常人の観念を取り除き、世人を大切にする
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文/中国の大法弟子

 【明慧2023年3月21日】師父の詩『洪吟六』の中に「世の人の多くは、神が転生したもの」、「世人の多くは天上の神々」 [2]などなどがあります。表面上の意味は分かりますが、しかし、いざ物事に直面すると、この次元の法理を思い出せなくなります。

 例えば、生活の中で家族と衝突した時、職場の同僚とトラブルを起こした時、カンカンに怒って、怨恨心を生み出してしまい、まさに常人の反応でした。そこで、よく考えてみれば、常人(修煉していない普通の人)は私の悩みを増やすために存在しているのでしょうか? 大法弟子として衆生を救うべきではないでしょうか? 怒っていて、どうやって常人を救うのですか? 具体な問題に直面するといつも常人の観念が出て、頭の中の大法の内容が少なすぎます。師父が私たちに多く学法させる目的は、常に大法で判断し、人の殻を取り除き、真の自分を見つけ出すためです。

 今、私は毎日『洪吟六』の一首を暗誦しており、常人と不愉快なことがある時、すぐ自分に言い聞かせるのです。常人を恨んではいけません、全て自分が悪いのです。それから内に向けて、どこが間違ったのか、どうして間違ったのか、どんな人心がそうさせたのかを探します。人間の全ては大法の為に存在しており、自分が修煉者であることを常に念頭に置き、また世の多くの人は、天上の神から転生してきたことも忘れず、彼らも多くの苦しみを嘗めて、大法弟子が目覚めてくれるのを待ちながら帰り道を探しているのです。

 常人が大法弟子に対して悪い態度を取ったとき、大法弟子は冷静にならなければならない、やっているのは常人ではなく、旧勢力が彼らを操っているので、知らず知らずのうちに操り人形のように操られて、本当に可哀そうです。私たち大法弟子は、この人達に対して本当に責任を持たなければなりません。彼らの背後の邪悪を排除し、私たち自身を修め、彼らに真相を伝え、本当の家に戻れるように目覚めさせなければなりません。

 私たちが接する常人は、誰が神から転生してきたのか、悪魔から転生してきたのか、見極めることができないのですが、私たち大法弟子は行うべきことをしっかり行い、ほかは大法や師父がいらっしゃるので、心配しなくてもいいと悟りました。

 ささやかな体験であり、法に符合しなければ、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟六』「やむを得ない」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟六』「縁を繋ぐ」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/16/451650.html)
 
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