経文『道法』を学んで得た浅い認識
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年1月9日】私は理解力が鈍くて、数年来、師父の経文『道法』を何度も学びましたが、なかなか理解できませんでした。最近になって、やっと少し認識するようになりました。ここで同修の皆さんと交流させていただきます。

 一、心の練磨

 何年もの間、私は夫の辛辣で怒りに満ちた不平不満の声の中で生きてきました。私が何をしても気に入らず、常に批判と文句ばかりでした。夫の両親や兄と妹に親切にしても夫は文句を言います。私の料理が美味しくてたくさん食べた後も、逆に「なんでこんなにご飯をたくさん作るの? 俺は、食べ過ぎてしまった」と機嫌が悪くなります。今度は少なめに作ると「足りなくて、すぐにお腹が減った」と文句を言います。私はいつも常人の理で計り「夫が悪い。私は正しい」と思っていました。相手が悪いという前提で、無理やり耐えているだけでそれを修煉だと勘違いしていました。

 師父は「長きにわたって大法の中にいる衆生、特に弟子には、心性を向上させることにおいてずっと法に対して異なる次元での誤解があります。魔難がやってくるとき、本性の一面から認識することができず、完全に人間の一面から理解しているため、魔はこれを利用して尽きることのない妨害と破壊を行ない、学習者は長期にわたり魔難に陥っています」 [1] と説かれました。

 繰り返し、この法を学んでいくと、私は、魔難が来た時、完全に人間の一面から理解しており、自分が正しい、相手が悪いとこだわっているばかりで、まったく自分自身を修めていないことに気づきました。そのため、修煉が苦しくてなかなか進まず、邪悪に隙を突かれ、長い間、夫の不満と怨みによる魔難に陥り、心性を高めることができませんでした。

 二、笑顔で怨みに向かう 環境は心性によって変化

 夫の態度から、私は「私にも文句を言う癖があるのではないか?」と考えました。しばらく自分の言動を観察していると、生活や仕事の中で、自分の意に沿わないと、機嫌が悪くなることはよくありました。夫とは現れの形が違いますが、人を怨む心がかなり強い一方、人に言われるのを恐れる心もあります。夫に文句を言われた時、私は言い返さずに黙っていることができますが、心の中では、夫が理不尽であると怨んでいました。

 自分の問題を見つけて、これらの心を修めなければならないと思いました。それ以降、夫が文句を言っても、私は自分を抑えてひたすらに我慢しました。徐々に、いくら言われても笑顔で向き合うことができるようになりました。この過程は本当に長かったのです。ある日、夫は「あなたの買ったものは品質があまりよくないね」とまた文句を言い始めました。私が静かに聞いていましたが、突然夫は黙りました。私が「続けてください」と言うと、夫は笑いながら「この前、俺が買ったのはこれにも及ばない」と言いました。夫の素直さに驚きました。これ以降、夫の文句もあまり聞かなくなりました。

 やはり自分が法をよく学ばなかったことで、悟りも悪く、これほど長い時間をかけてやっと取り除くべき心を見つけ、修めることができました。私の向上のために、夫にも大変苦労をさせたと思うと、感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 三、本性の一面を用いる正法修煉で、すばやく向上

 師父は「修煉者は、なんといっても常人ではないのですが、ならば、本性の一面は、なぜ法を正さないのでしょうか?」 [1] と明示されました。

 「本性の一面で法を正す」というのは、どのように修めるのでしょうか? 例えば、夫が私に文句を言う時、私は「これは怨む心だ。私の本性にはこのようなものがない。怨む心は要らない。私は他人を怨まない。夫も人を怨まない」と考えるようにします。そして発正念をして、その怨む心と対応する要素を取り除き、普段から怨む心を重点的に修めるようにします。

 法理上で悟れば、修煉もすばやく向上できます。この事を通じて、私は「正法修煉」と「上から下へと修煉すれば速くなる」という法理をまた少し分かったように感じました。

 今日も夫は私に「役人の同級生は本当にでたらめな人だ」と悪口を言ったり「俺の出世を妨げたあの上司が、実に憎らしい」と不満を漏らしたりしました。以前なら、私は夫に言わせなかったり、常人の道理や修煉の法理で夫に説教したり、夫を変えようとしていました。結局、夫はますます興奮してしまい、怒りにまかせて人を罵ることもよくありました。今はいかに修めるかが分かってきましたので、私は心が動じず「これは嫉妬心と利益を重んじる心だ。私の本性にはこれらのものはない。私は他人の悪口も陰口も言わない。嫉妬心、利益心とその背後にある悪い要素を無くす!」と静かに考えていました。

 すると、夫は何も言わなくなりました。これは、魔が夫を利用して私に試練を与えるのです。もし私が人間の一面を用いて対応すると、魔に隙を突かれ尽きることなく妨害されかねません。今回、私は本性で自分自身を主宰し、動揺せずに人間の一面にある良くない心と対応する要素を取り除きました。心を修める過程で、師父は他空間にある山のようなものを取り除いてくださいました。

 この間、同修と協力して法輪功迫害の実態を伝える過程でも心の試練がありました。私たちは交流し合い、法理に基づいて自身の執着心を探し出しました。これらの執着心は本当の自分ではないことを見極め、本性の一面を用いて法を正し、私たちの執着心を利用して破壊する邪悪を取り除くことができました。

 心性を高めた私は、その日の夜に素晴らしい夢を見ました。長い大広間に大勢の人が集まっていました。うっかりしていると、私が風船のようにふわふわと天井まで舞い上がりました。降りようとしても降りられないほど軽くて、とても心地よい感じでした。目が覚めた後でも、しばらく現実のように鮮明に残っていました。「私たちは本当に飛ぶことができます!」私はその素晴らしさを体験しました。

 結び

 師父は経文『道法』の中で、すでに明白に教えてくださいましたが、弟子の私が悟らず、法を勉強していても法理が見えず、心を修めることもできませんでした。師父はこんな私も見捨てることなく、長年に亘って機会を与えてくださり、私が法の中で悟りを得ることができるようにしてくださいました。師父の慈悲なる救い済度に感謝致します! 師父、ありがとうございます! 

 個人的な体得に過ぎません。適切でないところがあれば、ご指摘をお願い致します。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「道法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/1/5/454481.html)
 
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