中国法会|家への帰り道
■ 印刷版
 

文/河北省の大法弟子  

 【明慧日本2022年11月17日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 2020年の春、中共ウィルス(武漢肺炎)蔓延の初期ごろ、地元の同修は、交流して人々に中共による残酷な迫害の真相資料を見せれば、わかってくれると認識しました。真相がわかってはじめて三退し、この大きな疫病から身を守れると悟りました。

 コロナの蔓延が速く、私たちは市民に資料を送り、彼らに救われるチャンスを届けに行くべきです。中共が道路を封鎖するのではないかとか考えて、私たちは翌日の夜に迫害の真相が書かれた小冊子、カード、疫病から逃れる方法を配りに行くことにしました。

 翌日の夜、私たちは2チームに分かれて、それぞれ1台の車に乗って違う方向へ行き、配り終わったら各自帰宅すると決めました。

 私は同修と、村で資料を配り終えて路上で車を待っていました。この時、ほかの同修2人も配り終えて車を待っているところに遭遇しました。多くの人が路上で立っているのは安全ではないと思い、私たちは路地に入り、車が着いたらまた出ていけばいいと思っていました。

 しばらくすると、路上の方から誰かが憎々しげな声で「乗れ!」という声が聞こえてきました。聞き覚えのない声でしたので、私たちの車ではないと判断し、出て行きませんでした。車が走り去って静かになりましたので、私たちは他の同修を探しましたが、いませんでした。ずっと待っていても、誰も来ず、車も来ませんでした。

 旧正月の時期はとても寒く、車と同修も見つからず、私たちは前に進みました。村から遠く歩いても、車も人もいませんでした。この時、みぞれが降り始め、私の防寒服は古着で防水ではなく、すぐに濡れてガチガチになり、とても寒かったのです。靴も全部濡れて、足も冷えました。雪はさらに激しく降り、路上に厚く積もりました。私は、先ほどのことをできるだけ速く協調人に伝えたいのですが、誰も見つかりませんでした。ほかの同修がどういう状況なのかとても心配していました。

 夜も更け、私たちにはまだ1パックずつの資料が残っていました。車に乗ってほかの村で配るつもりでしたが、車も同修もいないため、雪の中を歩いて行こうと決めました。雪がさらに強くなり、銀世界になり、足を持ち上げたときに、どこに置いたらいいのかわからないほどでした。

 私たちは滑りながら、一歩一歩前に進み、数えきれないほど転んで、また立ち上がり、できるだけカバンの中の資料を濡らさないように注意しました。雪がどんなに積もっていても、私たちは人を救うためにここにいると話し合い、村が見えたら資料を配りに行くと決めました。

 師父は「忍び難がたきは忍びうる」 [1]と説かれました。

 私たちは強い正念さえあれば、師父はきっと叶えてくださると確信していました。前に村が見え、私たちはよろめきながら、資料を配り終えました。この時、ある木の下で休憩していると、枝が雪の重みで折れましたが、師父のご加護の下、私たちはすぐに避けることができ、怪我はしませんでした。

 私たちは続けて前に進み、同修は橋の欄干に寄りかかり、ひと休憩しようとしましたが、疲労と空腹で意識を失うところでした。私たちは師父に必ず無事に家に戻れるようにとお願いしました。路上の雪で折れた枝を拾って、杖として支えながら、困難な中で前へと進みました。時間がどれくらい経ったのかはわかりませんが、少しずつ周りが明るくなってきました。

 朝の7時すぎ、私たちは力が尽き、どうしても歩けなくなりました。同修はきっとお腹が空いているので、食べ物を探さなければならないと思いました。しかし、家までまだ50キロあります。体力をつけなければ、どうやって帰れますか。次の村で食べ物を探そうと決めました。

 私たちは一歩一歩前進していくと、大きな橋が見え、そこに何人かがいました。彼らは私たたちを見て「武漢からの逃亡者ではないか」と言っていました。しばらく歩くと、やっと村が見えてきました。同修はもう限界のようなので、私は食べ物を探しに行きました。

 私は、お金を持っていないことは分かっていましたが、無意識のうちにポケットに手を入れたところ、なんと100元の現金がありました。この時、私は涙が止まらなくなり、師父は弟子たちの様子を見て、食べ物を買うお金をくださったのだとわかりました。

 一番近い売店に行き、入ろうとしましたが、ある腕章をつけている人に追い出され、買えませんでした。その人はさらに、帰らないと通報すると言いふらしました。路上で雪かきをしている人、コロナ関連の巡回員もいたので、私たちは急いで離れました。

 村から出て困っていた時、一人の老人が近づいてきました。同修は疲れてお腹が空いているにもかかわらず、お年寄りに真相を伝え、私はそばで発正念しました。この方は以前も真相を聞いたことがあり、よくわかっています。彼は、法輪功の人はこんな大雪の中でも来てくれて、これは法輪功の人しかできないと感服しました。ほかの人は家で暖炉を囲み、携帯電話をいじったり、おしゃべりをしているのに、法輪功の人だけは他人のことを考えていると言いました。

 同修は老人にコロナで売店に入れなかったことを説明して、何か食べ物がないかと聞きました。すると、お年寄りは「代わりに買ってあげる」と言い、お金をもらってびっこを引いて歩いていきました。彼の背中を見て、私たちはとても感動しました。真相がわかった人は本当に大法弟子を助けてくれるのです。

 この時、路地から女の子2人が出て来ました。同修はまた2人に真相を伝え、2人は老人の孫だとわかりました。2人はお爺さんを追いかけ、お金をもらってすぐに売店で食べ物を買って戻って来ました。お礼を言ってから、私たちは続けて歩きました。

 知らないうちに、後ろから白い車が来て、私たちのところに止まりました。何人かが降りて、私たちにどこから来たのか、どこに行くのかと聞き、さらにカバンの中を調べました。しかし、カバンの中には先ほど買ったばかりのインスタント麺と水しかなく、向こうは諦めるしかなかったのです。私たちは彼らが郷派出所の人だとわかりましたが、宇宙の中の最も正しいことを行っているので、師父が守ってくださるので、全く恐れませんでした。彼らは私たちに質問し続けましたが、最後には、帰りました。

 私たちはさらに2.5キロ進み、また村が見えました。ここから家まで後30キロほどです。私たちは相談して、まず村に入って、携帯電話を借りて家族に電話することにしました。私たちはある女性に携帯電話を借りて息子に電話をし、息子が迎えに来ました。彼は私たちの安否をとても心配して、車の中で文句を言いましたが、息子の気持ちは理解できました。師父のご加護の下、私たちは無事に帰宅できました。

 その日に一緒に行った同修のうちの4人は、通報されて地元派出所の警官に身柄を拘束され、いまだに拘禁されています。

 大法弟子が歩んできた道はとても険しいのですが、明るい未来が待っています。なぜなら、私たちには最も偉大な師父がおられるからです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 (明慧ネット第19回中国本土の大法弟子による修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/12/451516.html)
 
関連文章