鮮明な夢に驚いて私は目覚めた
■ 印刷版
 

 文/中国河北省の大法弟子・李真

 【明慧日本2022年11月1日】3カ月前、私ははっきりとした夢を見ました。夢の中で、分厚い本(『轉法輪』のような本)の上に、最後に近づくページの下半分にCDの大きさぐらいの円を描きました。 そして、円の上端を引き裂いたのです。 すると大変なことになっていたのです! なんと師父の写真を破ってしまっていたのです! 夢の中で驚いた私は号泣していました。

 目が覚めた時、不安になって気が気ではなくなり、「どうして、こんなことになってしまったのか? 問題はどこにあるのか?」と、表面的な問題はたくさん見つかりましたが、「根本的な部分は見つかっていない」と思いました。

 学法しても法理が心に入らず、発正念をするときは立てた掌が倒れてしまい、三つのことはすべて行っていますが、いつもごまかして表面だけにとどまっています。心の底では、もっと苦しみをなめ、多くの代償を払いたいという考えもなく、毎日自分が按排したことをやっているだけでした。いかに三つのことをより良く行うかなど、あまり考えてはいませんでした。同修から、何かを少しでも付け加えられると耐えられなくなり、今やっていることさえも、もう限界に達したように感じていました。

 特に、全体の状態、あるいは個人の状態が良くない時は、協調や手助けの交流が必要になりますが、他の同修から「協調してほしい」と言われると、心が穏やかではなくなるのです。そして、その後に言い訳をするのです。「私は、毎日仕事をしている。そのため自分の修煉時間が無くなってしまうのに、何かあるたびに、私に頼まないで欲しい。あなたたちは、なぜ自分でやらないのか?」と思ってしまい、心の中に恨みが生じ、語気まで変わってしまうのでした。

 20年以上にわたる協調の修煉の中で、このような心境になったことは一度もありませんでした。しかし、今の私は一つの容器のようであって、容量の受け入れ能力の限界に達しており、これ以上受け入れられないと感じていたのです。

 ある同修が、私に依頼心があることに気づきました。各地区の協調人のグループ学法の時、同修たちとこの方面に関する師父の説法について交流したところ、同修もそれを認識し、すぐに変化がありました。

 またある協調人と二人きりで交流した時、彼女は「あなたは皇室から賜った剣を持っている人だから、誰が何をするかを按排してもいいのです」と言いました。 これを聞いて私はすぐに立ち上がって、「あなたは私に、害を与えようとしているのではありませんか?」と言いました。しかし、私はすぐに自分の状態が良くないことに気づき、それから一息入れてから、こう言いました。「修煉には手本がなく、法をもって師とするのです。あなたがこのように考えるのは、他人や自分自身に害を与えているのです! 旧勢力はこれらを口実に同修の命を奪ったのです。私はもうこの街にはいられないようですね。故郷に帰って生活します」と言いました。このときの私には、「同修が法を理解していないことに対する怨む心、そして迫害を招くことを恐れる心」があったのです。

 同修の言葉は、私の心を大きく動かしました。私は内に向けて探しました。すると「上から目線で人を見る、すべてを一手に引き受け物事を行いたい、顕示する心、褒め言葉が聴きたい、面子を気にする」などの心を見つけました。 さらに詳しく探してみると、私にはすべての執着心を持っているようですが、謙虚さも欠けているではありませんか。ああ! なんと私の修煉はこんなにもできていないのでしょうか!

 今は基本的には故郷に住んでいるのですが、地元の同修の修煉状態は、街の同修の修煉状態と比べると決して良いとは言えません。数年前までは、私の故郷の同修は今の街の同修との差はなかったのです。 今では資料作りの拠点は止まった状態で、わすかな資料しか配っていません。日中も外に出て面と向かって真実を伝える人は少なく、7、8人の同修は偽の病業状態にあるのです。

 私は1997年に修煉を始めました。私が街に住んでいる孫娘に会いに行くまでは、地元の協調人を務めていました。当時は本当に心を込めており、責任感も強く、全体という考えも強く持っていました。同修にパソコンを買うように励まし、明慧のホームページにアクセスできるようにし、資料作りの拠点を立ち上げました。そして、新唐人テレビの衛星放送受信アンテナを市民に取り付けてあげたり、横断幕を印刷し、壁に自作スプレーボードで法輪功迫害の真実のフレーズを吹き付け、あらゆる真相資料を張り付け、パンフレットと『明慧週報』を配布したりしていました。最初は夜間に配布し、日中は面と向かって真実を伝え、当時、同修はみんな外に出てやっていたのです。年配の同修たちも弱音を吐かず、隣県との境を含めて近郷近在の村々にまで真相を伝えていました。

 この度、故郷に戻った私は、協調人になるのではなく、人を救い、再び真相資料を全世帯に配ることを決めました。私は自分の村の夜のグループ学法に参加しただけで、近くの村や町のグループ学法には参加していませんでした。聞いたところでは、彼らはただ学法するだけで、週刊誌はほとんどなく、あっても誰も取らず、真相資料があってもほとんどの同修は取らず、取る人も少ししか取らないとのことでした。また、携帯電話の安全問題にも注意していない人もいました。そのため、私は避けて逃げていたのです。

 夢で見たように、私は自分のために円を描き、全体から自分を切り離していたのです。師父が説かれた「心性を強調し、全体の向上、昇華を強調するのです」[1]に逆行していたのです。

 この状態は正しくないと思っていましたが、私は全体に溶け込むのが嫌だったのです。同修がまた私に頼ってくるのが怖くて(地元を離れて街に行ったときこの傾向があった)、迫害やトラブル、苦を招くのを恐れていました。しかし時には、「この地域の村の協調人をまとめて、週に一度のグループ学法をしよう、協調人が向上すれば、その地区の同修の精進につながる」と思ったこともありました。こう考えた時、良くない観念が現れ、利己的な心、トラブルを恐れる心、のんびりしたい心がまた戻ってくるのです。私はこれらを見つけたものの、それを取り除くことが難しいと思い、消極的に対処していました。これらの執着の根源はどこにあるのだろうか? どうしてこうなってしまったのでしょうか?

 師父は、私が突破口を開きたいと思っており、その根本的な原因を見つけられずに、苦しんでいるのを見て、慈悲なる啓示をくださったのです。ある朝、私が静功煉功をしているとき、師父がおっしゃった言葉を思い出しました。「法が天体を正すことはすでに終了し、現在法がこの世を正すことに移行しつつあります。大部分の大法弟子は師父とともに法がこの世を正すことを行います」[2]。私は喪失感を感じ、師父の初期の説法を思い出しました。私の次元での理解は、法を正す時期の大法弟子は、法がこの世を正す前に円満成就して自分の次元に帰り、この世を正すときに行うべきことは法を正す時期の大法弟子と関係がありません。私は、師父について法がこの世を正すことに抵抗があり、法がこの世を正す前に円満成就したいと考えていたのです。これが私の夢の答えではないでしょうか? 自分は大法の本に円を描き、師父の言葉に背き、師父について法がこの世を正すことを望んではいなかったのです。これでは大法の師父が私のために按排された道を、自分の手で壊してしまったのではないでしょうか? それでも円満成就できると思いますか? その資格はあるのでしょうか? 私はひどくうぬぼれており、自分で生きる道を断ち切っていたのです!

 私は非常に驚嘆しました。とても危なかったのです! 危なかったのです! 師父の初期の説法さえも全部悟ってもいないのに、どうやって自分の円満成就した未来を按排できるのでしょうか? 弟子はすべての言葉を用いても、慈悲深い師父への感謝を語り尽くすことはできないのです!

 後書き

 私がこの体験を書き始めたとき、1ページ書いたところで、もう書きたくないと思いました。私は学力が低く、タイピングも遅いため、文章にするのに苦労し、難しく感じ、口では「こんなことを書いて役に立つのか? 書かない、書かない」と言っていました。しかし、私は考えを変えました。もう苦しみや困難を恐れてはいけない! 自分が歩んできた道は、苦しみや困難を恐れて招いたのではないでしょうか?

 明慧ラジオ放送を聴くと、同修は法会への投稿の大切さや意外な収穫について話しています。私はその言葉に励まされ、最近の修煉の細部を総括するとして、その当時の心理状態を回顧できれば、不純を見つけ、よりよく法に同化し、普段ではこのように細部まで内に向けて探すことができません。 問題の所在を見つけ出すことができれば、それは一秒で別人に変わり、とても楽しく、心身ともにリラックスし、今までの悩みがまるで前世の出来事ようです。 そうです! 私は分かりました! 私は乗り越えることができました! 私は、修煉は「初心を忘れず」[3]の感覚を取り戻すことができたのです。

 特に協調の問題について、それは私が余分に得たもので、多くの同修と接し、多くのことに接し、人心のぶつかり合いが多く、向上する機会が多く、法に同化する機会も多かったのです。私は一挙に、複数のものを得ることができました。私は大法弟子になれただけでも、それは私にとって光栄なことであり、この上なく幸せなことであり、大切にしなければなりません。

 表面上は私が全体の協調をしていますが、実質的にはすべて師父が行われているのです。 弟子の一つ一つの執着心を取り除くことに、師父はどれほどの心配りや、苦心などの按排が含まれているでしょうか! 私の25年間の修煉の中で、師父は私を守ってくださり、多くの命の借りを返済し、私を導き、私を啓示してくださり、浮き沈みの激しいこの25年間を歩き通すことができました。そのエピソードは語り尽くせず、師父への感謝も語り尽くすことはできません!

 書いていると、何度も涙をこらえることができませんでした。師父、どうかご安心ください。私は勇猛邁進して、より良く自分を修めて多くの人を救います。

 法に符合していないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『目覚めよ』
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」

 
(中国語: https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/21/450961.html)
 
関連文章