文/中国大陸の大法弟子
【明慧網 2022年11月28日】まるで悪の巣のような刑務所の中で迫害された時、悪い警官にひどく平手打ちされました。その上、受刑者たちに蹴られましたが、確固たる態度で煉功し、しっかりと修煉し、真相を伝えました。『轉法輪』を読みたいと切望する気持ちも当然、ありました。その時に比べ、今はよい環境ですが、緩み、安逸心、怠惰が出てきました。
都市や村や道路を封鎖することができても、本当に神を封じることができるのでしょうか。師父は、「あなたが心性を向上させさえすれば、必ず乗り越えられるものです。それを乗り越えようとする気がなければ話は別ですが、乗り越えようと思えば、乗り越えることができるのです」[1]と説かれています。
想像してみてください、村を封鎖する土砂の山は、神を止めることができるでしょうか? それとも、幹線道路に置かれた遮断板なら神を止められるのでしょうか? いいえ、実際に止まるのは人の心です。
安逸に浸って、歩きたくないので、村や都市の封鎖を口実として家に籠っていました。家にいてもっと真剣に法を学び、法理が心の中に入ればいいと思っていました。しかし実際は、いつ封鎖が解除されるのか、よそはどうなっているのか、ということが気になり、それを口実に、携帯電話の動画を見たりして、暇をつぶしているのです。常人の中には「物は腐敗を防ぎ、人は怠け者を防ぐ」という言葉もあります。このような安逸、怠惰、気の緩みが、せっかく良く修煉してきた人を堕落させることになります。師父はある修練者と鹿の物語を語ったことがあります。
在宅時、私は自分の状態が良くないと分かっていましたが、なかなか突破できませんでした。夢の中でも、何度も気付きのポイントが提示されることがありました。ある夢は授業を受ける内容でした。寝坊をして授業が半分ぐらい経ってから、私はやっと気が付き、すぐに階段を上がって、上の階へ駆け上がりました。また別の日の夢では、臭い便のように目の前に色欲がぶら下がっているのを見ました。
本当に人を救いに行くときは、すべてが順調に進みます。その心を止めるのは家の敷居だけです。スローガンを印刷するために一緒に出かけようと同修を誘いました。しかし同修に断られました。それは「最近、法をよく勉強していない」「ちゃんと煉功できていない」という理由です。私はこのように悟りました。家にいて居心地が良く、だらだらしているからこそ、外に出て真相を伝えるために協力をします。環境があれば、心と行動のギャップを見つけられ、「自分の使命」という重い荷物を拾い、どんどん精進できます。居心地のよい、快適な環境の中では、心はどんどん緩んでいってしまうのではないでしょうか?
実際、外に出てみると、車も少なく、スローガンやステッカーを貼るにはちょうどいい環境です。村の人は家から外に出ないので、資料を配るいいタイミングです。 通常、人々はお金を稼ぐのに精一杯で、読む時間がありません。だからポスターの掲示は、なかなか良いことだと感じています。A4のコピー用紙にポスターを印刷し、ラミネート加工で防水し、テープで貼り合わせました。
このポスターを村の入り口の看板や道路脇の標識、隣り合った2本の木の間に貼るなどして、人が往来する時一目でわかるようにしました。世界に広く伝わった大法の盛況さ、中国共産党の暴政の歴史、天が中共を滅ぼす兆しなどが書かれています。挿絵も文章も盛りだくさんのポスターなので、内容が一目瞭然です。封鎖が解除されると、より多くの人に見てもらえるようになりました。
私たちは皆、師父の真の弟子になりたい、師父と一緒に帰りたい、自分の使命を果たしたいという気持ちでいます。しかし、真修すべきです。真は真・善・忍という宇宙大法の最初の文字「真」です。人は修煉するために真でなければなりません。真は確固不動を含みます。魔難の中で堅固たる態度であるだけではなく、快適な安逸の環境の中でも変わず、あらゆる状況の中で、修煉し続けなければならないのです。
これはあくまでも私個人の次元での理解であり、間違っているところがあれば、同修の方々の慈悲深いご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』