人生は苦に満ちているが、大法を修煉することで終止符を打つ(前半)
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 【明慧日本2023年3月10日】私は60年代に生まれた人です。子供の頃、私は白くてふっくらしていて、賢くてかわいかったので、家族や学校の先生に愛されていました。成績が優秀で、様々なスポーツ競技でも何度もクラスの賞を勝ち取り、市レベルの優秀生徒に選ばれたこともありました。小学校から中学校に進級する際には、全校の年級統一試験で第6位を獲得し、両親の誇りの的になりました。

 しかし、人生は変わりやすいものです。結婚後、私は苦しみの淵に落ちてしまいました。夫はただ飲んで遊んでいるだけでなく、夜遅くなって帰ってくることもあり、私の目の前で他の女性とイチャイチャすることもありましたが、私はそれを無視していました。子育てや家事をしながら働かなければならなかったので、心身ともに疲れ果ててしまいました。孤独、苦しみ、寂しさ、疲労が私を襲い、さまざまな病気にかかりました。39度以上の熱が出たり、手術の際には一人で病院に行き、点滴のアレルギー反応でショック状態になっても、私は病院に一人でいました。20代で既に病に苦しみ、痩せ細っていて、人生に対する自信を失っていました。なぜ人間はこんなに苦しむのでしょうか? なぜ人と人との間に平和な共存ができないのでしょうか? 私たちはしばしば争いを起こし、冷戦状態に陥ったり、手が出ることもあります。高層ビルに上がった時には、本当に飛び降りたくなりましたが、心の中には子供たちへの思いが残っていたためか思いとどまることができました。

 一、大法の修煉によって新たな生を得る

 1996年の年末、偶然の機会に『法輪功』という貴重な書物を手に入れました。この本は高徳の大法であり、人間としての生き方から修煉に至るまでを教えてくれる宝典です。私はこの本を手に入れたことがとても嬉しく、手放すことができませんでした。大法との出会いが遅すぎたというように感じました。本を読み続けるうちに、私の心は一気に晴れやかになり、人生の意味や、なぜ人が生きているのか、人と人との因果関係が理解できるようになりました。私は真面目で善良、寛容な人間になることが大切だと悟りました。私の心にあったものが開かれ、天命を嘆くこともなく、苦しみと迷いから解放されました。1カ月も経たないうちに、私の身体からすべての病気が消え去り、健康で軽やかな感覚を覚えることができました。私の人生は新たなページを開いたのです。過去の苦しみと迷いから完全に別れ、私は毎日小鳥のように幸せな気持ちで自由自在に飛び回っていました。私は世界で最も幸せな人間だと感じていました。私は周りの人々にも幸せや美しさを与えることができました。そこで、離婚を諦め、夫に対して積極的に接し、世話をし、家事を全て引き受けました。私は夫の嫌なところにも平和な心を持って接するようになりました。夫が外で何をしていても、私は理性的に対処し、真心から良いことを勧め、一言の不満も口にしませんでした。

 人々は私の善良さと寛容さをみて称賛しました。もしこの大法を学ばなければ、これらのことをすることはできず、結婚を維持することもできなかったでしょう。大法は壊れた家庭を救いました。

 二、親孝行は一番の善

 私は、おばあさんが3人の子供を一生懸命育て、働いて大変だった時代には、良い生活を送れなかったと思います。だから私は彼女を自分の本当のお母さんのように扱っています。1997年の春、私たちの職場にはまだエアコンがなかったので、私の月給は数百元しかありませんでしたが、私は貯金を使って、お祖母さんの家に当時高価だったエアコンを4000元で買って取り付け、彼らが晩年を楽に送れるようにしました。

 職場では、年老いた職員に配慮して、従前の2倍の大きさの新しい家を割り当てるようになりました。老人たちは家をもらってもそれを子供たちにあげるのがすでに慣例となっています。おばあさんも新しい家を1つもらいましたが、私と相談して家に老人(おばあさんのおばあさん)がいるので、彼らが先に住んで、老人が亡くなった後に私たちと家を交換することにしました。私は「あなたたちが一生懸命働いてこのような家に住むようになったので、私たちには必要ない、安心して住んでください」と言いました。もし大法を修煉していなかったら、私は世の中に合わせて、広々とした明るい大きな家で心地よく暮らしていたでしょう。大法を学ぶことで、人生についての真理を理解し、人は自分自身のためだけに生きるのではなく、他人のことを考えることが大切であり、中国の伝統である親孝行は一番の善であることを実践しました。

 おばあさんは当時80歳を超えていて、年を取っていたため、寂しがり屋でおしゃべり好きでした。私がおばあさんの家に行くたびに、しばらくお話をしていました。おばあさんは体が細く、冬は2枚の毛布をかけなければなりませんでした。毛布が重くて、彼女を圧迫してしまうので、私は彼女に羽毛布団を買いました。それは保温性が高く、軽量なため、おばあさんはとても喜んで、それをずっと使っていました。20年以上前、羽毛布団はまだあまり普及しておらず、比較的高価でした。私はサラリーマンであり、正直言って、自分で買うのも躊躇していていたので、修煉していなかったらお祖母さんに買ってあげることは考えられませんでした。おばあさんは私の良さをいつも口にして、最後に病気になった時にも私のことを言っていました。私は感動しました。人は善いことをたくさん行うべきです。小さな行為でも、人の心を暖かくすることができます。

 真・善・忍は私を苦しい人生から救い出し、私の人生の道を照らし、私の周りのすべてを暖かくしました。

 三、一生懸命に働く

 私の仕事は化学分析技師で、24時間にわたり継続的な分析を行います。私は決して検査漏れをしませんし、真剣に仕事に取り組みます。時には臨時に追加された検体を誰も採取したがらないときもありますが、仕事が配分されないときもあります。そんなときは自分からリーダーに「やります」と言います。リーダーは感動して私にボーナスを上げようと言いましたが、私は断りました。「もう少し頑張っても問題ありません」と言いました。年末のローテーションで休暇を取るために、班には12のポジションがあり、代わりに働く必要があります。誰もがポジションを変えたがらないので、私はリーダーに話して、誰かが休暇を取ったら私が代わりに働きますと言いまいした。私は、人が価値を持てるのは、他人や社会に価値を与えることができるときだと思います。1カ月半にわたって何度もポジションを変えることはとても大変ですが、自分の仕事能力も向上させました。

 化学分析技師の仕事には高度な専門技術が必要で、常に勉強し、頻繁にテストを受ける必要があります。私はいつも全力で取り組んでおり、理論にも詳しく、テストではいつも前列に座ってすぐに答えを出すことができます。試験場でリーダーがユーモアを交えて言うことがあります:「答えを暗記するよりも答えを見ながら書く方が速いですね。」化学分析技師の仕事は時間制限がありますが、私が移動した別の職場には時計がありませんでした。仕事で非常に不便であったため、私は自分で時計を買って新しい時計を職場に置きました。

 会社が人員削減に直面することになったので、5つの班を4つの班に最適化する際に、誰も欲しがらない人が失業することになるので、多くの人々は不安を感じています。上司が私を見て、「あなたはすごいね。4人の班長が全員あなたがほしい」と言いました。実際、人格こそが人生で最も重要な切り札です。

 1998年の大洪水の際、月給数百元の私は1000元を寄付しようとしましたが、同僚に「あなたが1000元寄付すると、上司はいくら寄付しなければならないのですか。上司よりも多く寄付をするのは良くないです。同僚たちは30元や50元を寄付しています」と言われました。私は少し考えた後、最終的に200元を寄付しました。

 これらは私がするべきことでしたが、大法を学ぶ前にはできませんでした。誰もが自分のことを優先する傾向にありますが、大法を学んでから、自分を捨て去り、自分を忘れることを学びました。他人のことをもっと考え、大局的に考えることを心がけ、実践によって私は一つの真理に気づきました。それは、与えることは常に受け取るよりも幸せであり、他人の幸せが自分の幸せよりも重要であることを知り、誰かのために何かをすることができることは本当に嬉しいことなのです。

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/7/448544.html)
 
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