文/豫疏
【明慧日本2022年12月13日】江沢民の遺産といえば、その金は間違いなく彼の子孫に残してやりたいと思うだろう。国に対して、そして干ばつと洪水の被災地、貧困地域の小学校、カドミウム汚染被害者、毒ミルク被害者の家族、あるいは生きたまま臓器を摘出された国民には決して寄付することはないはずである。江沢民が国民に残した最大の遺産は、残酷、悪辣、猛毒、手段を選ばない利益至上主義である。
言論の面における良し悪しと善悪の概念が失われた例を、3つ挙げてみよう。
その一、罵る言葉を平然と使用するようになった
1980年代生まれの人は1989年の民主化運動の頃はまだ幼かったので知らないと思うが、1990年代以降に生まれた人は尚さら知らないだろう。江沢民が政権を取る前、中国人は礼儀正しく、無礼なことを軽蔑し、人を殴ることや、罵ること、騙すことはみな悪いことであり、ひいてはならず者の行為だと見なしていたのである。
当時は「国罵」(訳注:バカ、くそなど)という言葉もあったが、それは「汚い言葉」と認識されていた。今では、中国の若い高学歴の女の子でも、昔の「国罵」よりも汚い言葉を平然と使用するようになった。汚いという概念はもはや存在しなくなったのである。
その二、公共の場でもおぞましい言葉を放つ
江沢民が国のトップになってから、中国人は「たとえ血の河をなそうとも、一人も多く産まない」、「百日子無し」、「引っ張り出しても、流産させても、絶対生まさせない」という悪辣なスローガンを叫ぶばかりで、さらに壁に書いたり、家の軒下にぶら下げたりした。それが堂々と人目を引いて、殺気がみなぎっており、まるで悪魔にとり憑かれた国のようになり、もはや古代文明の国ではなくなった。
その三、ネット暴力は数世代の国民に悪影響を与えた
悪名高い「五毛」や「小粉紅」の多くは、実は刑務所の受刑者である。江沢民の息子は高いプロジェクトに従事し、自分の家族のために莫大な利益を上げるだけでなく、受刑者を利用していた。彼らが受刑者に与えるのは、心から悔い改めた新しい人生ではなく、各国に輸出するための強制労働であり、受刑者に社会や世界をさらに憎ませ、インターネット上で憚らずに恨みを発散させるのだ。
江沢民一家に唆されたこれらの受刑者によるインターネット上での恨みを拡散する行為は、インターネットにハマる80年代、90年代生まれの若者たちの手本になってしまった。これらの若者たちは悪辣、残酷、毒舌が最も正常であると勘違いしている。悪意が強く、憎悪に満ちた言葉をインターネットで読んだ海外の人々は、ショックを受け、怒りの多い人々に対して気の毒だと感じ、続いて中国本土は「五毛」と「小粉紅」だらけだと思い込んだ。
結び
もちろん、江沢民のアンダーラインを超えた残酷さを言い表すには、「名誉を腐敗させ、経済を断絶させ、肉体を消滅させる」という言葉が一番代表的である。これは法輪功に対する弾圧の政策であるが、法輪功学習者に20年以上使用された後、今では多くの一般の中国人に使用され始めている。最近起きた、児童や生徒の失踪事件について、保護者たちは臓器摘出のために連行されたと疑っている。
新型コロナのゼロ行動は、23年間法輪功学習者に対して行ってきたゼロ行動と同じやり方であり、今回はすべての中国人に拡大されただけである。
中国共産党が政治運動を行うとき、毎回一つの集団だけをターゲットとして選ぶのは、それぐらいの自信しかないからである。次にターゲットを変え、さらに悪質で残酷になり、最終的に国民全体の誰もが免れることができなくなり、それも末日のもがきであるかもしれない。だから、中国で正義と善良のために声をあげることは、即ち自分自身と子孫のために声を上げることなのである。
正しい道を歩むことは山登りのようなものだが、間違った道を歩むことは急降下するようなものだ。江沢民は1989年に政権を取ってから、自分の権威を確立するために、汚職を手段として中国全体の道徳を腐敗させ、利益集団を養い、中国国民全体の道徳的アンダーラインを耐え難いほど低くしたのである。これは、江沢民が中国の国民に残した最大で最悪の遺産であり、この遺産をあなたに残すとすれば、あなたはそれを望むのだろうか?