文/中国河南省の大法弟子
【明慧日本2023年3月30日】私は今年46歳になります。1997年に母について法輪功に触れ、大法の主な著作を何冊か買い、師父の説法ビデオを見たこともありますが、本格的に修煉をしませんでした。その後、中国共産党による迫害が始まり、大法の素晴らしさを知っていたので、大法の本を保管していましたが、修煉をしなくなったので、他の法輪功学習者に譲りました。それ以来、私は完全に常人になりました。
一、常人の社会に溺れ、苦難をなめる
私が8歳の時、父が早くに亡くなり、母一人で苦労して私たち姉妹3人を育ててくれました。
私は、夫と自由恋愛を経て結婚しました。夫の家は私の実家と異なる地域の都心部で、経済的な条件も良かったので、最初から姑は私を見下していました。私は気弱な性格で、我慢して家庭に尽くしました。初めの頃、夫は私に優しくしてくれましたが、だんだんと本性を出し始めました。毎日酒を飲んで遊び、しかも女好きで、時には何日も家に帰らず、酔っぱらって帰って来ると、狂ったように私を殴ったり、罵ったりしていました。最初は我慢するしかありませんでしたが、時間が長くなると我慢し切れず、必死に殴り合うようになりました。それ以降、毎日家の中では喧嘩が絶えませんでした。
姑は夫を溺愛し、しつけもしていませんでした。私は姑のことを尊敬し、言い返すようなこともありませんでしたが、姑は常に冷たい言葉を浴びせかけてきます。ある時、私たちの夫婦喧嘩で、姑はなんと私に平手打ちをしたのです。長男が生まれてからも、夫とその家族は私と子供に全く無関心で、初めて子育てをする私を助けることもありませんでした。生まれてきた息子は体が弱く、しょっちゅう病気になり大変でしたが、実家も遠く離れていたため、手伝ってくれる人もなく、私は毎日泣いていました。
悲しみと怒りの中で、私の体は日に日に痩せていき、163センチの身長で体重は40キロ余りしかありませんでした。しかも、ひどい生理痛を伴い、食べたり飲んだりすることができず、水を一口飲むだけで激しく嘔吐しました。毎日、痛みに耐えながら、幼い息子の面倒を見なければなりませんでした。「この苦しい日々がいつになったら終わるのか!」。私には希望が見えませんでした。
二、法輪大法の修煉を始める
2009年下半期になった頃、私の心も体もボロボロになり、途方に暮れていた時、大法を修煉する母の再三の勧めで、私は法輪大法の修煉を始めました。再び大法の本を手にした時は、とても懐かしく感じました。
初めはどう修めるのかよく分からず、精進していませんでした。慈悲深い師父は、私のような弟子も見捨てられることなく、家の近くの学法グループを手配してくださいました。私は毎日午後、息子が学校に行ってから学法に行きました。法を学ぶにつれて、大法の法理が私の心を開き、人生の苦難はすべて、前世か今生で悪いことをして作った悪業によるもので、苦難をなめることは借りを返すことであると分かりました。少しずつ、私は心が広くなり、トラブルの前で自分を抑えることができるようになりました。そして、夫への憎しみを捨て、やさしい心で夫に接し、どんなに罵られても口論せず、修煉者として自分を律していました。このようにして、家庭はだんだん穏やかになってきました。
法を正す時期の大法弟子として、私は人を救うことはいかに大事で緊迫していると分かっています。そのため私は自宅で、法輪大法が世界中で広まる盛況と法輪功迫害の実態を伝える資料を作成して、それを人々に配っていました。ある時、夫に見つかりましたが、あまり反対しませんでした。以前なら、絶対に不可能でした。
三、徳をもって恨みに報いる 大法が教えてくださった
2012年、夫は利益を求めるため100万元以上を高利貸しにお金を借りた結果、お金を返すことができず、2度自殺未遂をしました。3度目は大量の殺虫剤を飲んで病院に運ばれました。私は夫を見捨てることなく、集中治療室で夫の耳元で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱え、師父に助けをお願いしました。気を失っている夫が私の声を聞こえると信じ、夫に「この心からの九文字を唱えると、大法師父があなたを助けてくださいます」と言い続けました。
最初、医師は透析をしなければならないと言われましたが、夫の借金返済で、治療するお金もありませんでした。私は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を繰り返して唱えていました。師父はきっと、夫を助けてくださると信じていました。翌日になると、とりあえず透析をせず、しばらく観察して治療することになり、一般病棟に移されました。その間、私は夫の排泄の世話をしたり、体を拭いてあげたり、細心の注意を払って夫を慰め、もう二度と自殺の考えを起こさないように説得しました。
私は借金返済のために、二階建ての一軒家を売却することに同意しました。私たち家族3人は、都心の広い一軒家から郊外にある借家に引っ越して、困難な生活が始まりました。
このような窮境(きゅうきょう。非常に苦しい立場)になっていても、姑は「これほど大きな失敗に至ったのは、あなたが修煉ばかりしているからで、彼を無視していたからだ」と私のせいにしました。そして、私に貯金をすべて出すように迫ったばかりか、家を売ったお金から10万元を息子の教育用に残すという約束も破ったのです。最後には私を指さしながら、離婚を強要しました。当時、夫は債権者を避けるために親戚の家に逃げました。度重なるいじめと家庭の激変に、私は息をすることさえ苦しく、家から飛び出して泣き崩れました。「師父、私はどうすればいいのでしょうか?」と心の中で師父に聞きました。すると、私は徐々に落ち着いてきて、名利や損得に執着しなくなりました。私は平然と売却契約書にサインしました。
家を借りてから1年目、夫の給料カードは債権者に預けられており、私のわずかな給料で、家賃と生活費、それに息子の教育費に使っているので、生活はとても厳しかったです。幸い、大法の信念の支えと実家の援助のお陰で、私はその苦しい歳月を過ごしてきました。
その後、姑は腰掛けから落ちて腰を折ってしまい、動けなくなりました。姑は年をとっているので手術ができず、ベッドに横になって自力で回復するしかありませんでした。姑は若い頃から性格が強く、いつも他人を批判したり、罵ったりするので、長男夫婦は同じ敷地内に住んでいても、口もきかず、ましてや世話することもありません。次男の夫は親孝行なので、姑を私たちのところに連れて来ました。私は長年の恨みを捨てて、姑の排泄の世話し、美味しい料理を作って食べさせました。3カ月余り経って、姑は立つことができるようになりました。私たちは、新居に引っ越すときに姑も連れて行き、何年も同居しましたが、私がいくら面倒を見ても、姑はやはり私に意地悪をしていました。これに対して、私は何度も心のバランスを崩してしまい、「他の兄弟の誰もが相手にしない中で、毎日このように世話をしているのに、満足するどころか私をいじめるなんて!」と不平不満ばかりでした。
師父は「どうしてこういうことにぶつかるのでしょうか? それらはみな自分自身の業力によるものです」[1]と説かれました。
母はよく私に「姑がどんな人でも、あなたにとっては目上の人だから、自分の母と同じように対応しなければならない。分別があってはならない」と言いました。「もしかしたら、前世私は姑に良くない事をして、借りが出来たかもしれない。これはそれを返すためだ。不平不満を言ってはならない」と思うと、すっきりしました。その後、姑は歩けなくなり、やがて寝たきり状態になり、子供たちの家で交代して暮らすことになりました。私の家の番になると、私は細心に姑の世話をして、いつも体をきれいにしてあげて、全く臭いがありませんでした。そして、帰る時に新しい服を買ってあげました。
ある時、また家の番になり、姑が運ばれてきた時、背中に大きな床ずれができ、股の付け根も皮膚が大きく剥がれていて、化膿していました。我が家にいる時は、一度もありませんでした。後で分かりましたが、義姉は商売が忙しくて見る時間がなく、義兄夫婦もお手伝いさんに任せっぱなしで、寝返りをさせていないし、排泄介助が十分できていなかったようです。
私は夫に早速、いろいろな床ずれの薬や消炎薬を買ってきてもらい、息子と全力を尽くして、1日数回、姑の傷口を洗って薬を塗ってあげました。1カ月後には、全部治りました。私の前では言わなかったものの、陰では「誰よりも次男の嫁が良い」と言ってくれたそうです。それを聞いて、私は淡々と笑って「大法を修煉していなかったら、このようにすることはできなかったと思います」と言いました。
夫は、私がここ数年やってきたことを見て、心から感動し、「私が悪かった。ここ数年あなたと子供に本当に申し訳ない。これからあなたたちを大切にして、私も頑張る」とメッセージを送ってくれました。
このようなメッセージをみて、私は涙が止まらなくなりました。大法が私を変えて下さり、私を怨みの深い常人から、徳をもって恨みに報いる人に変えて下さいました。もし、大法の真・善・忍の法理の教えがなかったら、心の狭い私がどうして怨みを捨て、利益を捨て、すべての裏切りと侮辱を包容し、笑って苦難に立ち向かうことができたでしょうか!
四、雲が晴れた
2015年、ある時、同僚が家を買いたいと言ったので、付き添って不動産屋に行きました。結局、彼女は買いませんでしたが、私は偶然にも気に入った物件が見つかりました。少し小さいのですが、構造がとても良い2LDKの部屋で、値段も高くありませんでした。家族の助けもあって、順調に購入することができ、簡単にリフォームしてすぐに引っ越しました。今、私たちはすべての借金を完済し、夫の仕事も軌道に乗り、車も買いました。私は生理痛などすべての病気が治り、とても健康で、顔色も良く、全身が軽くて、歩くとそよ風が吹いているような心地良い感じです。私を知っている人は皆、私が10年、20年前よりも元気で、若く見えると言ってくれました。
2018年のある夜、夫は突然半身が麻痺し、身動きが取れなくなりました。血圧を測ると220/150だったので、息子と一緒にすぐに夫を病院に連れていきました。検査の結果は脳梗塞とわかり、すぐに入院することになりました。前回、夫が自殺しようと殺虫剤を飲んだ時、私は師父の説法の録音を聞かせました。夫は修煉していませんが、大法が素晴らしいと信じていて、常に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と書かれたお守りを持っています。今回も、夫に大法の奇跡や超常さを伝え、心からの九文字を唱えるように促しました。
退院時には、右半身麻痺状態で、右腕と右足が不自由でした。そんな夫は、大法の助けのお陰と日ごろのリハビリとの相乗効果で、半年後には普通に出勤できるようになりました。足はまだ少し不自由ですが、よく見ないと気づきません。最も喜ばしい事は、夫が酒をやめたことです。以前、夫は酒癖が悪く、飲み過ぎると、トラブルを引き起こすことが多かったのです。そして、気性も以前ほど激しさがなくなり、怒ったりしなくなりました。何かあった時は、穏やかに相談してくれるようになりました。
今、息子はもうすぐ大学を卒業します。大法の教えを受け、息子はとても優しくて、物わかりがよく、父親のかつての言動に対して恨んでもいません。息子はまだ本格的に学法と煉功をしていませんが、自分を大法の子供弟子と見なして、普段から真・善・忍の法理に従って、自分を律するようにしています。私がよく行っていない時は、私と一緒に法理上で交流をしてくれます。法輪大法に感謝いたします! 師父に感謝いたします!
現在、私たちの家族は和気藹々で、和やかな雰囲気に包まれています。本当に「佛光が普(あまね)く照らせば、礼儀が圓明(えんめい)となる」[1]のです。
幸いにして大法に出会うことができ、本当に大きな縁であり、師父の慈悲深い済度に対する感謝は、言葉で表現しきれません! 私たち家族は、心から師父に感謝申し上げます。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』