内に向けて探すと、病業の仮相が一晩で消えた
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文/陝西省の大法弟子

 【明慧日本2022年12月22日】今年3月のある日の午後のことです。私はいつも通り、法輪功への迫害の実態を人々に伝えてから帰宅しました。そして手を洗って6時の発正念をして、その後夕食を作りました。

 しかし夕食後、とても気分が悪くなり、寒気がしてきました。そこで夫に「体調が悪いから今夜の学法はやめましょう。代わりにプレーヤーをつけてあげるから『明慧修煉園地』の放送を聞いてね。私はしばらく寝るので、零時の発正念の時に起こしてください」と言いました。夫は体が不自由なので、彼に私の本当の事情を説明することができませんでした。

 この時、私は両手にプレイヤーを持ったまま全身が震え始め、声も出せないほどでした。プレーヤーの電源を入れて夫に渡し、寝室に行ってヒーターを高温に設定し、布団を敷きながら考えました。「この突然の病業は、どの心を捨てられなかったために現れたのだろうか? でも、私はこれを認めない」。しかし、内に向けて探しても探しても、問題は見つかりませんでした。私はすぐに発正念をし、慈悲深い師父に「弟子が強力な正念を持つよう加持してくださるように!」とお願いしました。そして「異次元の邪悪な生命は聞いて。私は法を正す時期の大法弟子で、私は師父が法を正すのを助け、衆生を救うためにここに来ている。あなたたちは邪魔をして破壊する役割を果たしてはいけない。早く退却しなければ、あなたたちをすぐに解体させる。私はただ師父が按排した道だけを歩み、それ以外の按排には従わない。たとえ修煉に漏れがあっても、それを見てくださっているのは師父であり、大法の修煉の中で正される。あなたたちにはその資格がない」と続け、正法の口訣を黙念しました。

 しかし、再び熱が出始め、布団もかけられずにいると、しばらくしてまた寒くなり、布団を何枚も重ねてかけました。本当に何かの悪者が命を取りに来ているような感じがしました。私はどうすればいいか悩んでいると、師父の説法が聞こえてきました。「昨日私はあることについてお話しました。つまり、それが良いと感じていても良くないと感じていても、実はあなたにはそれを見分けることができません。それがみな良いことだと思えばいいということだけを皆さんに教えます。」[1]

 すると、私はだいぶ落ち着きました。プレーヤーの電源を入れ、師父の説法を聞きました。しばらく聞くと辛くなり、じっとしていられないので、少し横になってから立ち上がろうと思いました。しかし横になっているといつの間にか寝てしまい、夫が呼んでも起きられず、夫が松葉杖で私が寝ているベットのところに来てくれて、ようやく起きられるようになりました。この時プレーヤーで流れていた師父の説法は、もう第二講まで進んでいました。恥ずかしさと罪悪感で、師父に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。まだ熱も下がらず、体は火炉のように熱く、とても辛いものでした。夫は「23時半から23時50分まで叫び続けてもあなたは起きなかった。もうどうしようもない。あともう少しで発正念の時間になるところだ」と呟きました。 私はぱっと目が覚めて、プレーヤーを閉じてすぐ立ち上がりましたが、頭がとても重くて、まともに歩くこともできませんでした。私はすぐにこれらは全て偽りの現象だと否定し、「法輪大法は素晴らしい、真善美は素晴らしい」と唱えながら、夫の世話をして寝かしつけた後、全世界での発正念に参加しました。

 今回、病気と見られる偽りの現象が発生したのは偶然ではないと思った私は、自分の修煉の道を振り返り、手放さないといけない心はないかと探しました。探していると、以前自分が気づかなかった人心がたくさん出てきて、自分でもびっくりするぐらいでした。これらの人心の中には以前より弱くなっているものも、強くなっているものもありました。中でも特に、恨む心、不平を感じる心、人を見下す心、嫉妬の心、独善の心などが目立っていました。

 夫の体が不自由になって以来、私は家事全般をこなさなければならなくなり、彼の飲食の世話もしないといけなくなりました。忙しくなるといつも不平不満の気持ちでいっぱいで、時にはうまくコントロールできますが、時にはそうならず、夫が若い時に私に苦痛を与えたことが目の前に一つ一つ現れてきて我慢ができず、いつも彼の前でその時のことについて文句を言いました。私はこのようなことをするのは間違っていると自覚はしていて、いつもあとから後悔しましたが、当時はその気持ちを抑えることができませんでした。私が悩んでいる時、師父の法を思い出しました「修煉するにあたって、具体的なトラブルに対処する時、誰かに辛く当たられたりした場合は、たいてい次の二つの状況が考えられます。一つはおそらく前世にその人に対して何か悪いことをしたのかも知れません。あなたは、「どうしてわたしにこんなひどいことをするのだろう?」と言って心のバランスをくずすかも知れませんが、しかし、あなたはなぜ前世でその人にあんなことをしたのですか? 「あの時のことは知らない。現世は前世とは関係ない」とあなたは言うかも知れませんが、そういうわけにはいきません」[2]

 私は、師父のこの法の一節に啓発されました。夫が私に文句を言って来る時、私は心の中で夫への恨みや不満がすでに出ていましたが、体調がよくなかったため、爆発していなかっただけでした。しかし、心の中では「私は、あなたの世話を6~7年もしてきた。なんと言ってもあなたのために苦労してきたのではないか? それなのに、今回あなたは何回か私を呼んだだけで文句を言ってくるのか?」と思っていたのです。このように小さなことにも怒るとは、私には少しの寛容の心も我慢の心もありませんでした。

 今回のことを通じて、私は自分の修煉の至らなさを思い知らされました。毎日3つのことをやっていても、心性の問題にぶつかると自分を修めておらず、この恨む心がいつの間にか強くなってきているのに、自分では気づかないままでした。

 私は長い間この心を取り除かなかったため、それが大きくなり、やがて常にあらゆる思考や考えを支配していたのです。この交流の原稿を書きながら、このことに気づかされました。夫への恨みや非難を捨て、しっかりと自分の問題を見つけ出して修煉する、それが真に正しいことで、真に法に同化する過程です。修煉の道で遭遇する困難は向上の機会であり、天に戻るための足がかりです。 師父が丁寧に守ってくださることに感謝いたします。

 不思議なことに、内に向かって探している過程で、だんだん熱が下がってきて、翌日煉功する時は体調はいつも通りに回復していました。力は抜けていましたが、やるべきことに支障はなく、午後からいつも通り法輪功への迫害の実態を伝えに出かけることができました。

 師父に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『米国西部法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/24/452227.html)
 
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