ビデオ:【明慧十方】「4.25」1万人陳情 「包囲」とその真実
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 【明慧日本2022年10月17日】(中国で)「陳情」というと、すぐに「陳情妨害」の場面を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。長年、中国各地から北京に陳情に訪れる人々が、地元の公安当局に妨害されて連れ戻され、人身の自由を制限されることが常態化しており、陳情者の中には拷問を受けたり、死の恐怖にさらされたり、死に至るまで迫害された人もいます......。(ビデオ本文より抜粋)

 「4.25」1万人陳情 「包囲」とその真実

 皆さん、こんにちは。「明慧十方」の番組へようこそ。私たちの心からのメッセージが、皆様に温もりと希望をもたらすことを願っています。 

 (中国で)「陳情」というと、すぐに「陳情妨害」の場面を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。 長年、全国各地から北京に陳情に訪れる人々が、地元の公安当局に妨害されて連れ戻され、人身の自由を制限されることが常態化しており、陳情者の中には拷問を受けたり、死の恐怖にさらされたり、死に至るまで迫害された人もいます。

 しかし、不条理なのは1999年4月、天津市の人権擁護者たちは公安に「陳情妨害」されるどころか、天津警察から北京への陳情を「奨励」されるという事態になりました。当時は今ほど「陳情妨害」は横行していなかったとしても、地方当局としては「北京には陳情に行かないでほしい」というのが本音で、意図的に陳情を促すようなことはなかったと思います。「4.25」未明、この天津の人権擁護者たちが中南海からほど近い国務院陳情所の入り口に到着したとき、彼らは自分たちだけではなく、北京や周辺地域からも1万人の声援者が集まっていることに気づきました。陳情に参加した人は、農民から博士、軍人から省庁の役人まで、おそらく、さまざまな職業の人がいたと思われます。

 この陳情は国内外でセンセーションを巻き起こし、AP通信、BBC、ニューヨークタイムズなど、海外の主要メディアに取り上げられ、「中国で最も大規模で、最も理性的で平和的に、最も成功した陳情」と称され、歴史的に「『4.25』1万人の大規模な陳情」と呼ばれています。 この陳情に参加した1万人の人々は、年齢も職業も経歴もさまざまですが、法輪大法という共通の信念を持っています。

 1999年4月、法輪大法はまだ政治的にタブー視されておらず、病気が治り、道徳を向上させる奇跡的な効果があるとして、国民の間で口コミで広まっていました。法輪大法を学んだことで、健康を取り戻した人の中には、肝硬変だった中国の有名なテノール歌手・関貴敏氏、長年の水泳で多くの病気をわずらっていたオリンピック銀メダリスト・黄暁敏さん、体が弱く多くの病気を持つ元公安部十一局副局長・葉浩氏も含まれています。

 当時、法輪大法は中国本土では人々によく知られており、愛好されていました。1999年の中国共産党の公式統計によると、法輪大法の学習者は7,000万から1億人にのぼるという。1998年、中国共産党全国人民代表大会(全人代)の喬石元委員長は、法輪功の詳細な調査・研究を行い、「法輪功は国にとっても国民にとっても、百利あって一害なし」という結論を出し、同年末に江沢民が率いる政治局に調査報告書を提出しました。

 では、なぜ1999年4月に一夜にして1万人の法輪功学習者が陳情に行ったのでしょうか? 天津市公安局はなぜ法輪功学習者に北京へ行くよう「奨励」したのでしょうか?  始まりは1996年にさかのぼります。

 1996年6月17日、中国共産党の代弁者機関紙『光明日報』は、法輪功を公に誹謗中傷する評論家の記事を掲載しました。同年7月24日、江沢民は宣伝部とその管轄下にある各省・市新聞出版局に内部文書を出し、当時北京でベストテン入りしていた法輪大法の主著『轉法輪』の出版を禁止するよう指示しました。

 では、江沢民は法輪功を弾圧するために、なぜ大勢の人を動員したのでしょうか?

 それは、江沢民が「4.25」1万人陳情の夜、政治局常務委員や関係指導者に宛てた手紙を見れば明らかです。江沢民は手紙の中で、法輪功を弾圧する理由として、第一に法輪功を学ぶ人が多すぎること、第二に法輪功の信念が共産党の思想と相反することの二つを挙げています。ワシントンポスト紙の報道も、「共産党内部情報筋によると、法輪功に対する弾圧について、政治局は全員一致で合意しておらず、江沢民の独断で法輪功を根絶しようとしている」「特に、江沢民は自分の周りにいる多くの人が法輪功学習者であることを知ってから、さらに一刻も早く法輪功学習者を根絶する意志が強くなった。......内部情報筋によると、法輪功を根絶するのは江沢民の個人的な意見に過ぎないことが明らかになっている」と述べています。

 西洋人学者ディーン・ピーマン氏は、法輪功の創始者である李洪志先生が人々から愛されていることに、江沢民は極めて嫉妬し、これが法輪功を弾圧する根本的原因になっていると指摘しています。1997年初め、中国共産党政法委員会書記の羅幹は、江沢民の指示で公安部に全国的な調査を行わせ、法輪功を誣告する証拠を集めるよう指示しました。その頃、各地の法輪功学習者は、煉功に見慣れない顔が突然現れることに気づきました。この人達は「特殊な任務」、つまり法輪功への調査に来ていると分かっていました。しかし、全国の公安局が徹底して調査した結果、「問題は見つかっていない」との報告をしたため、捜査は打ち切られました。

 しかし、江沢民と羅幹は諦めませんでした。羅幹の義兄・何祚麻は、中国科学院の学者ですが、外部からは「科学者のごろつき」との称号を与えられていました。何祚麻は日和見(ひよりみ)主義者であり、大学時代には早くも「自然科学に階級性はあるのか」という問題を提起し、中国宣伝部の指導者に目をつけられ、宣伝部で5年間勤めました。何祚庥は、マルクス・レーニン主義を用いて理論物理学の解釈に熱中し、「理論物理学」の学者という肩書きも、実はマルクス・レーニン主義によって手に入れたものです。何祚庥はお世辞がとても上手で、江沢民に媚(こび)を売るために、量子力学と江の「三つの代表」を結びつけ合わせたのです。

 1998年5月末、何祚麻は北京テレビで、虚偽の情報によって公に法輪功を誹謗中傷しました。 法輪功学習者が同局に真実を明らかにした後、同局の指導者は、これは同局の歴史上最も重大な過ちであるとし、責任者の一人を解雇し、早朝の公園で法輪功学習者が煉功している平和な光景を伝え、訂正番組をすぐに放送しました。

 北京テレビの事件後、北京のある副市長から、北京のすべてのメディアはもう科学者のごろつき・何祚庥に市場を与えないと発言しました。すると、何祚庥は天津に場所を変え問題を起こそうとしました。 1999年4月11日、何祚麻は天津教育学院の『青年科学技術博覧』という雑誌に、再び法輪功を誹謗中傷する記事を発表しました。4月18日から24日まで、天津の法輪功学習者の一部は天津教育学院などの関連機関に行き、事実を伝えました。状況を把握した教育学院の編集部は誠意を持って、法輪功に関する不正確な報道を訂正する意思を示しました。ところが意外なことに、編集部は「誹謗中傷の内容は修正できない」という「上からの指示」があったと、すぐに180度の方向転換をしたのです。これと同時に、4月23日と24日、天津市公安局は突然、治安機動隊を使って事実を伝えた法輪功学習者を殴り、流血と負傷者まで出る事態になり、45人が不法に逮捕されました。

 そして、より多くの法輪功学習者が天津市政府を訪れ、真実の状況を説明し、不当に逮捕された45人の法輪功学習者の釈放を求めました。しかし、天津市公安局は、公安部がこの事件に介入しており、逮捕された法輪功学習者は北京の許可なく釈放されることはないと告げました。天津市公安局も法輪功学習者に 「北京に行きなさい、北京でしか問題を解決できない」と 「提案」したのです。

 法輪功学習者たちは、天津市公安局の「提案」の狙いを深く考えず、ただ政府と指導者を信じて、自発的に北京へ向かったのです。このニュースを聞いて、周辺地域の法輪功学習者も自発的に北京にやってきて、真実を説明しました。これだけの学習者がいるのだから、もし呼びかけをすれば、1万人にとどまらず、10万人、100万人、あるいはそれ以上の人数になったでしょう。

 4月25日早朝、1万人にのぼる法輪功学習者が国務院陳情所に到着。すでに大量の公安警察と私服警官が待ち構えていました。警察と私服警官は早い時間帯に命令を受けたようで、自然に学習者に指示を出し、中南海の正門から誘導して左右に並べさせ、中南海を「包囲」する体勢を作り上げました。これが、後に中国共産党が称したいわゆる「中南海包囲」なのです。

 その後、現場に多くの警官がやってきて、10メートルほどの間隔に一人の警官を立たせました。出向いてきた警官たちは、最初は少し緊張していましたが、法輪功学習者が全く冷静で親切であることを感じ、すぐに緊張が解けました。

 当時、「4.25」陳情に参加した周琳娜さんは、「私は朝から夜9時過ぎまでずっとそこにいました。この間、みんなとても冷静で、静かに本を読み、若い人は前に、年配の人は後ろに立って、座布団に座って本を読んだり、静功の煉功をしたりしていました」 と語っています。

 現場は和やかな雰囲気に包まれ、パトカーに乗り込んで寝てしまう警官もいれば、現場でおしゃべりをしたりタバコを吸ったりしている警官もいました。 当時、法輪功の評判は政府にも国民にも非常に良かったので、警官の中には率先して学習者に話しかけ、歓談の後、事の真実に対する理解を深めました。

 この状況を見て、私服警官が法輪功学習者に潜入し、中南海を襲撃するように扇動し始めました。 しかし、法輪功学習者は誰一人として扇動に応じることなく、冷静で穏やかに、理性を持って判断しました。

 実際、中国共産党が「4.25」の事件を「中南海包囲」と称したのは、事件を画策した一部の中国共産党員の本当の目的を表しており、まず科学者のごろつき何祚麻を利用して法輪功に風評被害を与え、天津公安局に法輪功学習者を暴力的に殴打・逮捕するように唆し、そして法輪功学習者に北京への陳情を「奨励」し、中南海を襲撃することを誘導し、動乱を作り出して弾圧の口実にすることを企んだのです。

 しかしこの時、江沢民一派が予想もしなかった事が起きました。当時の朱鎔基首相が帰国する外国賓客を空港へ見送った帰りに、中南海の入り口で陳情中の法輪功学習者に出会ったのです。首相は、陳情所の責任者に出向いてもらい、陳情者の中から希望者数人を迎え入れ、事情を聞きました。学習者は三つのことを求めました。一、2日前に天津で逮捕された法輪功学習者を釈放をすること。二、法輪功に公正で合法な煉功環境を与えること。三、法輪功にかかわる書籍を合法ルートで出版させることでした。

 事件が平和的に解決された後、1万人の法輪功学習者はすぐに静かに解散しました。 参加者が去った後、中南海の外側の地面には、紙くず一枚も残さずきれいに掃除され、警察が投げ捨てたタバコの吸殻も拾われました。現場に居合わせた警官の1人がそれを見た、驚いて「見てみなさい、これが徳だ!」と周囲の人達に言いました。

 この陳情があったから、それが3カ月後に江沢民の弾圧を招いたという人がいます。実際、当時は形勢が穏やかではなく、江沢民一派による弾圧がすでに始まっており、「4.25」陳情はこの弾圧を全面的に阻止しようとする大規模な自発的行動でした。江沢民一派の独断専行を止めることはできませんでしたが、「4.25」の陳情は、法輪功学習者の大きな善と大きな忍の度量、および平静さ、穏やかさ、理性的な素養を世界に示すことができました。「4.25平和的な陳情」は、中国の地に道徳的な記念碑を建てたと言えます。

 1999年から現在に至るまで、20年以上続く中国共産党の迫害に直面しても、「4.25」の精神は決して失われることはなく、法輪功学習者は常に大きな善と大きな忍を心に抱き、平和的かつ理性的な方法で迫害を暴き続け、迫害の停止を呼びかけています。実際、法輪功学習者がこのように貫いてきたのは、自分の信仰のためだけでなく、中国人の自由と基本的人権のために戦っているのです。

 長い年月が過ぎ去り、中国共産党は長い間、法輪功学習者への迫害を続けており、すでにすべての中国人に拡大しています。真・善・忍を弾圧することで、社会における偽・悪・闘の蔓延を助長しています。法輪功学習者に対する不公平は、すべての中国人に対する不公平なのです。もし私達一人ひとりが法輪功学習者のように、「4.25」の精神に則り、平和的かつ理性的に迫害に反対することができれば、近い将来、共産党のない自由な生活と明るい未来を切り開く日を目にすることができると信じています。

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(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/12/450708.html)
 
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