真善忍を悟ったら、最悪の人生に幸運がやって来た
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 【明慧2022年11月24日】(台湾=明慧記者・鄭語焉)雯麗(ウェンリー)さんと夫はもともと和気藹々でとても仲が良かったのですが、ある観念での違いや金銭問題で喧嘩をし、離婚寸前までいったことがあるそうです。幸い、雯麗さんは法輪大法の修煉により、真善忍に従って良い人を目指し心を修めることで、その「金銭問題」の束縛を解き、家族の崩壊を免れたのです。今も夫婦で協力し、人々のために明るい未来を創造しています。

图1:雯丽和丈夫科言,因为真、善、忍而受惠,重拾伉俪情深,家庭和乐。

雯麗さんと夫の科言さん

 雯麗さんは裕福な家庭の出身で、父親から財産を受け継ぎ、良い仕事と安定した収入があります。雯麗さんの夫はアメリカから帰国した優秀な人材で、仕事は勤勉で真面目なので、うらやましいと思われる夫婦です。そんな夫婦が、なぜ喧嘩ばかりして別れそうになったのでしょうか? 長い間のいざこざを二人はどうやって乗り越えられたのでしょうか? 雯麗さんが修煉を始めたきっかけは何だったのでしょうか? その後、どのように変化したのでしょうか? 雯麗さんの人生の旅や物語をご紹介します。 

 母親が亡くなったことで、初めて悲しみを味わう

 裕福な家庭に生まれた雯麗さんは、両親に大切に育てられてきたのですが、17歳のとき母親が亡くなり、雯麗さんは自分の人生にとって、一つの大きな柱が欠けたように感じました。しばらくの間、母を思い出すたびに雯麗さんは泣いてしまいました。悲しみを味わったことのない雯麗さんは、人はどこから来てどこへ行くのか、人間は何のために生まれてきたのか、という疑問を持っていました。その答えの探求が始まり、密教を一時的に学びましたが、うやむやのままに終わったのです。

 一、夢から目覚めたような悟り

 雯麗さんは大学卒業後、国家試験に合格し、監査役として公職に就きました。その公職の役割は、関連部門の誤りを指摘し報告すること、及びその関連部門に欠点等を改善するよう命じることなのです。指摘された案件は往々にして昇給や昇格に関係するものなので、雯麗さんのような監査役に対し、できる限り尊敬し、トラブルのないように取り扱われていました。その指摘業務を実行してきた中で、ネガティブ思考や幹部の気質が身につき、高みに立って人の欠点を見下す癖がついてしまいました。雯麗さんは、「修煉する前は、人と接する時、真善忍という根本的な概念はなく、自分のやりたい放題、自分は正しいと思って、人に親切にせず、我慢することもできなかった。私を尊重して我慢してくれと思った」と語りました。

 周囲から見れば、雯麗さんはいつも高くとまっていますが、仕事の負荷が重く、業績評価の競争でのストレスがとても大きいこと、仕事後の家族や子供の世話と相まって、毎日仕事に追われていた、と見られていました。職場の上司は雯麗さんに法輪功を薦め、煉功の動作を教えました。雯麗さんは法輪大法の九日間の講習会に参加した後、潜在的な意識からこれが自分の求めていたものであると感じ、法輪大法を修煉しようと決意したのです。

 しかし、多忙な生活、義理の両親との深刻な対立、夫の会社の事情などで、雯麗さんは心も体も疲れてしまい、学法や煉功は三日坊主でした。健康に問題があって、病業で生死の境をさまよった瞬間に、雯麗さんは夢から目覚めたように悟り、内に向けて探し、自分のことを見つめることができました。すると、本当の修煉に戻ることができ、着実に修煉し始め、大法弟子がすべき三つのこともしっかりやっていくと決心しました。それで、真善忍の中で、内外の環境は静かに変化してきていました。

 二、冷たく傲慢な人から、謙虚で温かい人へ

图2:雯丽实修法轮大法之后,神清气爽,身心祥和愉快,待人接物温馨体贴。

修煉してから心身ともに変化を成し遂げた雯麗さん

 雯麗さんは子供の頃からあまり運動をしないので、よく体調不良になったり風邪をひいたり、偏頭痛に悩まされたりしていました。特に、密閉空間に入ったら、新鮮な空気が吸えないと、頭痛がひどくなります。最悪なのは、食事ができない、よく眠れない、不眠症、便通が悪い、顔色が悪い、歩く時に息切れがする、2階へのぼるには2、3回休憩しなければいけない、という状態でした。夫に連れられて漢方医の診察を受けたのですが、一向に改善されず、負けず嫌いの雯麗さんは、辛い体を抱えて我慢して出勤していました。みんなに早く医者に見てもらうように言われてきましたが、雯麗さんは心の中で苦笑いするしかできなかったのです。本当に法輪大法を着実に修煉しはじめ、真相を伝えるプロジェクトに参加するようになってから、雯麗さんの体調が良くなり、これまでの症状も治りました。今、雯麗さんは3時間しか眠らず、目覚めてから忙しい一日が始まりますが、ますます元気でたくましくなり、顔色も良くなっています。

 冷たくて横柄なお嬢さんだったのが、謙虚で温かく、率先して人に気を配り、真摯に挨拶するようになり、夫の友人は「奥さんはどのようにして変わったのですか?」と聞いてきました。「そうでしたが、彼女は法輪功を修煉してから変わりましたね」と納得しました。雯麗さん と義理の両親との関係も180度改善されました。

 三、義理の両親との深刻な対立から和気藹々たる一家へ

 雯麗さんの義理の両親は自営業を営む田舎者で、学歴もなく、口もそんなに利かないのです。雯麗さんは無意識に義理の両親を軽く見るようになり、深刻な対立が現れてきていました。些細なことでもトラブルが生じていたのです。

 例えば、義理の母に、食器洗いはこうしたら綺麗になると指摘された時、雯麗さんは直ちに、「うちのばあちゃんはこうやって洗うと教えてくれたんです!」と反論しました。義理の両親の家庭環境は雯麗さんの生活環境とは大きく異なり、義理の両親の家に帰るのが恐ろしくて、できる限り避け、長い間帰らなかったこともありました。

 法輪大法を修煉した後、雯麗さんは真善忍の基準で自分を律し、他人に寛大に接するようになり、相手の立場に立って考えるようになりました。「視線を横に動かせば山脈となり、側から見ればそそり立つ」という蘇軾の詩があります。つまり、視点や考え方を変えれば、雯麗さんは義理の両親の素朴さを目の当たりにし、これまでの認識の誤りに気づき、対立がだんだん和らぎ、丸くなってきました。今でも、年末年始や平日に機会があれば、雯麗さんは喜んで義理の両親の家に帰って一緒に過ごすようにしています。義理の両親の好きなものなら、雯麗さんはできる限り入手するようにします。義理の母は雯麗さんのことが好きで、雯麗さんが忙しくて帰れない時、「どうして雯麗は帰ってこないの?」と聞いてきた時、義理の母の目には、彼女への気遣いと期待が満ちあふれています。

 ある時、義理の母が短パンを履いていて、白く細いふくらはぎが見えたので、雯麗さんは、「母の足には力がなく、年をとった跡なんだ。母は老けているんだ」と憐れみと恥ずかしい気持ちを抱えてしまいました。すると雯麗さんは義理の母に謝る機会を探して、「私は昔、無知でわがままで、いろいろと悪いことをしてしまいました。私と科言はお母さんに心配と迷惑をかけました。申し訳ございませんでした」と言い、恥ずかしがり屋の義理の母親は、「大丈夫よ!」と言いました。

 では、なぜ雯麗さん夫妻はそこまで義理の両親に心配をかけたのでしょうか?

 四、執着の難関を悟り破って、名利情を飛び越える

 雯麗さんの夫は穏やかで賢い人で、起業の才もあり、会社もとても活気に満ちており、大いに事業が発展していくように見えましたが、会社は赤字が続き、毎月の人件費だけでも数十万台湾ドルが必要であり、他のコストを含めるともっとかかります。雯麗さんは父親から受け継いだ財産で夫の会社の財政を支え、何度も何度も大金を入れていましたが、会社の資金状況は改善されていなかったのです。

 「金は貧乏人の命、金持ちの胆嚢」という言葉があるように、雯麗さんは、「このままでは底なし沼になってしまう 」と不安になりました。そこで、夫にお金の返済を要求するために、それまでの借金を返済した後、新たな借金をし、借りては返し、また借りるということを繰り返していたのです。自分の安全が脅かされていると感じた雯麗さんは、夫に金を返させ、会社の経営を終わらせ、転職させるという芝居のサイクルが延々と続いて上演していました。このような事情を母たちにも友達にも知られず、恨みや辛みを夫への言葉の暴力に変え、喧嘩がひどくなる時、離婚しそうになったのです。義理の両親はこの状況を知っていたのですが、何もできず、ただ黙って心配するだけで、これらの危機を解消して頂くよう、神様に祈るしかなかったのです。

 真善忍に従って修めてきている中で、雯麗さんは、これは「名利情」に対する試練だと気づき、自分が大法弟子としてすべき三つのことを怠っているという警告であることに気づいたのです。ですから、雯麗さんはまず、お金を失うことへの心配と不満を捨て、恨みの心を捨て、自分が大法を学んだことによる体験や悟ったことを夫に話しました。まだ修煉していないのですが、雯麗の大法修煉をずっと支持してくれていた夫は、雯麗さんの悟ったことや気づいたことと計画案に同意し、夫婦はどんな試練や困難にも直面し立ち向かうことを決意しました。それ以来、奇跡的に状況が好転しました。

 五、状況は心に従い、雨も降らず、風もなく、晴れたこともなく淡々と

图3:雯丽不定期举办音乐讲座,为推广神韵以及讲真相深耕基础。

不定期的に音楽講座を開催し、神韻芸術団を紹介している

 雯麗さんの夫のコンピューター会社は順調に成長し始め、柔軟な発想を持っている夫は他の事業も立ち上げ、それも順調に成長し、事業が広がれば広がるほど、主流の人脈が増え、レベルアップしていきました。幼い頃から音楽の授業で鍛えられた雯麗さんは、芸術文化界の主流が非常に目が肥えていることをよく知り、自らの能力を考え、神韻のさらなる普及と真相を伝えることを基礎として、不定期的に音楽関係の講座を主催することを決意したのです。そして夫の人脈はちょうど、社会の主流とつながる絶好の機会です。雯麗さんの夫は喜んで賛同し、多くの良いアイデアを考えてくれて熱心に実行していました。

 雯麗さんには資金力があり、雯麗さんの夫には人脈があり、この2人はお互いを補い合う最高の組み合わせです。しかし、音楽講座の会場はどこにしたらいいのでしょう? ちょうど雯麗さんの夫が事務所を変えることになったので、1カ月ほどで、適当な場所が見つかり、事務所のほかに、音楽講座のために50〜60人収容できる広い会場が見つかりました。

 数回のイベントで人気となり、口コミで広がり、その会場を借りに来る人も多く、雯麗さんもそれらの人たちとの縁を重んじ喜んでいます。今、雯麗さんの夫は、ポスターを貼ったり、VIPを招待したりするよう、常に念を押して雯麗さんを促すようになりました。雯麗さん夫妻は心一つになり、力強くなりました。夫婦それぞれの道を歩みながらも、密接につながり、お互いを補い合っています。状況は心に従います。

 雨がやんで空が晴れた後の爽やかを感じ、雯麗さんの心が穏やかになり、過去を振り返ると、そこには雨も降っておらず、風もなく、晴れたこともなく、淡々と対処できるようになりました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/4/20/441431.html)
 
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