無神論の毒素を一掃する
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文/中国大陸の大法弟子 

 【明慧日本2022年12月29日】最近、私の妻(同修)が子供への「愛情」等の原因で旧勢力に隙に付け込まれ迫害され、魔難の中に陥っています。妻は子供を愛し過ぎて、 子供が温室の花のように、嵐にさらされることなく、幸せに育ってほしいと思っています。そして、子供に対して過保護に接し、少し苦労もさせたくないようです。彼女は、子供に将来の成長の道筋を設定して、その通りに努力し、教育します。やがて彼女の愛は溺愛することに発展していったのです。

 私は、妻が子供を溺愛するのは普通の母性感情だと思っていました。最近になって、この溺愛は普通の人間の母子関係ではなく、これは変異した母性感情で、その原因は悪の「無神論」であることに気がつきました。まさに、妻が子供に対する母性愛は無神論に基づくものです。中国の伝統文化(以下、伝統文化)によれば、母親が子供を教育するとき、一つの道理を理解しています。子供の命は神によって定められているので、子供たちの教育は、押しつけではなく、甘やかしでもなく、すべて優しく導き、非常に合理的に教育します。親として、子供は少しぐらい苦労するのが良いことだと理解していますので、幼い頃から苦労する心を養います。

 歴史上に、康熙帝の子供の教え、岳母刺字(岳飛の母が『精忠報国』の4文字の入れ墨を岳飛の背中に入れ)、木蘭従軍(老病の父に代わり、娘の木蘭が男装して従軍、自軍を勝利に導いて帰郷する)など、そのような例はたくさんあります。
 しかし、現代人は無神論の影響を受け、神仏の存在を信じず、子供の命が神の定めたものであることも、子供の苦しみが因果応報の報いであることも理解できません。天地と戦うつもりで極端な生意気な認識で、我が子の人生の道を計画し、神に定められた子供の運命を変えようとします。子供を苦しめて業力の返済をさせない、子供を一生順調に歩ませたいのです。この考えは、いかがなものでしょうか?

 自分の目標が達成されると、子供を甘やかし、自分の思い通りにすることを強要するという極端な行動に出ます。このような子供に対する愛は変異であり、正常な人間の母性愛が無神論の毒素によって変異されたものです。 修煉者、特に中国の大法弟子として、この情を修めるためには、まず「無神論」の毒素を一掃し、この変異した愛情の発生の根源を徹底的に根絶しなければ、この変異を修めることはできません。

 実際、邪党が教え込んだ無神論によって、母と子の愛情が変異しただけでなく、中国国内の人々の関係、夫婦の情、親への情、肉親の情など各種の情も変異しました。すべては無神論の基礎の上に成り立っており、もはやどれも正常ではないと分かりました。 無神論の毒が生活のあらゆる面に浸透し、私たちの修煉や人の救済を深刻に妨げていることを、私は今、ますます実感しています。 私たちの修煉で発生する問題の多くには、この毒素の影響があるのです。

 修煉には師と法を信じることが重要ですが、我々は往々にして師と法を信じていないことが多いのです。人間の心の中には、これまで修めてこなかった恐怖心があり、これがもう一つの隠れた要素です。私は今までも意識していませんが、恐怖心は私たちの思想の中に残っている無神論の毒素なのです。

 古代中国の一部の人々が約束のために命を捨てることは皆さんご存じで、義のために命を捨てることは人生のルールです。 そして、修練する人は、師父や神仏への信仰がさらに強くなるのです。ミラレパは師父からどんな扱いを受けても、決して妄想を抱くことはありませんでした。唐僧はどんな魔難に遭遇しても、しっかりと仏法を信じ、心が動じることなく、お経を唱えたのです。
 しかし、今日の修煉者の中には、なぜ時々、師父や法を信じないような態度を示す者がいるのでしょうか。それは、修煉と師父や大法に対して、本心からの理性的な認識を持っていないからです。つまり、私たちの心に残っている無神論の毒素が働いているからで、無神論の思想で修煉と師父や大法を認識しています。その結果、乗り越えられていない難儀や、師父や大法を裏切るような行為が気になりません。
 実は、もし私たちが伝統文化の基点に立って、私たちの修煉を認識することができれば、修煉に対する不正確な態度と行為はありません。 師父の法を正す角度から見ると、宇宙の歴史において、かつてない深遠な意味を持つ正法修煉をしているので、なおさら修煉を大切にします。

 みんなは修煉は内に向かってを探し、自分の心を修めることを知っています。しかし、私たちは往々にして外に目を向ける思考に振り回され、自分自身を見つめないので、向上させる機会を多く失っています。 この外向きの考えはどこから来るのでしょうか。伝統文化の中で古代の中国人は、心身を修め、自省を講じて、自分を「日に三たび吾が身を省みる」として、心が外へ向きません。
 しかし、なぜ我々修煉者は外に向いて、物事を見るのでしょうか。この外向きは、邪党の文化によって植え付けられた変異思考であることに気づきました。邪党は、ずっと「偉光正」「永遠に正しい」を使って、中国人を洗脳してきました。 同時に、伝統文化を破壊し、中国人が問題に対処する際に、伝統的な因果の循環という観点から自らを省みることを不可能にしました。
  中国人は次第に、このような変異した考え方を形成し、自分が永遠に正しいと思うようになりました。 この意識に駆られて問題が発生すると、相手の不足に目を向け、自分に目を向けないことが多いのです。 このように外を見るような考え方は、この中共邪党の無神論的毒素の産物です。 本当に自分を修めようと思ったら、この外向きの変異的な考え方を捨て去り、まず思想の中にある無神論の毒素を一掃しなければなりません。

 師父の説法から、嫉妬心を取り除かなければ、修煉して円満成就できないことが分かります。嫉妬心が生じる理由はいくつかあります。 内向的な性格、平均主義、闘争心、世間体を執着するなど、いずれも人の嫉妬心を生み出します。今の中国国内の人々が嫉妬深いのは、邪党の無神論的な教化の結果だと実感しています。 この嫉妬のほとんどは、邪悪な文化の中で形成されています。もし私たちが皆、伝統を守り、すべての人の人生は神によって定められたものであり、すべては業力であり、人生の損得はすべて運命づけられていることを理解していれば、嫉妬は起こらないでしょう。

 正法修煉者である私たちは、今日のすべてが大法によって主宰され、創世主の按排であることをよく知っています。もし、私たちが何かの心のバランスが取れていないのなら、それは師父の按排に不満があるのではないでしょうか? そういう問題ではありませんか。中共邪党(以下、邪党)が伝統文化を破壊し、人々は手に入れるものすべてを自分たちの闘争の結果とみなし、利益のために互いに闘い合います。これが、邪党が植え付けた絶対「平均主義」という悪しき文化と相まって、中国人の間にかつてないほどの嫉妬心を生んでいるのです。

 今日の中国の嫉妬心の根本原因は、邪党の無神論による悪しき結果であり、修煉者としてこの嫉妬心を取り除くには、まず自分の思想にある無神論の毒素を根絶しなければならず、この毒素が人の執着を誘発して嫉妬心が生まれるのです。

 安逸心も修煉者を滅ぼす非常に強い執着心で、多くの修煉者は安逸心に駆られ、邪に悟りダメになりました。なぜなら、安逸を好み、修煉で苦しみたくなく、近道を見つけたいのです。そして、旧勢力が手配したいわゆる「高い次元の法理」に振り回されて、自分が修煉の真の機会を見つけたと思い込んで邪に悟ります。安逸心とは、肉体を楽にしようとする考え方です。この発想はどこから来るのでしょうか。それは、無神論や進化論と関係があることがわかりました。その無神論と進化論を使って、私たち人間のこの肉体を認識した結果です。神を信じず、人には生死の輪廻があるとは考えず、その時々に楽しむべきことにこだわります。進化論という嘘は、人間が進化してきたものだと欺きます。人間の体はタンパク質の塊で、死んだらなくなってしまいます。そのため人間は苦しみを嫌い、安逸心が生まれたのです。

 伝統文化の観点からは、私たちの持っているものはすべて神様が作ったものです。 神様が私たちにこの肉体を与えたのは、私たちが苦しみ、業力を返すためであり、楽をすることではありません。正法修煉の観点から、この肉体は師父から授かったものです。私たちが修煉し、師に従って法を正し、人を救うためのものであり、地上で安楽を求めるためのものではありません。しかし、私たちはしばしば邪悪な無神論の毒素に左右され、この肉体を使って人間の安楽を求め、修煉と人を救うことを遅らせるのです。私たちの安逸心を取り除くためには、無神論という毒素を一掃することが必要なのです。中国人は昔から勤勉で勇敢なことで知られていますが、邪党が中国の伝統文化を破壊したので、中国人が伝統から離れて、安逸を求める心理を作り出しました。

 私たちの大法修煉は、人の心を直接指すもので自己をしっかり修めるためには、もっと法を学び、法を理解しなければなりません。しかし、学法の中に私たちの法を得ることを妨げる要因が一つありますが、それは無神論の毒素です。そのためには、どのような心構えで臨むかによって、法を学ぶことが肝要です。かつて僧侶は、修行の指針となる経典をどのように扱っていたのでしょうか。その謙虚で敬虔な態度は、歴史の教科書に記録されています。しかし、「無神論」の影響を色濃く受けた現代人は、神仏や経典を現代人と同じように扱っているのです。彼らは神や仏を一種の偶像と見なし、経典を普通の書物と見なしています。このような変異の考え方が、私たちの思想の中に存在しています。大法の本を勝手に放り出し、汚しさえした同修の行為を見ると、この変異の思想がおかしいのではありませんか。このような同修の大法に対する心構えは、容易に想像できます。では、彼らは法を学ぶ時に、法を得られますか? このような神を排した無神論的思考をもって法を学ぼうとしても、法を得ることはできません。これは、多くの同修が法を学んでもすべてを受け取れない最大の理由でしょう。それはまた、彼らがこの普遍的な宇宙大法と師父を真に認識することができない根本的な理由です。この無神論の毒素を取り除き、伝統的な道に戻ることで、初めてこの宇宙大法を本当に認識、理解し、大切にする方法を知ることができるのです。

 今日では正法修煉は、すでに法で人間界を正すことに移行しています。 無神論、進化論、現代の概念や行為は、今日の私たちの修煉と人を救うことの主な障害となり、法を正すことが人間界を正す段階に移すことを阻む主な障害となっているのです。 これらの変異なものを浄化するためには『共産党についての九つの評論』、『共産主義の究極の目的』、『党文化を解体』、『悪魔が世界を支配している』などをもっと読み、聞く必要があり、さらに重要なことは『洪吟六』を学ばなければなりません。これは師父が大法弟子に与えた、これらの変異したものを破る魔法の武器だと思います。必ず思わぬ収穫があるので、暗記するのが一番です。

 以上は個人的な知識で、法理とずれている場合は、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/19/451965.html)
 
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