すべての考えを正し、心性を向上させる
■ 印刷版
 

文/山東省の大法弟子 

 【明慧日本2022年12月18日】法を正すことが最終段階を迎えるにつれ、師父がさまざまな状況を利用して、私たちの執着を素早く暴露していることをますます感じるようになりました。特に、なかなか気づかなかった、狡猾で深く隠された執着がそうです。そのおかげで、私たちは執着があることを自覚し、それを見つけ、掘り出し、捨て去り、悟りと向上を達成することができるのです。

 師父はこう説かれました。

 「私は必ず全ての良くない心を曝け出してあげますが、その時あなたが乗り越えられるかどうかが問題です。その良くない心が曝け出され、これが良くない心だと気づき、良くないとはっきり分かったら、それを隠さず、必ず取り除いてください。トラブルがやってきた時は、つまり私があなたにその心が現れたと教えている時です」[1]

 師父は、大法弟子の修煉を慈しみながら見守り、助け、導いてくださいます。私たちの修煉の一歩一歩の向上は、師父の大きな配慮によって達成されています。師父の私たちを救うための多大な努力に、私は感謝の気持ちを表す言葉がありません。

 先日、私は恵さん(仮名)が『世界法輪大法デーの原稿募集』に投稿する原稿を編集するのを手伝いました。彼女は、私が完成した論文を読むのを聞いて、感動して涙を流しました。彼女はこう言いました。「以前、他の修煉者に投稿原稿の編集を依頼したことがあります。でも、私の文章は長すぎるから無理だと言われました。あなたは私の文章をとてもよく編集してくれました。私は20年以上法輪大法を修煉していますが、明慧に体験談を投稿したのは今回が初めてです」

 私は、「泣かないでください。これは師父が按排してくださったことですよ」と言いました。でも、私は心の中で「他の人はやらないことを、私はちゃんとやったんだ」と、ちょっと嬉しくなりました。その時は、見せびらかしや歓喜心という執着は感じなかったのです。その後、原稿をメモリーカードにコピーし、メモリーカードに原稿があることを2回確認しました。

 また、微さん(仮名)が原稿を持ってきて、編集を手伝ってほしいと言いました。タイトなスケジュールの中、朝4時まで原稿を書き、朝食後に編集したものを微さんに渡しました。読んでみると、なかなか良い出来だと言いました。そして、明慧ネットに送るために、明慧ネットの原稿を同じメモリーカードにコピーしました。ところが、それを確認するためにメモリーカードを開くと、恵さんの原稿が消えてしまいました。

 私は唖然としました。「どうしたんだ? どうなっているんだ? こんなことは初めてだ、遭遇したすべてのことは偶然ではない」と思い、内に向かって探してみました。思い返してみると、自分には歓喜心と顕示心という執着がありました。私は人のやれないことをやれる、人より優れているといった、自分の心から魔が生じたのです。師父の助けを借りて、私はこの長年にわたる、深く隠された執着を発見しました。私は自分の考えを正し、恵さんの記事を再びメモリーカードにコピーしました。私は再び、メモリーカードに両方の記事があることを二度確認しました。私は安心して、史さん(仮名)が原稿を提出するためにメモリーカードを取りに来るのを待ちました。

 しかし、事態はまだ収束していなかったのです。史さんがメモリーカードを手に取った後、そこには微さんの記事しか入っておらず、恵さんの記事だけを投稿してしまったのです。

 どうして、微さんの記事はなかったのでしょうか。私は改めて内に向かって探し、自分にも名声を求める執着心や、人から褒められたり感謝されたりすることを求める気持ちがあることに気づきました。人から良い言葉をもらいたい、そうでなければ、なぜ私は微さんに「あなたの為に一晩一睡もせずに記事を書き上げましたよ」と言ったのでしょうか。師父は「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」と説かれました。(『各地での説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」)。師父は私が手伝えるように按排し、そのための能力を与えてくださいました。私が何を誇示する必要があるのでしょうか? 私はすぐに、この執着を捨てることにしました。

 そして、微さんの原稿をメモリーカードにコピーしました。史さんがどこに住んでいるのかわからないので、別の同修である丁さん(仮名)のところに行って、原稿の提出をお願いしました。丁さんは何度も何度も校正し、3カ所ほど誤字を訂正して、原稿を提出しました。丁さんが明慧ネットに投稿するのを見て、私はほっとしました。

 この時、師父の言葉が心に響きました。「ちょっとしたずれも許されず」[2]

 私は驚きました。師父は私を見守っていて、いつも訂正してくださっているのです。師父は、大法弟子の向上のためにどれほどの努力をされているでしょうか。私は修煉の重大さをさらに理解するようになりました。本当に「ちょっとしたずれも許されず」[2]なのです。

 師父は私たちの修煉のすべての段階、小さなこと、一つ一つの考えを見守り、助け、導き、正してくださっています。私たちはこの偉大な宇宙の法則を大切にし、師父の教えに従って行い、師父と共に家に帰ります。

 私は師父の助けと導きに感謝しています。師父、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『カナダ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/26/423943.html)
 
関連文章