜ怠けたのでしょうか?内に向けて自分のことを探してみたら、歓喜心があるからです。何ヶ月も早起きして煉功をやり続けてきたので、自分のやったことはすごかったと思いました。この上なく楽な状態の心は取り除かれず、常人のように定期的に休んで遊んで、リラックスすることが必要だと思っていました。また、間食への執着心もありました。修煉していないとき、間食が大好きだったのですが、修煉を始めても、間食執着心として真剣にやめようとしませんでした。

 普段、学法するとき、意念が抜け出したこともあり、時には眠くなったこともあります。ただの腹痛で修煉者としての正念が消え、完全に自分を常人と同じい、煉功に行かなくなったのです。

 不躾な弟子を目覚めさせてくださった師父に感謝いたします。弟子の私は、これからも精進続け、最後の最後まで時間を無駄にせず、着実に修煉していきたいと思います。

 以上は私の感想で、次元は限られているため、不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/2/450287.html)
 
関連文章